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2018年11月02日

渡辺か渡邊か(十月廿九日)



 ヤフーの「個人」のところでこんな記事を見つけた。渡邊という名字を渡辺で表記しているメディアを批判しているのだが、これを読んで共感できる渡辺姓の人間などいるのだろうか。この問題は、ここで書かれているような簡単で軽いものではない。

 簡単な問題から先に指摘すれば、著者は渡邊が渡辺になる原因を通信社の存在に求めているが、浅い浅い。通信社が渡辺表記を使う理由は常用漢字にある。新聞社は、戦後の国語改悪に際して唯々諾々と常用漢字の前身である当用漢字という漢字制限を受け入れ、人名であっても、正字ではなく、常用漢字に入っている略字を使用しているのである。渡辺の辺について批判するならば、ここであって通信社の存在などはささいな問題でしかない。
 作家の丸谷才一は、戦時中にお国の指示とやらにしたがって戦争賛美を展開した新聞社が、戦後その事実を、国に従って戦争賛美した事実を、反省したと称していながら、その舌の根も乾かぬうちに国語改悪に際して再びお国の決めたことに従ったことを強烈に批判しているが、全く以て賛成である。日本の新聞社などは、その節を、最初からなかったとも言えるけど、捨てて当用漢字というものに従った時点で、その存在価値を半ば失ったと言っていい。丸谷才一はそこまで言っていないかもしれない。

 さて、話を戻そう。この記事ではバスケットボールの渡辺選手の表記を、ツイッターの公式表記に基づいて「渡邊」だと断定しているが、そんなに簡単に断定できるものなのか。コンピューター上では、渡辺の辺の正字は「邊」と「邉」の二種類しか表示できないが、実際には多種多様のバリエーションがある。シンニョウの点が、一つだったり二つだったり、自ではなく白だったり、その下がウカンムリだったり、ワカンムリだったり、自とワカンムリが分離しているのではなくつながっていたり、様々で、ワタナベ姓の人が二人以上集まると、「ナベ」をどう書くのかで盛り上がってしまうのは、故なしとはしないのである。そして、たまに細部まで同じ字を使うということがわかると妙に親近感を感じるらしい。
 自分が正しいと認識する表記が渡邊か渡邉であれば何の問題もないが、渡邊でも渡邉でもないワタナベさんの場合は、手書きでは自家の正しいとしている字を使う人でも、PC上では表示できないので、仕方なく「邊」と「邉」のどちらか自分の字に近いほうを使用するという人もいれば、どちらも自分にとっては正しくないのだから、略字の「辺」を使う人もいる。略字であれば誤字ではないと考えるのである。

 だから、ワタナベ姓の人や、「邊」と「邉」にまつわる事実を知っている人には、ツイッターというPC上での表記が渡邊になっているから、それがその人の名字の正しい表記だというのには、根拠が不十分に感じられる。もちろん渡邊が本当に正しい可能性もあるけれども、本人に確認もしないで断言してしまうのは軽率のそしりを免れない。
 それに、実は渡邊さんや渡邉さんの中にも、普段は手書きでもPCでも「渡辺」で済ませてしまうという人は多い。画数が多くて書くの大変だし。判子も実印はともかく、三文判は手に入りやすい「辺」で済ませる人が多い。だから正しい表記が「渡邊」だとしても、「渡辺」と書くのが間違っているというのは、間違っている。もちろん本人が渡邊と書けと要求しているなら話は別である。

 中学までは特に自分の漢字が正字で新字ではないことにこだわる人はいなかったけど、高校大学で知り合った正字のワタナベさんのなかには、渡邊もいれば渡邉もいたし、どちらとも微妙に違うという人たちもいた。文字にこだわる人もいればあまりこだわらない人もいたが、こだわる人でもふだんは渡辺と書いても特に文句は言わなかった。こだわるときにはやめてくれと言いたくなるぐらいこだわるので、いい迷惑ではあったけど。
 ワープロが出始めの頃だっただろうか。旧字も使えるのを最初は喜んでいた「邊」でも「邉」でもない渡辺さんたちが、渡辺に戻ったなんてこともあったなあ。あの頃は、画面で見ると同じに見えるけど、印刷してみたら違っていて、ワープロ使えねえとか喚いていたかな。コンピューターの時代になってもその状況は大して変わっていない。

 近年戸籍の電子化が進められた結果、「邊」「邉」以外の異体字が使えなくなり、「辺」も合わせた三文字に集約されつつあるようだが、それに不満を抱えているワタナベさんは少なくないはずである。「邊」「邉」以外の異体字が、本来は誤字に発しているというのは、重々承知しているし、効率を考えるとすべての文字をコンピューターで使えるようにもできないというのも当然だろう。だけど、長年自分の名字として使ってきた文字に愛着と誇りを持っている人たちに、その文字の使用を禁じるのも正しいことではあるまい。
 そんな事情を飲み込んだ上で、ワタナベさんたちは必要に応じて、正字と略字を使い分けて生きている。正字のかわりに略字を使うことには特にこだわらず、正字の中における細かい違いにこだわる。それは、正字と略字の関係をちゃんと理解しているからである。字にこだわれというのであれば、このぐらいのことは知っておいてほしいものである。ワタナベさんたちの事情を多少なりとも知っている人間からすると、「渡邊」「渡邉」という表記を見ても、感心するどころか、本当にその字で正しいのかと疑うのがあるべき反応なのである。
2018年10月30日22時55分。




完本 日本語のために (新潮文庫)






 




posted by olomoučan at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語
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