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2020年04月15日
自宅監禁日記(四月十二日)
イースター三日目の日曜日である。普通の年であれば、モラビアの田舎では、夕方から夜中まで大宴会が行なわれるはずなのだが、今年はすべて禁止である。無宗教の人の多いチェコとはいえ、信者はいるので、どの日かは知らんけどイースターのミサも行われる。今年はオンラインでやるのだとか。信者ならぬ身には、そこまでして行なうべきものとも思えないのだが、宗教というのは厄介なものである。
先日のニュースでは、信者が教会に集まれないからと言って、信者の写真を机の上に並べて参加したことにするなんてことをのたまう教会関係者が登場していた。写真の中にはイタリアでコロナウイルスのために命を落とした神父のものも並べるといっていたけど、それに何の意味を持たせたがっているのか。イタリアとスペインというヨーロッパの中でもカトリックの強い二国で今回の感染症が最大の猛威を振るっていることを考えると、カトリックの教会、教会における儀式が感染の拡大に一役買っていたと考えるのが普通だと思うのだけど、そんな話は出てこない。
政教分離とか、信教の自由とか、すべての宗教は平等だとか言うれども、結局ヨーロッパの社会において、キリスト教、カトリックに対しては特別な配慮がなされている。これをヨーロッパ社会の伝統と言う言葉で片付けるのだから、日本社会の政教分離の度合いについてヨーロッパから批判されるいわれはない。日本で政教分離にうるさい人たちも、念頭にはヨーロッパ社会を置いているのだろうが、左翼のこの人たちの想像する政教分離なんてものはヨーロッパには存在しない。右翼の主張も妄想に基づくものが多いから、その辺は目糞鼻糞なんだけどさ。
とまれ、ネットで日本のコロナウイルス対策についての情報が入ってくると、集めようと思わなくても、関連情報ばかりで目に入ってくるから、うざったいことこの上ないのだけど、自分が今の日本の緊急事態宣言が出た地域にいたら、どんな対応を取っているだろうかと考えてしまうことがある。今はチェコという異国に住まわせてもらっているという遠慮があるので、そこまでやるかと不満に思いつつも、政府の指示には不平も漏らさず唯々諾々と従っている。
日本に住んでいたら遠慮する必要はないから、不満ぶちまけたり自粛の要請を無視したりするのだろうなと考えて、そうでもないかと思い直した。仮に日本でも現在と同じような職場で、同じような職住環境にあるとしたら、自粛なんかしなくても自粛したのと同じ結果になってしまうような気がする。もともと、たまに職場への行き帰りに買い物に寄るぐらいで、自宅と職場を徒歩で往復する毎日で、外で食事を取ったりお酒を飲んだりなんてのは、月に一回あるかないかだったのだ。
日本だったらという条件で増えるとしたら、本屋に立ち寄る回数ぐらいだろうか。マスクも花粉症対策で春先は身につけていたし、職場に出るかどうかは職場の判断次第だと考えると、政府が期待するコロナウイルス対策の自粛生活を自粛していないのにやってしまっていそうで釈然としない。ただ、自分がそんな生活をしているからといって、他者に強要するような醜悪なことはしないと思う。
これは、仮に自分が持病もちで高齢者だったとしても変わらないと思いたい。外出自粛を守らない人だって、何らかの根拠があって判断したのか、よんどころない事情で外出せざるを得ない状況にあるか、どちらかなのだろうから、それを他人が批判したところで何の意味もない。自分が感染したくなければ、他人との接触を絶って引きこもっていればいいだけの話だしさ。自分は仕事か何かのために外出しておきながら、他人が外出しているのを非難するのは筋違いと言うものである。
自分が小学生だったらと想像してみよう。子供のころは学校が嫌いじゃなかったから、強制的に休校になるのには不満を感じたに違いない。それよりも不満なのは家の中にばかりいると体を動かせないことだから、午後からは近所の公園に遊びに出かけることだろう。午後からというのは、小学校時代は親の言うことを聞くいい子だったから、昼過ぎの小学校の授業が終わる時間ぐらいまでは、勉強をしていると思うのである。
中学生になると、屁理屈だけは上手なクソガキになっていたから、ウラでいろいろ画策していそうだなあ。部活仲間と語らってこっそり練習している可能性が高い。普段どおりに放課後なんて時間を決めると発覚しやすいからと、毎日時間や場所を変えるなんて姑息なこともやりそうだなあ。見つかったら見つかったで、屁理屈こねて煙に巻いていたに違いない。問題は、そんなのに付き合ってくれる友達がいるかどうかだけどさ。いなかったら、毎日ジョギングの日々だろうなあ。
高校では世捨て人を目指していたから、授業が休みになること自体には不満は持たなかっただろうが、図書館が使えないことに不満を抱くに違いない。どこぞの高校生が授業再開に反対して署名活動をするとか言っていたけれども、理解に苦しむ。授業再開に反対するよりも、授業再開後に欠席したとしても欠席扱いしないことを求めるのが、あるべき高校生の姿である。学校に行きたくなければ、さぼって家で勉強していても出席扱いされるのが、受験を考える高校生にとっては一番ありがたいはずだ。
それが実現した場合、自分なら、自宅だといろいろあって勉強がはかどらないから、学校には行くけれども授業はサボって図書館で自習するかな。感染への恐怖を言い訳にすれば、大抵のことは何とかなりそうだし、それが駄目でも、普段から図書館に入り浸って司書の先生や、図書館長の先生と仲良くなっていれば見逃してもらえる。それに、自習に行き詰ったら本を選び放題というのも嬉しい。読書優先で勉強が進まない恐れもあるけど、それは教室で授業を受けていても同じである。どうしても読み続けたい本は、授業中でもこっそり読み続けてしまうというのは、活字中毒者ならよくある話である。
田舎の人間なので、学校がないからといって町に遊びに行こうなんて発想は、ガキのころはお金もなかったし、持ち得なかったのだけど、その辺のこだわりは人それぞれなんだから、学校という場を奪われた子供たちが町に出ることを、批判するような人間にはなりたくない。この件の被害者は子供たちであって、我々大人ではないのである。
2020年4月13日23時。
https://onemocneni-aktualne.mzcr.cz/covid-19
https://www.krajpomaha.cz/