新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2016年02月24日
広報活動
このブログでは常に表示されるようになっているチェコの作家アロイス・イラーセクの『チェコの伝説と歴史』を訳した浦井康男氏が、『暗黒』というチェコの十八世紀後半の歴史を描いた歴史小説の出版のためにクラウド・ファンディングというものをしているということを聞いて、期限が迫っているけれども、お手伝いとしてこのブログでも広報しようと思う。
詳細は浦井氏の解説に譲るが、再カトリック化の進められたこの時代はチェコ史の中でもなかなかとりあつかわれない、あつかいにくい時代で、研究者ではない我々のような素人にとっては、よくわからない、それこそ『暗黒』の時代のように思ってしまう。その時代を実感するために『暗黒』のような歴史小説は非常に有用であろう。私自身もぜひ読んでみたいと思っている。日本史の教科書よりも、歴史小説やゲームで日本の歴史を、歴史的な知識や物の見方を身につけた人も多いはずである。
ぜひ以下のページをご覧いただきたい。
https://readyfor.jp/projects/temno
こんな読者のいないブログで広報しても何の足しにもならないのかもしれないが、何かしたかったということで。
詳細は浦井氏の解説に譲るが、再カトリック化の進められたこの時代はチェコ史の中でもなかなかとりあつかわれない、あつかいにくい時代で、研究者ではない我々のような素人にとっては、よくわからない、それこそ『暗黒』の時代のように思ってしまう。その時代を実感するために『暗黒』のような歴史小説は非常に有用であろう。私自身もぜひ読んでみたいと思っている。日本史の教科書よりも、歴史小説やゲームで日本の歴史を、歴史的な知識や物の見方を身につけた人も多いはずである。
ぜひ以下のページをご覧いただきたい。
https://readyfor.jp/projects/temno
こんな読者のいないブログで広報しても何の足しにもならないのかもしれないが、何かしたかったということで。
2月24日15時
名字の迷宮(二月廿一日)
ブリュックナー、ワーグナー、シューベルト、シュバルツ、シュタイナー、シュルツ、思いつくままに挙げてみたが、これは、ドイツ人ではなく、チェコ人の名字である。ドイツ語の表記そのままの場合もあれば、チェコ語風に表記が改まっているものも、両方が混じっているものもあるのだが、チェコには、ドイツ語の名字を持つ人の数が非常に多い。シュタイナーがシュタイネルとなるなど、微妙に読み方が変わっている場合もある。チェコ語の復興に尽力したユングマンもそうだったように、十九世紀以前のチェコの都市部でははドイツ化が進んでおり、ドイツ人の割合が高く、チェコ人の中にもドイツ語で生活をしている人たちは多かったのだ。
逆に、オーストリアには、チェコ語の名字を持つ人も結構いて、その多くはハプスブルクの時代に、ウィーンに出稼ぎに出てそのまま残った人たちの子孫だと言う。以前、オーストリアのテレビドラマを見ていたら、Kuceraという名字の人物が出てきて、チェコ語の名字であることに気づいた人が「クチェラさん」と呼びかけたら、「クツェラです」と訂正していた。そこに自分はチェコ人ではないという意識を見てもあながち間違いではないだろう。その一方で、ウィーンには共産主義の時代に亡命して定着した人々もいるので、街中の看板にチェコ語、チェコ語のチャールカ(´)やハーチェク(ˇ)のついた名字を見ることがあって楽しいのだが、この人たちはおそらく自らをまだチェコ人とみなしているのだろう。
最近は遺伝子分析で、チェコ人はスラブ人なのか、ゲルマン人なのか、ケルト人なのかなんて研究も行われているみたいであるが、多くの民族が行き来したこのチェコの地で、遺伝子的にも文化的にも民族というものを規定するのは難しいことである。第一次世界大戦後の民族自決という考え方は、非常に美しい理想ではあったけれども、現実には実現の困難な机上の空論に近かったのだと、かなりの反省と共に実感させられている。
