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2019年11月18日

人皆レトナーへ(十一月十六日)



 レトナーと書かれているのを見て、プラハの地名だとわかる人は、かなりのチェコ通、いやプラハ通だろう。さらにサッカーのスパルタ・プラハのスタジアムがある場所だと知っている人になると、そこに熱心なサッカーファンという要素が加わることになる。では、レトナーが、大規模集会の行なわれる場所だと知っている人は、ビロード革命の研究をしている人だろうか。
 レトナーの丘の上には、プラハには珍しく広大な空き地(この言い方が正しいかどうかは疑問だけど)が残っていて、1970年代から軍のパレードや政治的な集会に利用されていたのだが、1989年のビロード革命に際して、大きな反政府集会が行なわれた場所でもあるのだ。翌年には、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世を迎えて、ミサも開催されている。

 とまれ、ビロード革命以後、大きな、バーツラフ広場には入りきれないような規模の集会を行なう場合には、レトナーの丘が選ばれる。だから、今回6月につづいて、大規模反政府集会が行なわれたのも当然といえば当然なのだ。ちょっと意外だったのは、ビロード革命の発端となったデモが起こった17日ではなく、前日の16日に行なわれたことである。正確にはこちらが勝手に17日だと勘違いしていたというのが正しい。

 金曜日、知り合いにあったらプロっぽい立派なカメラを首に提げ、手にはスーツケースを持っていた。理由を聞いたら、こんな大イベントがあるんだから、プラハまで行って写真取ってくるしかないだろうという答えが返ってきた。そういえば日本大使館からも、レトナーには近づくなという注意喚起のメールが来ていた。ただ、プラハでのことなので斜め読みしかしなかったため、この時点でも17日のことだろうと思っていた。
 そうしたら、午後テレビで、抗議集会の様子が放送されているのを見て驚いた。チェコ各地から集まった人の数は、主催者発表で30万人、警察発表が25万人で、携帯電話会社の概算が25万7千人という大規模なものだった。この手の数の発表は主催者発表が過大になるのは、チェコでも変わらない。日本だと、特に左翼系の反政府集会は最低でも2倍、ひどいときには10倍以上なんて発表が普通になっていることを考えると、極めて良心的な数字である。

 集会は、極めて整然と行われ、市内の公共交通に負担をかけた以外は、何の問題も起こさなかったようだ。主催者としても二度目の大規模抗議集会で手馴れてきた面はあるのかもしれない。何人かの選ばれた人たちが、舞台の上で演説をしていた、もしくは表明を読み上げていたが、俳優の姿が目立った。
 こちらがわかって覚えているのは、どんなタイプでもちょっと変わった人物を演じさせたら、右に出るもののいないイバン・トロヤン、非常に真面目な役柄からただ飲んだくれまで演じ分けて、知らないと同じ俳優だとは気づけないこともあるボレク・ポリーフカに、共産主義時代のアイドル女優的な存在だったダニエラ・コラージョバーの三人。みんななかなかいいことを言っていたと思う。劇場の俳優達は、ビロード革命のときもも主力の一翼をになっていた。

 集会で主張された主要な要求は、バビシュ首相の年末までの辞任、もしくはアグロフェルト社を完全に手放すこと。それと法務大臣のベネショバー氏の辞任、もしくは解任だった。実現しなかった場合には、再度抗議集会を開催するとも主張している。ただ、面の皮の厚さには定評のあるチェコの政治家が、大規模反政府デモで辞任に追い込まれた例はこれまで存在しない。
 ネチャス氏や、グロス氏、ソボトカ氏のような政党内で次代のホープとして大した苦労もしないままにキャリアを積んできたひ弱な政治家とは違って、バビシュ氏は良くも悪くも、ビジネスの世界でのし上がってきた人物である。そんなひどい言い方をすれば、厚顔無恥さでも人後に落ちない。ということは、今後デモの規模がどれだけ大きくなろうと、辞任することはありえない。

 今回の集会の主催者の課題は、今後も現在の規模と参加者たちの熱意を維持して、抗議集会を繰り返し続けられるかどうかだろう。現時点では既存政党に頼らず独自に活動しているから、幅広い層の支持を集めることに成功しているが、選挙が近づいて既存政党の側が取り込みにかかったときにどうなるかという心配もある。この運動が独自に組織化を進めて政党化するというのは、ビロード革命の際の市民フォーラムの末路を考えると、難しそうである。ただ、次の総選挙まで今の規模と熱気で繰り返すことができれば、全国的にアンチANOの雰囲気を作り出して、バビシュ内閣を倒せるかもしれない。
 主催者もそれをわかっているのか、次の総選挙でバビシュ内閣を倒すために野党に共闘するように呼びかけているようである。ただなあ、ビロード革命後のチェコで、最初に政治を私物化しているとして批判されたのが、野党第一党の市民民主党なのである。今の指導部はその過去も、プラハの市政を食い物にした過去もなかったことにしているけど。キリスト教民主同盟も、教会の利権の代弁者になっているし、過去に与党として反政府デモの対象になったことのない政党の中で主催者の眼鏡にかないそうなのは海賊党ぐらいしかない。政治家を職業にしている連中が、程度の差はあれ政治を私物化しているのはチェコも日本も変わりない。

 また選挙制度の改革も求めていて、下院の5パーセント条項をなくして、小政党が議席を獲得しやすくすることも主張しているようである。これは、地獄の釜を開けるようなもので、現時点でさえ総選挙後の組閣が難しいのに、これ以上政党数が増えたら、内閣なんて成立しなくなる。それが相対的に内閣の力を弱めると考えると悪いことではないが、大統領の権力強化につながり、ゼマン大統領のような人物が選ばれる可能性がかなりあることを考えると、もろ手を挙げて賛成ともいかない。
 5パーセント条項を変えるとすれば、全国で5パーセントというのをやめて、各選挙区で5パーセントを越えればその選挙区では議席を獲得できるという形にするのがよかろう。これなら現在ほぼ存在しない地域政党に活躍の場を与えることができる。

 とまれ、こんな大規模な反政府集会が、政党主導ではなく開催できるところが、チェコの社会が健全であることを示しているのだろう。ただ、この集会が何をもたらすかということになると、チェコを知る身としては悲観的にならざるをえない。
2019年11月17日16時。











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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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