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2019年11月04日
祭の後(十一月二日)
日本で開催されていたラグビーのワールドカップが終わった。毎週末には確実に見られていたあの熱戦が見られなくなるかと思うとさびしい。この喪失感はラグビーならではなのだろう。同じ巨大イベントでも、サッカーのワールドカップやオリンピックでは終わったという感慨はあっても、寂しさは感じない。オリンピックなんて、見るのに心の折り合いをつけるのが大変だから、終わるとホッとするほどである。
日本のラグビーが今後も強くなり続けて、今大会のような結果を残せるかどうかは、今後の対応にかかっているはずなのだが、マスコミの報道を見る限り難しそうだ。特に、日本代表が準々決勝で負けた時点でワールドカップがすでに終わったかのような雰囲気を作り出していたのはひどかった。実際の日本での雰囲気はわからないけど、ネット上に踊る記事の数々から感じられたのは、大会とラグビーを盛り上げようという意識ではなく、日本代表さえ取り上げておけばいいといういい加減さでしかない。
代表だけが注目されたのでは、何も変わらないことはすでに4年前に証明されているだろうに。他国での大会ならともかく、日本での大会なのだから、大会中に大会が終わってしまったかのような報道を繰り返すのは失礼極まりない。ラグビーに限らず、マスコミが足を引っ張っているというのは、よくある事例だとはいえ、いつまでたっても同じことの繰り返しというのは情けない。ラグビー協会にも、1980年代のラグビーブームがマスコミに踊らされた結果、文字通り泡のように消えてしまった過去を反省して、マスコミの言いなりにならないことを求めたいものだ。
それはともかく、準決勝以降の4試合は、日本代表へのひいき目で見ても、日本−アイルランド、日本−スコットランドを越える素晴らしい試合だった。イングランドのニュージーランド対策が完璧にはまっての快勝も目を疑うほどに凄かったし、南アフリカの派手さを捨てて、確実に相手を追い詰めていくような計算つくされた勝利もとてつもない凄みを感じさせた。どちらも残念ながら今の日本には、難しいだろう。
準決勝で負けたニュージーランドが三位決定戦では、しっかりチームを立て直してきっちり勝ったのも、ウェールズが怪我人続出の中で最後まで戦い続けたのも見事だった。やはりその大会で最高の4チームである準決勝にまで進出するチームに勝つのは、至難のことなのだ。日本代表が準々決勝の壁を越えて、準決勝に進むのは、よほどくじ運に恵まれない限りはしばらくかかりそうだ。とはいえ、前回大会以来の日本代表はこちらの予想をことごとく上回ってきているから、意外と早いかもしれないけど。
決勝は、事前の報道では、トライのない試合になるのではないかと危惧するような声も見かけたが、トライなし=つまらない試合という図式を、しろうとファンが言うならともかく、プロであるはずのマスコミが垂れ流すというのはひどすぎる。実際、決勝の前半はトライがなかったわけだが、南アフリカが2トライあげた後半よりもずっと緊迫していて、見ごたえも大きかった。
イングランドは、ニュージーランド対策に手一杯で、南アフリカ対対策まで手が足りなかったとか、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカと南半球の三強との三連戦で力尽きたなんて見方もあるのだろうけど、ここは南アフリカのチームの持つ物語の重さが、イングランドの戦術的な準備を凌駕したものと見ておきたい。
アパルトヘイトという黒人差別のあった国の、白人のスポーツとされていたラグビーの代表において、初めての黒人選手、しかも貧困の中で育った選手をキャプテンにすえて臨む大会、しかも前回大会で番狂わせを起こされた日本での大会で準々決勝で再度対戦したのである。南アフリカ以上に優勝にふさわしいチームがあったとは思えない。南アフリカの優勝は、一篇の英雄叙事詩であり、神話でもあったのだ。
そんな物語性の高いラグビーの大会が終わったのだから、喪失感を感じる人がでるのも当然のことだろう。ただそれを「ラグビーロス」とか軽すぎる言葉で表現してしまうのはどうなんだろう。こいうのは「祭の後の寂しさ」といいたい。ニュージーランドを初めとする南太平洋の国々の代表チームが、試合前に神にささげる舞を舞うことも、これら国の人にとってはラグビーが、単なるスポーツではなく、神事でもあることを示している。
祝祭のハレの日が終われば、日常が戻ってくるのである。
2019年11月3日20時。