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2020年09月30日

日本の大学に不満(九月廿七日)



 四月だったか五月だったか、日本の大学が軒並みキャンパスへの立ち入りを禁止して、授業をオンラインに切り替えた頃にも読んだ記憶があるが、最近もまたオンライン化した授業に不満な学生たちが学費の返還運動をしているという記事を読んだ。どちらも学生たちに対して同情的な記事だったけれども、学生たちにはまったく共感できなかったし、感染症の恐怖を過剰に煽って、日本全体にあらゆることを自粛しなければならないという雰囲気を植えつけて、大学を授業閉鎖に追い込んだマスコミが、どの口でほざくのかという感想も持った。
 だからといって、日本の大学が右に倣えですべて対面授業を中止してしまい、図書館の利用さえ制限してしまったことを肯定する気はない。むしろ大学の対応が軟弱だったからこその問題だと考えている。いや、実は期待していたのだ。どこかの大学が、本学の学問はウイルスごときには屈しないと宣言して通常の授業を継続するのではないかと。800もの大学があれば一つぐらいはそんな大学があってもよかろうに。

 報道されていないだけで、実は感染のひどくなかった地方の大学をには、通常の授業を行ったところもあるのかもしれないが、最高学府でございと威張っているのなら、首都圏の大学にそれぐらいの蛮勇を発揮するところが一つぐらいはあってほしかったし、マスコミに袋叩きにされながらも、方針を変えない強さを見たかった。今は私学ではあっても認可とか助成金で文部省に不当に縛られていて大学自治ってのがお題目になってしまっているから難しいのかなあ。マスコミに煽られた連中が、意味もわからないまま、大学に抗議に押し寄せるなんて可能性も考えると、リスクは犯せないということか。
 『マスター・キートン』の何巻だったかは忘れたけど、恩師のユーリー教授の第二次世界大戦中に空襲直後に授業を再開したなんてエピソードは、普通ではないからこそ心を打つのだろう。幕末明治期の食糧難にあえぐ長岡藩が支援された食料を売り払って教育のために投資したというエピソードが称揚されるのなら、感染症の流行時にも教育を止めないという大学の姿勢も批判されるべきではないと思うのだけど。

 また、一部の大学が、すぐにオンラインでの授業の導入を決めて実行したことを自画自賛していたのも正直幻滅でしかない。オンラインで対面授業と同じ成果が出せるというのなら、もともとその程度の授業でしかなかったということかと疑いたくなる。
 オンラインでの授業というのは、決して対面授業の変わりになるものではなく、緊急避難的に導入するのを否定する気はないが、それを素晴らしいといわれても困ってしまう。オンライン授業といえば、かつて地方に新たなに設立された私立大学が、教員の確保に困って、東京の大学の先生の講義をオンラインでやるというのを売り物にしていたのを思い出す。最近聞かなくなったけど、あれって運用がうまく行って、どこでも導入されて売り物にならなくなったから、話題にならなくなったのか、学生たちに不評で廃止されたのか、教員の確保に成功して不要になったのか。

 最悪なのは大学での勉強にとって最重要な施設である図書館の利用までできなくなったことである。オンライン化するなら、授業よりも図書館の資料をオンラインで閲覧できるようにしたほうがまだはるかに価値があったはずだ。
 他にも、国会図書館と交渉して通常は館内でしかオンライン閲覧できない資料を大学生にだけは、インターネット上で見られるようにするとか、ジャパンナレッジを大学外からのアクセスでも使えるようにするとかしておけば、授業に出られない代わりに自らの専攻分野の文献を読んだり、調べたりすることができるようになるから、大学が閉鎖された期間をある程度有効に活用できたはずである。

 繰り返すけれども、マスコミの作り出した雰囲気に負けてキャンパスの閉鎖を決めてしまった大学には幻滅しかない。いや、正確には、すべての大学が、同様の対応を取ってしまったことに幻滅を感じたと言ったほうがいいか。感染のリスクなんて大学の立地によっても、学生気質によっても大きく違うだろうに、赤信号みんなで渡ればの日本人気質が出たということだろうか。
 大学ぐらいは、その辺、毅然としていてほしかったと考えるのは、ないものねだりなのかなあ。それでも、一校ぐらい、学生に学ぼうという意志がある限り、キャンパスは閉鎖せずに授業を続けると宣言する大学があってもよかったんじゃないかなあ。大学に夢を見すぎかなあ。報道されないだけとか、批判を恐れて密かに授業を継続していたなんてところあったとしたら嬉しいけど、外国にいると情報が入ってこないのだよ。

 学生が学外で感染して袋叩きに遭った大学があることを考えると、感染対策を徹底した上で通常の授業を行った方が、考えなしも多い学生たちを野放しにして街に放つよりも感染対策としてはよかったんじゃないかなんて気もする。
2020年9月28日20時。





 学生時代に、どれだけ悪かったのかは知らないが心臓の病気で、薬としてニトログリセリンを持ち歩いている先生がいた。「大したことはないんだけど、いつ心臓が止まるかわからないから、止まりそうになったら飲むんだ」とか軽く仰っていたのには、学問を仕事とする人の覚悟を見せ付けられた思いがした。学内で発作で倒れて病院に運ばれたなんてこともあったけど、翌週には何もなかったように講義をされていた。









posted by olomoučan at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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