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2019年12月31日
『チェコの伝説と歴史』続(十二月廿八日)
もう一つ、この本を読みながら気になったのは、自分の土地勘のなさである。あれこれチェコ国内の地名が出てくるのだが、初めて見る地名が多くて困惑させられる。現在の主要な地名はもちろん、歴史上重要な地名もある程度は知っているつもりだったのだが、古いチェコの伝説に登場する地名の中には、普通の地図には載っていない小さな村に過ぎないようなものもあるのだ。そこが観光地化していれば知る機会もあるのだろうけど。
建国神話に出てくる地名が現在まで残っているという点では、日本も同じか。九州の人間だからある程度の場所のイメージはできるけど、外国人には無理だどうなんて考えたら、あまり気にしなくてもいいような気がしてきた。それよりも、日本とチェコの建国神話において、どちらも山が重要な役割を果たしていることのほうを気にするべきか。
チェコの神話の山、ジープ山は、神話の真偽はともかく、実在していて、ここがチェフとその一族がたどり着いたジープ山だと比定されていて、山頂だったか山腹だったかに、教会が建てられているはずで、毎年多くの人がこの伝説のために山に登る。日本神話の高千穂の峰が、どこにあるのか決められていないのとは対照的である。神話は歴史ではないなんてことはわかりきっているのだから、ここと決めてしまってもいいと思うのだけど。
日本の高天原に当たるチェフたちの故地はハルバートという名前になっている。それは知っていたのだけど、ハルバートというのは、ホルバートのバリエーションだと理解して、現在のクロアチアのある辺りをさしているのだろうと思っていた。それが実は大きな間違いで、現在のポーランドの一部がかつてハルバートと呼ばれ、ハルバートという部族が住んでいたらしい。そうすると、クロアチア人もハルバートから移動したということなのかもしれない。
注に付されている地図に、いくつもの部族名が書かれているのは、このあたりで最古の国とされるサーモの国で、サーモにしたがっていた部族がいくつもあったという話を思い出させるのだが、イラーセクはこのフランク人の商人と言われる人物の立てた国については書かない。プシェミスル家の成立にかかわる神話を語り終えた後、登場するのは大モラバ侯爵スバトプルクである。
モラビアが中心的な舞台となる話は、このスバトプルクについての話と、その次のモラビアの神話とも言える失われた王イェチミーネクの話ぐらいしかない。これもまたなじみのない地名が多い理由になっている。今年の夏にあちこちしたときもモラビアが中心だったから、モラビアないなら結構細かい地名まで知っているのだけど、ボヘミアのほうは、特に北ボヘミアは鉄道で通過したことしかないから、ほとんど知らないといってもいい。
モラビアに関する話が少ないのは、イラーセクがボヘミアの出身だからだろうか。プラハの出身ではないはずなのに、プラハの話が多いのは、プラハの話が一番たくさん残っていたのか、今にも続きモラビア人をいらだたせているプラゴツェントリズム(プラハ中心主義)の反映だろうか。そのわりには、スロバキアの義賊ヤーノシークの話も採録されているのが不思議である。
正直な話、チェコ人とスロバキア人を一つの民族と見て、統一した国家を作り出そうという考えが生まれたのは、20世紀に入ってからのことだと思い込んでいた。しかし、イラーセクの『チェコの伝説と歴史』にスロバキアのヤーノシークの話が入っているということは、イラーセクがスロバキアをチェコの一部、もしくはチェコにつながるものとして認識していたということでもあろう。それがイラーセクだけの考えだとも思えないから、19世紀以前にもチェコとスロバキアを一つにしようという考えがある程度広まっていたということか。
ちゃんと勉強したわけではないから、我が知識には結構偏りがあるなあ。あれこれ本を読んで復習しておく必要がありそうだ。
2019年12月29日23時。