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2016年02月22日

早起きの国チェコ(二月十九日)



 日曜日午前十時三十分。何の時間だと思われるだろうか。実はこれ、チェコで一部のスポーツの試合が始まる時間なのである。日曜日は、朝起きて朝食を取って、スポーツの試合を見に出かけて、終わったらどこかで昼ごはんを食べるという生活のスタイルがあったのかもしれない。
 サッカーでは、プラハを本拠地とするボヘミアンズ・プラハと、ビクトリア・ジシコフのホームゲームが伝統的に午前十時半から行われていた。おそらく同じプラハを本拠地とするスパルタとスラビアのホームゲームと時間が重ならないようにするという意味もあったのだろう。土曜の夕方にスパルタの試合を見て、日曜の午前中にボヘミアンズを試合を見るという人もいたに違いない。ただ、それまでホームチームが独自に設定していた試合開始時間に、サッカー協会が口を出すようになった結果、少なくとも一部リーグの試合からは日曜日午前十時半の試合は姿を消した。それが、ただでさえ不安定だったボヘミアンズとジシコフの成績が下降線を描くようになった原因であるような気がする。
 この試合開始時間を今でも守っているスポーツとしてはハンドボールがある。ハンドボールの一部リーグでは、土曜日、日曜日の午後に試合が行われることもあるが、少なくとも一試合は、日曜日の午前中に行われる。面白いことに女子のリーグでは、日曜日の十時半からの試合は存在しない。そして、日曜日の午前十時半からは、特別な事情がない限りチェコテレビのスポーツチャンネルで、ハンドボールの試合が放送されることを考えると、テレビでの放送枠を確保するために、伝統を守り続けていると言ってもよさそうだ。サッカーやアイスホッケーなどの人気スポーツを押しのけて、ハンドボールを放送すると言うわけにも行かないだろうし。

 思い出してみると、チェコテレビのスポーツチャンネルが誕生する以前、テレビでの中継がなかった時代にもハンドボールの試合は、日曜日の午前中に行われていた。チェコに来たばかりのころ、ハンドボールの試合を見たいと言ったら、スポーツ観戦が趣味だという友人が自分の町に来ないかと誘ってくれた。友人は、オロモウツからオストラバに行く途中にあるフラニツェ・ナ・モラビェという町に住んでいて、そこにセメント・フラニツェというハンドボールのチームがあるというのだ。セメントというのは、チームのスポンサーで、フラニツェでセメントの生産をしている会社だそうだ。
 この電車に乗って来てねと言われて渡されたメモを見てびっくりした。八時台の電車に乗るように書かれていたのだ。その理由が試合開始が午前十時半だからだということを聞いてさらにびっくりした。まだ何もしらなかったので、午後から試合だと思っていたのだ。当時はまだペンドリーノの導入によるチェコ鉄道の高速化が始まる前で、オロモウツからフラニツェまで急行でも一時間ほどかかったと記憶している。チェコの電車は一時間に一本というところなので、十時半の試合開始に間に合おうと思うと、オロモウツを八時台に出る電車に乗る必要があったのだ。

 さらに大変だったのは、同じ友人に誘われてカルビナーにハンドボールを見に行ったときのことだ。前年のリーグで優勝したカルビナーが、ヨーロッパのチャンピオンズリーグに参戦するので、予選だったかもしれないが、見に行こうと言われたのだ。自分で試合の予定を調べたり会場を調べたりする必要がなかったので、もちろん行くと答えたのだが、この試合も午前十時半からだったのだ。カルビナーは、オストラバからさらに先、ポーランドとの国境近くにある町で、当時は、オロモウツから出かけるには、結構厄介なところだった。ボフミーン回りで行ったのか、トシネツ回りで行ったのか、いや行きと帰りでルートが違ったような記憶もある。とまれ日曜日の早朝、七時ごろの電車に乗ることになってしまった。それでも会場に到着したのはぎりぎりで、体育館のすみっこの一番後ろの立見席しか残っていなかった。カルビナーとモスクワのチームとの試合は、モスクワ有利の予想に反して互角で、会場のおっさん達の盛り上がりに巻き込まれて興奮して叫んでしまうぐらいには面白かったのだけど、このときのことで一番印象に残っているのは早起きしなければならなかったことなのである。
 最近は資金難からチェコリーグで優勝しても、ヨーロッパのチャンピオンズリーグには参戦しないチームが多いため、今でもチャンピオンズリーグの試合を、午前中にやれるのかどうかはわからない。他のヨーロッパのカップ戦は、午後から行われることが多いような気がするが、それがルールになっているのだろうか。

 その後、あちこちで通訳の仕事をして気づいたことがある。一体にチェコ人は早起きなのである。工場の一般的な昼間の勤務は午前六時から始まる。こんな生活に慣れていたら、日曜日の午前十時半からのスポーツの試合というのは、ごく普通のことで何の問題もなさそうだ。こちらに来たばかりのころにあれっと思ったサッカーの試合が、午後の比較的早い時間に行われることが多いのも、早起きのためには早寝をしなければならないという事情があるのだろう。最近はヨーロッパの流行に合わせて、午後八時からとか、以前ではヨーロッパのカップ戦で、外国のチームと対戦するときにしか考えられなかった時間からの試合もないわけではないが。
 この午前六時から仕事を始める理由については、午後の早い時間に仕事が終わることで、特に夏場の日の長い時期には、自宅で庭仕事をしたり、日本だと日曜大工でするようなことを平日にするためだと聞いたことがある。共産主義の時代には、いろいろなものが不足していたので材料だけ手に入れて自分たちて作るのが普通だったという話を聞いていたので、そんなものかと思っていたのだが、最近、そうではなかったことを教えられた。
 チェコがまだハプスブルク家の支配下にあったころ、皇帝が不眠症を患っていたらしい。皇帝は毎朝夜が明けるかどうかの早朝から執務し、当然、臣下たちも早朝から登庁して仕事をするようになり、それが国土全体に広がって行ったとも、自分が仕事をしている時間帯に臣下たちが寝ているの許せなかった皇帝が、強権的に午前六時からの就業時間を決めてしまったともいう。不眠症であったことには同情するが、まったくはた迷惑な皇帝である。でも、オーストリアで工場の始業時間が早いなんて話は聞いたことがないので、この制度が定着したのはチェコだけで、早朝からの仕事がチェコ人の民族性にあっていたから定着したのだという可能性もないわけではないけど。
2月20日22時30分。
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