新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2016年10月31日
十月廿八日(十月廿八日)
十月廿八日は、と書き出して同じ言葉が三つ続いていることに気づいた。まあたまにはよかろう。今日はチェコには少ない祝日である。名目はチェコスロバキア独立記念日ということなので、第一次世界大戦後の混乱の中からチェコスロバキア第一共和国が成立した日だということになる。
普墺戦争の結果誕生したオーストリア=ハンガリー二重帝国は、完全に一つの国になっていたのではなく、オーストリア側がハンガリーに実質的な独立を許し、政治制度の違う二つの国が、ハプスブルク家によって統治されているという点で一つにつながっていたに過ぎず、二つの国の間には明確な境界があった。
現在のチェコはオーストリア側で先進工業地帯として重きをなしており、オーストリア、ハンガリーに次ぐ帝国内第三の勢力として、独立、あるいは第二のハンガリーとして自治権を獲得する運動が行われていた。一方スロバキアのほうはハンガリー北部の山岳地帯で、林業を中心とするときに上部ハンガリーなどと呼ばれてしまう地域で、スロバキア人という民族はルシン人などと同様にその他の少数民族でしかなかった。
そんなチェコとスロバキアが、共同で独立することになったのは、かつて東は現在のスロバキア、西はボヘミアのほうまで勢力を伸ばして、ゲルマン人のフランク王国に対抗していたスラブ人の国、大モラバの時代にさかのぼって、本来ひとつの民族だったのが歴史の荒波の中で二つに分かれ、千年の時を経て再び一つになるのだとか主張されたのだったか。現実にはチェコの領域だけだと、ドイツ人人口の割合が高くなりすぎ、スロバキア人だけではハンガリーからの独立を勝ち取るのは難しそうだという事情もあってチェコ人とスロバキア人で手を握って、ドイツ人、ハンガリー人に対抗して独立を獲得しようとしたらしい。
この計画を推進したのが初代大統領になったマサリクで、スロバキア側ではミラン・シュテファーニクが中心人物であった。しかし、シュテファーニクは、独立直後の1919年に自ら操縦する飛行機が墜落して独立チェコスロバキアで政治家としてスロバキア人を指導することなく亡くなってしまう。この事件が、スロバキア側にマサリクに対抗できるような指導者が生まれることを嫌ったチェコ人側の陰謀であるという説もあって第二次世界大戦中にはナチスドイツに利用されることになる。
チェコ人にとっては独立は、ドイツ人支配からの開放を意味したが、スロバキア人たちにとっては、それまでの支配者であったハンガリー人に、西からやってきたチェコ人が取って代わっただけに感じられる部分もあったという。チェコ人は支配ではなく指導という言葉をつかったようだが、マサリクが独立運動中にスロバキア人側に約束したといわれる連邦化がいつまでたっても実現しなかったこともあって、スロバキア人たちの反感は大きかったらしい。それは共産主義の時代を経て現在まで続いており、この十月廿八日は、スロバキアでは祝日になっていないのである。一応、特別な記念日としては指定されているようだけど、それも1999年の指定で、休日扱いにもなっていない。
チェコにとって、このチェコスロバキアの独立記念日というのは、祝日の中でも最も意味の大きいものの一つで、この日は国内各地でさまざまな記念式典が行われる。特に重要なのはプラハ上で行われる勲章の授与式典だろう。最終的には大統領の決定で選ばれた人々が叙勲される儀式は、チェコがチェコスロバキアとして独立を取り戻したこの日に行われ、毎年チェコテレビが中継するのである。首相をはじめとする閣僚や、国会議員たちなど政治家も式典に出席するのが常なのだが、今年はダライラマの訪チェコをめぐる問題でゼマン大統領が、批判にさらされているため、文化大臣の所属するキリスト教民主同盟をはじめ、式典を欠席することを決めた政党が多かった。バビシュ氏のANOは、個人に決定を任せたといい、バビシュ氏本人は国外滞在中で参加できないということだった。
この件で完全にゼマン大統領を支持しているのは共産党だけで、これは中国との関係を考えると当然か。大統領の出身政党である社会民主党は、ゼマン支持派と反対派に分かれているようで、式典に参加するグループと、参加しないグループがあったようである。たしか上院の議長は、式典には参加するけど、その後の主演は欠席すると言っていた。
それとは別に行われたプラハの旧市街広場のイベントには、大統領の行動に反対する政治家たちが集まり、勲章をもらい損ねた文化大臣のおじ、現在カナダ在住のイジー・ブラディ氏に、オロモウツのパラツキー大学が授与すると決めたパラツキーのメダルの授与式も行われていた。主催者が、次回の大統領選挙への出馬を表明している人物であるところが、微妙なのだけどね。救いは、ブラディ氏が、結果的に勲章をもらえなくてよかったと、もらえなかったおかげで、他のさまざまな賞をもらうことができて、自分を評価してくれる人々と出会うことができてよかったと言っていることぐらいか。
また、俳優のイジー・バルトシュカとボイテフ・ディクを中心とする芸術家たちが、現在の政府の中国よりの政策の変更を求め、民主主義と自由を守るために、現状に対して抗議の声を上げようという運動を始めた。ネット上での署名活動では、すでにかなりの数の署名を集めているようだが、これが何かをもたらしうるのかはわからない。
結局、ダライラマと中国にひっかき回されて醜態をさらしたということか。ダライラマなんか無視して、中国政府に何を言われても右から左に聞き流していればいいのに、どっちにも過剰反応してしまうからこんなことになるのだ。
10月29日18時。