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2020年02月21日

スパルタまたまた監督交代(二月十八日)



 昨日の夜、週末に試合が行なわれた場合、毎週月曜日に放送されている「ドフラーノ・プルス」にチャンネルを合わせたら、プラハのスタジオにはいなかったけど、オロモウツのスタジオから、もと監督のペトル・ジョン・ウリチニーが参加していた。最近70歳の誕生日を迎えたばかりで、オロモウツで行なわれたお祝いの様子も、番組の一部となっていた。

 去年の秋にはブリュックネルが80歳の誕生日を迎えているし、オロモウツの誇る二大監督はほぼ十歳違いのようだ。誕生祝の映像にはブリュックネルは登場しなかったが、ウリチニーの話では、いまでも二人であれこれ文句を言いながら、オロモウツのスタジアムで行なわれる試合を観戦しているらしい。
 ちなみにシグマ・オロモウツの関係者には、もう一人、日本でも有名な監督がいて、ウリチニーにお祝いの言葉を語っていた。それは、中東の代表チームを率いて何度も日本代表と対戦したミラン・マーチャラである。マーチャラは監督としてのキャリアを終えた後、選手を引退し監督を始めたオロモウツに戻ってきて、シグマで仕事をしているのである。

 去年までシグマの監督を務めていたバーツラフ・イーレクが、数年前2部で開幕直後に、引き分け続きで全く期待された結果を残せず、解任の声が上がったときに、もう少しチャンスを与えようと決めたのがマーチャラだったと言われている。その次の試合から連勝が始まり、10連勝以上したんじゃなかったかな。最終的には危なげなく優勝と1部昇格を決め、翌2017/18年のシーズンは1部で4位という久しぶりの好成績を残した。
 イーレクは8位と前年より順位を落として終えた昨シーズン終了直後に、スパルタに引き抜かれたのだが、わずか半年あまりで解任された。現在のスパルタは、2017年の夏にストラマッチョーニ監督をイタリアから招聘して失敗した後遺症に悩まされ続けている。チームのゆがみがすべて監督にのしかかり、ただでさえ圧力のかかるスパルタ監督の座が、さらに重いものになってしまっている。

 その状況は、引退直後に大きな期待とともにGMに就任した天才ロシツキーにも、ロシツキーが白羽の矢を立ててオロモウツから引き抜いたイーレクにも立て直すことはできなかった。ロシツキーもGMとしてはまだ駆け出しだしなあ。イーレクも外国人選手だけでなく、無駄にプライドだけは高い中途半端な選手たちを掌握するのは、最初から荷が重そうな感じだった。
 それでも、シーズンの開幕直後に連勝でもできていれば、勢いに乗って多少の問題は自然と解消されたのだが、開幕直後のスパルタは完全に運に見放されていた。ほぼ毎試合ディフェンスラインの真ん中のセンターバックの選手が致命的なミスを冒して、そのミスがほぼ毎回失点につながっていた。その結果勝つべき試合を引き分け、引き分ける試合を負けるという試合が、何試合もあった。試合を通してほぼ完璧に守っていながら、失点のシーンだけありえないようなミスをすることもあったし、今年のイーレクは運に見放されているとしか思えなかった。

 攻撃のほうが当初からそこそこ形になっていて点がとれていたのと、秋のシーズンの終盤には守備もミスが減ったこともあって、何とか4位まで順位を上げて冬休みに入ったのだった。冬休み中には怪我で離脱が続いていたドチカルが復帰するなど期待を抱かせるニュースもあったのだが、再開前のキャンプを移籍を求めるハシェクが拒否したり、親善試合で点が取れずに連敗したりと次第に不安を抱かせる要素の方が増えていった。
 そして、迎えた土曜日、ホームのレトナーでの試合でスパルタはまた醜態をさらして0−2でリベレツに負けてしまった。簡単に言えば攻めてはいたのに、カウンター食らって、守備のミスが出て失点して負けたということになる。点が取れなくなかった分、秋よりも重症である。イーレクに運がないと思うのは、再開後最初の相手がリベレツだったことで、今年は中位に沈んでいるけど、スパルタ相手にはいつもいい試合をするチームである。

 この敗戦が最終的にイーレクの解任に結びついたのだが、ここで解任するぐらいなら、冬休みに入るときに監督交代しておくべきだったのだ。そうしていれば、新監督の方針に基づいて冬のキャンプを行うことができたのだから。今のスパルタの問題は、こういう中途半端な時点での監督交代が多すぎることで、イーレクに替ったのはシーズン終了後だったから久しぶりに期待できるかと思ったのだけど、そうは甘くなかった。
 1シーズン、2シーズンぐらいは成績の低迷を我慢して、一人の監督に任せるなんてことをしないと、かつての強かったスパルタは戻ってこないような気もする。我慢するといえば、ウリチニーが、ブリュックネルがチェコ代表のディフェンスを築き上げるのに、ボルフとウイファルシ(ヤンクロウスキと言っていたけど多分勘違い)のコンビを我慢強く使い続けたんだなんてことを言って、イーレクが、開幕当初からセンターバックの組み合わせを何通りも試していたことを、我慢が足りなかったと評していた。まだまだ若い監督なんだからこの経験を糧に、どこかのチームでまた監督を務めてほしいところである。ウリチニーだって何度も解任されたことがあるわけだし。

 月曜日の「ドフラーノ・プルス」は、これでおしまいかというところで、ウリチニーがあれこれ喋り続けてぐだぐだな感じで終了した。とんでもない爺さんである。この爺さんかつての教え子、現在監督をしているような世代の元選手たちと、全員ではないにしても、今でもいい関係を維持していて、お互いに「父ちゃん」「息子よ」なんて呼び合っているらしい。その一人が、リベレツの監督でスタジオにいたホフティフで、番組中にも「タテュコ」なんて呼びかけていた。ウリチニーは回り工夫に「シンク」と返していたかな。

 イーレクの後任には、Bチームの監督だったコタルが就任することになった。昔フラデツ・クラーロベーで監督やっていた人かな。今週末はスパルタがオロモウツに来るのでお手並み拝見といこう。ウリチニーの話は別記事にしたほうがよかったかな。
2020年2月18日24時。










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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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