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2019年11月13日
温故知新(十一月十一日)
十一月十一日は、聖マルティンの日で、チェコのワイン業界がフランスのボジョレ・ヌーボーを真似て始めた聖マルティンのワインの発売はこの日から始まるはずなのだけど、今年はすでに先週の金曜日からホルニー広場などに直売のスタンドが設置されて販売が始まっていたようだ。それでいいのかなんて疑問は無駄である。チェコなんだからそれでいいに決まっている。
去年か一昨年かは、11月11日の11時11分に販売開始なんて、時間まで厳密に決めていたことを考えると、えらくいい加減になったものである。現在ほど大々的になる前も、適当というか、各販売店で勝手にやってたような記憶もあるから、元に戻ったと考えることもできるのかな。このように、現在の出来事を理解するのに、過去の出来事を参照して参考にするのを温故知新という。うーん、我ながら無理のありすぎる書き出しだなあ。
とまれ、この四字熟語の前半を、「故きを温め」と訓読するか、「故きを温ね」と訓読するかという問題はあっても、その意味するところは明らかだろう。そして、温故知新で思い出すものと言えば、国学者の塙保己一である。小学校だったか、中学校だったかの、確か国語の教科書にこの人の簡単な伝記が紹介されていて、その存在と座右の銘だったという四字熟語、温故知新を知ったのだった。
盲目でありながら超人的なまでの意欲と記憶力で国学者として一家を成した塙保己一には、正確にはその業績には大学に入ってからお世話になった。古今の国書を集めて類従し校訂した上で、「群書類従」として上梓したのも保己一の業績である。『小右記』愛読者としては、『小野宮年中行事』が読めるというだけでも、「群書類従」と保己一には感謝の言葉しかない。
続編として「続群書類従」「続々群書類従」も刊行されていて、現在ではデジタル化されてジャパンナレッジで閲覧できるのだけど、個人向けのサービスでは利用できず、大学図書館などの法人で契約しているところでしか閲覧できないのが残念である。気になったのが、このコンテンツの提供元が八木書店になっていることで、『小野宮年中行事』の収録された巻は、続群書類従完成会から刊行されていたと記憶する。
確認したら続群書類従完成会は2006年に倒産し、出版事業を八木書店が引き継いだらしい。八木書店というと古書店としてのイメージが強く、出版社としては機構本のイメージしかなかったから、意外だった。『小右記』の前田本を影印判で出版しているのは、イメージどおりだけど。堅実出版活動をしているという印象だった続群書類従完成会の倒産は、日本の学術出版の行き詰まり振りを象徴しているのだろう。
昔の貧乏大学生は、自分の専門に関する書物は、かなりの無理をしてでも手に入れたものだ。手に入らないものは、全ページコピーするなんてこともあった。遊びや食事にかけるお金を削って勉強にお金をかけていたのである。酒代は削らなかったけど。学術書が売れなくなっているということは、大学の数が増え、専門的なことを学ぶはずの大学生の数は増えているというのに、勉強を第一に学生生活を送る学生の数が減っているということだろう。
1990年代初めの我々のころも、大学のレジャーランド化というのが問題になっていて、勉強しない学生はかなりいたけれども、その一方で、勉強するために大学に来たという学生もまだ多く、当時の学術出版は、そんな真面目な学生たちに支えられていたのだ。新本で買えない場合には、定価よりも高い古本を買うなんてこともあったし。
大学は勉強のためだけに行くところじゃないなんてことを言う人もいるけど、勉強以外のことは大学以外でもできるだろうと言いたくなる。勉強をした上で、勉強以外のこともすると言うのならまだ理解はできるけれどもさ。それが自分で、もしくは親の金で大学に行っているのなら、勉強しなくても自業自得だが、高校まで勉強してこず、地方の駅弁国立大学にさえ合格できなうような連中を、税金で大学に行かせようってのは、おこの沙汰だよなあ。そんな制度を作るのなら、先ずやるべきことは大学と学生の数を減らすことだろう。
日本には税金払っていないから、文句を言う資格はないだろうけど、偏差値50以下で入れる大学って、大学である意味あるのかななんてことを考えてしまう。専門学校でもいいだろうにって、文部省が天下り先の確保のために、専門学校をどんどん大学していた時期があるのだった。すべての元凶は文部省ということか。
脱線して予定外の内容になってしまった。枕その2が、長くなりすぎた結果である。
2019年11月11日25時。