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2016年02月26日

スラビア・プラハの憂鬱(二月廿三日)



 チェコで最も人気のあるサッカーチームは、スパルタ・プラハである。チェコ中にファンがいて、アウェーの試合でも集客力は非常に高い。またチェコスロバキアリーグが分離してチェコリーグが成立して以来、正確にはそれ以前の八十年代の半ばぐらいから、チェコ最強のチームであり続けているのもスパルタ・プラハである。
 では、チェコ最古のサッカーチームがどこかというと、スパルタの永遠のライバルであるスラビア・プラハである。スラビアが1892年、スパルタが1893年の創立で、ともに120年以上の歴史を誇っている。スパルタとスラビアを合わせて「プラハのS」と呼ばれることもあり、両者のいわゆるプラハ・ダービーは、サッカーを超えたイベントになっている。プラハのチーム同士の試合でも、この両者の試合以外は「小さなプラハ・ダービー」と呼ばれてしまうのである。

 そのスラビアプラハが昨年の九月に中国の投資会社に買収されてしまった。ゼマン大統領が先頭に立ってチェコの実業家たちを連れて中国を公式訪問した際に、話がまとまったもののようだ。その買収交渉にかかわった人物が元国防大臣のトブルディークで、この人物はチェコ航空とルジニェの飛行場が韓国資本に買収されたときにも重要な役割を果たしている。うーん。
 その結果、あのスラビアの赤白に立てに分かれたユニフォームに、簡体字の漢字が書かれることになってしまった。一説によると、中国側はスラビアのシンボルである左胸に輝く赤い逆さ星(上部に二本、下部に一本足が出ている)が、中国では縁起が悪いものだから、ひっくり返して普通の星のマークにするように求めたらしい。現時点では昔のままの逆さ星が使われているので、この話がガセだったのか、クラブ側が拒否したかどちらかなのだろう。いずれにしても、中国人ならそんなことを言いかねないというイメージは持たれているということになる。

 スラビアというクラブは、九十年代の後半以降、出資者には悩まされてきたクラブである。1997年にイギリスの投資会社ENICがスラビアを買収したときには、イングランドのトッテナムやスペインのバレンシアなども所有する会社だっただけに、チェコ側も結構期待したのではないかと思う。当時、本拠地であったエデン・スタジアムの老朽化が問題になっており、建て替えも期待されたはずであるが、実際に建て替えが始まるのは、ENICが株主から外れた後のことである。
 ENICがスラビアに何を求めていたのかは不明であるが、スラビア側が期待したことはほとんど実現しなかったと言ってもいい。スポンサーとしての役割すら十分に果たしていなかった節もあるし、この時代のスラビアがタイトルから遠ざかったのも当然だったのかもしれない。唯一、よかったと言えそうなのは、ゴールキーパーのラデク・チェルニーが念願の国外移籍を果たしてトッテナムに移籍したことぐらいだろうか。それもスラビアにしてみればチームの弱体化にはつながるのだが。

 ENICから株式を買い取ったチェコ人のグループの手でエデンの地に古いスタジアムを破壊して新しいスタジアムを建設する工事が始まり、それと共に、短期間のスラビアバブルとでも言いたくなる時期が始まる。スタジアムの杮落としが行われたのは2008年の春で、そのシーズンスラビアは、監督ヤロリームの下、久しぶりにリーグ優勝を遂げたのである。
 そしてその勢いのままにチャンピオンズ・リーグの予選を突破して本戦に進出し、翌2008/09のシーズンも連覇した。これによって、スラビアはチェコリーグでスパルタ以外では初めて、リーグを連覇し三回の優勝を誇るチームになったのである。しかし、このときには後のチーム崩壊の兆しは見え始めていた。エデンのスタジアムの建設による借金や、前オーナーのENICによる何の根拠によるのかもわからない多額の支払い請求などのせいで、まず財政面で問題が表に出ようとしていた。チャンピオンズ・リーグからの収入で一息はついたものの、二連覇の後のチャンピオンズ・リーグには、格下のチームにまさかの敗戦を喫して、進出することができず、財政面は更に悪化した。
 監督のヤロリームが、選手よりも監督が表に出るチームを作ろうとした結果、二連覇中に活躍したベテラン選手をベンチに置いたり、無理に若手を使おうとしたりして、チームがうまく回らなくなってしまった。それに、タバレスというアフリカ系の選手を安く買って高く売ることに成功したせいで、中途半端に結果と育成の両方を追いかけるようになり、必要以上の数の「期待の若手」をあちこちからかき集めて、贅沢なプロ契約を結んでしまった。期待通りに成長して外国に売れれば財政難をも救うことになったのだろうが、大半は不良在庫と化してしまって、スラビアの財政を更に悪化させることになったのである。
 そのため、本当に有望な選手は、トルコやドイツ、ロシアなどに片っ端から売り出すことになり、残った中途半端な選手と、スラビア出身で外国からチェコに戻ってきた選手を集めたチームになっってしまった。2010年以降は、もちろん成績も振るわず、よくて中盤、下手をすると残留争いに巻き込まれるという状態になってしまった。そんな落ちぶれたスラビアを救うために現れたのが、中国企業だったのである。

 昨年の夏の移籍期間には、まだ完全にオーナーにはなっていなかったので、特に強化資金を出したわけではなく、選手の獲得も少なかったのだが、例年だったら売りに出されていたはずの前シーズンに大活躍したシュコダがスラビアに残ったのが一番の補強だと言われていた。この冬は、スラビアがスパルタ以上にチェコ国内から有力選手を獲得したので、中国資本が入ってきた効果は現れているようである。しかし、胸の赤い星が、共産中国の赤い星になることに、スラビアファンは耐えられるのだろうか。 耐えたくないけれども、耐えなければならないと言うジレンマが、外国人排斥の運動に参加して鬱憤晴らしをすることにつながるのではないかと、うがった見方をしてしまう。外国資本排斥とは言えないのだから。

 二連覇の時期は、スラビアのキーパーがオロモウツを永く支えてくれたバニアクという人だったこともあって、スパルタよりもスラビアを応援していたのだが、バニアク様が引退されてからは、特に応援する気にはなれなくなり、今回の件でますます応援したくなくなったのであった。

2月25日0時30分。
 うーん、翌日に終わらなかった。

 スラビアで検索したらこんなものが出てきた。大半は「ユーゴスラビア」関係のものだったので、この「スラビア」を上げておく。2月26日追記。


楽譜 スラヴィア(スラヴ狂詩曲)/J.ヴァン・デル・ロースト作曲 輸入吹奏楽譜(T)/G4/T:8:00  【10P07Feb16】


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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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