ところで、チェコ人の名字には、外国人を指す言葉が使われているものがある。言葉が使えない者という意味であったらしいニェメツは、言葉の通じない隣人のドイツ人をさす言葉になっているが、名字としても使われるのである。皮肉なのは、チェコを代表する作家でチェコの民衆の間に残る民話を集める仕事もしたボジェナ・ニェムツォバーの名字がドイツ人であることだ。他にもポラーク(ポーランド人)、スロバーク(スロバキア人)、ラクシャン(オーストリア人)、スルプ(セルビア人)など近隣の民族名を名字にする人たちもいる。ハンガリー人は、一般的なマジャルだけでなく、古い呼び名のウヘルという形の名字も存在している。それから、フランツォウス(フランス人)、シュパニェル(スペイン人)という少し離れた国の人が名字になっているのは、ナポレオン戦争のときに、フランス軍の一員としてチェコにやってきてそのまま定着してしまった人たちの子孫だろうか。
そういえば、ハンガリーの水泳の選手にチェフという名字の選手がいた。チェコにいるチェフ(チェコ人)と書き方は違うが、これもおそらく民族名を基にした名字ということになるのだろう。以前、小説でスペインだか、ポルトガルだかには、日本という意味の言葉を名字とする日本人の子孫だと伝えられている人たちがいるという話を読んだことがある。現在ではそんな名字の付け方はしないのだろうが、出身国や民族を識別のために名字のように使用するというのは、かつては一般的だったのかもしれない。古代日本でも渡来人の「秦氏」は、中国の秦王朝の生き残りだという話があったなあ。
また、本来は名前として使われるものが名字になっている人もいる。その結果、パバル・パベルとか、ペトル・パベルとか、ヤン・ヤヌー(ヤンの複数二格)とか、不思議な名前が出来上がってしまう。日本だと「玉木環」さんとかいそうだけれども、漢字のおかげで読む限りにおいてはそれほど違和感を感じずにすむが、この手のチェコ人の名前がローマ字やカタカナで書かれているとセカンドネームなのかななどと考えてしまう。
チェコの典型的な名字の一つに、モラビアに多いと言われている動詞の過去形がそのまま名字になったものがある。テニス選手のナブラーティロバーも、男性形はナブラーティルで、「L」でおわる動詞の過去分詞形ということになる。ちなみに動詞ナブラーティットは、「元に戻す」という意味である。他にもビスコチル、ネイェドル、ポスピーシルなどなど。どういう事情でそんな名字が出来上がったのか、物語の一つでもありそうである。
二つ以上の言葉を組み合わせて作られた名字も紹介しておこう。以前オロモウツの中央駅の切符売り場に、ビータームバーソバーさんという方がいた。窓口に表示されている名前を見ただけで話したことなどはないのだが、この方の名字の男性形はビータームバースで、日本語に訳すと「ようこそ」とか、「みなさまを歓迎します」という意味になってしまう。ネイェスフレバさんは、「パンは食べるな」という意味になるし、スコチドポレさんは、「畑に跳びこめ」という意味になるのである。これも名字の起源について調べたら面白そうである。
以前、チェコテレビのニュースのリポーターに、バコバーさんという人がいた。友人達と男性形は「バク」か「バカ」か「バコ」のどれなのだろうという話をしていたら、調べてくれた人がいて、どうも「バカ」さんらしい。さらに「バカ」という村があることまで判明して、なんだか申し訳ないような気持ちになった。関係者には日本人と関わらないことを勧めておこう。そして、昔チェコ語を勉強していたころに同じ授業に出ていたシャシンコバー(シャシンカの女性形)さんには、ぜひ兄弟に日本語を勉強させて、日本でカメラマンとして仕事をさせて欲しいところである。
2月22日12時30分。
チェコにもこの手の本、辞書があったりするのだろうか。読んでみたいような、みなくないような。2月23日追記。