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2020年08月19日
ハシェクのシュベイク(八月十六日)
以前、集中して紹介していたチェコ文学の日本語訳についての記事のコメントで、海山社の栗栖茜訳『カレル・チャペック戯曲集』IIの刊行が8月18日に決まったという情報をいただいた。購入するしないは別にして、ありがたいことである。
ということで海山社のHP を覗いたのだが、特にそれらしいことは書かれていなかった。ホントで探したら出てきたのだけど、気になるのは収録されている「白い病気」と「マクロプロスの秘密」のうち、前者の阿部賢一訳が「白い病」として9月に岩波文庫の一冊として刊行される予定になっていること。ネット上で公開されていたのか、すでに感想までついていた。
それはともかく、久しぶりに意識がチェコ文学の翻訳に戻ってきたので、久しぶりにその話をしよう。取り上げるのは、カレル・チャペクとほぼ同世代と言ってよさそうな、ヤロスラフ・ハシェクである。ハシェクは1883年に生まれ、1923年に39歳で亡くなっているから、早死にしたというイメージのあるチャペク以上に若くして亡くなったことになる。
ハシェクと言えば、シュベイクというぐらい、第一次世界大戦を舞台にシュベイクの活躍を描く『Osudy dobrého vojáka Švejka za světové války』(1921-23)は、世界的にも有名なのだが、日本語に最初に翻訳された作品もこれである。いや、このシュベイク以外の作品はほとんど翻訳されていないのが現状で、あらゆる作品が日本語に訳されつつある感のあるチャペクとは対照的である。
チェコ語の原題の「osudy」は、運命という意味の言葉だが、複数では「経験したできごと」という意味でも使われることがある。書かれた時代を感じるのは、「za světové války」の部分で、これが第一次世界大戦をさすのは当然なのだが、当時はまだ二つ目の世界大戦は起こっていなかったので、現在ならつけられるはずの「první」がないのである。
最初に『シュベイク』を日本語に訳したのは辻恒彦で、恐らくはドイツ語からの翻訳だと思われる。辻訳は出版社を変えて何度か刊行されるがそのたびに題名が微妙に変わっている。
➀辻恒彦訳『シユベイクの冐険』上下(衆人社、1930)
国会図書館のオンライン目録では、副題のように「勇敢なる兵卒」が後ろにつけられているが、『勇敢なる兵卒シュベイクの冒険』を書名とする記述も見かけられる。オンライ目録では上巻だけしか確認できず、下巻がいつ刊行されたのかはわからない。著者名表記は「ハシエーク」。版元の衆人社は詳しいことはわからないが、ソビエト、ロシアの文学作品の刊行を中心に活動した左翼系の出版社のようである。
戦後すぐの1946年には版元を京都の三一書房に移して、『愚直兵士シュベイクの奇行』として三巻に分けて刊行。1950-51年に新版が出た後、同じ三一書房から1956年に『二等兵シュベイク』と改題して上下二巻で刊行。その10年以上後の1968年には題名はそのままで、一巻本として刊行されているようだから、なかなかややこしい。国会図書館のオンライン目録では把握できない版もある可能性は高い。1968年の久しぶりの再刊は、「プラハの春」事件でチェコスロバキアが話題になることが増えた影響だろうか。
A栗栖継訳「兵士シュベイクの冒険」上下(『世界ユーモア文学全集』第14、15巻、筑摩書房、1962)
チェコ文学をチェコ語から翻訳し始めた先達の栗栖継の翻訳は、チャペクの短編も収録された『世界ユーモア文学全集』に二巻を割いて納められた。その後、1968年には上下巻で独立した単行本として刊行される。これも「プラハの春」とかかわるのかもしれない。
栗栖訳は、版元を岩波書店に移して、1972年から74年にかけて四分冊の文庫本で刊行される。一括刊行でなかったのは、著者による修正や注釈の追加があったからだろうか。1996年には文庫版の新版が刊行され、昔買ったのはこの版じゃないかと思うのだが、改版のたびに修正したり追加したりする事項が多くて作業が大変だと書かれていたのを読んだ記憶がある。
また、1978年に学習研究社が刊行していた『世界文学全集』の第34巻に、チャペクの短編などと共に、栗栖訳の抄訳が収録されている。この文学全集には作品の前に文学アルバムというのがついていて文学者が「〜〜と私」という文章を寄せているのだが、ハシェクとチャペクに関しては、尾崎秀樹が書いている。どういう事情での人選だったのだろうか。
番外
「勇敢なる兵卒シュベイクの冒険」(『築地小劇場検閲上演台本集』第12巻、ゆまに書房、1991)
チャペクの戯曲を積極的に取り上げていた築地小劇場は、シュベイクにまで手を出していたのである。国会図書館ではなく、「CiNii」の情報によれば、戯曲化したのはエルマー・グリンで、日本語訳は映画の脚本家として知られる八住利雄。念のために書いておくと刊行は1991年だが、築地小劇場が活動していたのは戦前なので、翻訳も戦前のものである。検閲という時点でわかるか。
長くなったのでハシェクの他の作品についてはまた今度。
2020年8月17日16時。