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2016年02月20日

ラグビー(二月十七日)



 2015年を振り返って、最も衝撃を受けた事件は、やはりラグビーワールドカップでの日本代表の活躍だろう。思い返せば、1980年代から、90年代の初めにかけて、時代はラグビーだった。伏見工業のラグビー部をモデルにしたテレビドラマが一世を風靡し、早慶戦、早明戦を中心とした大学ラグビーの人気は、Jリーグ発足前のサッカーの人気を凌駕していた。当時代表をジャパンとだけ呼んで、一般にも定着していたのはラグビーだけで、今となっては恥ずかしい限りだが、その特殊性もなんだかかっこよく思えたものだった。

 通っていた高校には、ラグビー部はあってもサッカー部はなく、グラウンドには普通サッカーのゴールがあるところにラグビーのゴールポストが立っていた。そのため、体育の授業でも、クラス対抗のスポーツ大会でも、サッカーではなくラグビーが行われることがあり、文系クラスで男子生徒が少なかったこともあって、全員出場しなければならなかった。もちろん、本物のラグビーをやるのは危険なので、タッチラグビーと呼ばれるタックル禁止の安全なルールで行われたのだが、血気盛んな高校生が、そんなルールを完全に守れるわけがなく、ラグビーの後はあちこち体が痛んだし、体操服が破れたり、ゼッケンが剥ぎ取られたりしていたのだった。一番大変なのは審判役の先生や、ラグビー部員だったのだろうけど。
 そんな体験があるからこそ、おそらく今でも普通の人よりはラグビーのルールに詳しいし、90年代の半ばぐらいまでは、ワールドカップの遠かったサッカーの代表よりも、自分でもプレー経験のあるハンドボールの代表よりも、ラグビーの日本代表に注目し、期待して応援していたのである。
 それなのに、威勢がいいのは大会が始まる前までで、大会が始まると惨敗か、よくて相手がメンバーを落としてきたおかげで惜敗という結果が繰り返された。当時のチームスポーツの日本代表なんて、ラグビーに限らずそんなのばかりだったという気もするのだが、ラグビーは最後の期待だっただけに失望も大きかった。

 そして、90年代の半ばに、確か双葉社から出ていたと思うのだが、ラグビー関係の内幕を暴露して批判している熱狂的なラグビーファンたちの書いた本(確か『ラグビー黒書』だったかな)を読んで、ラグビー界というものの闇を知る。選手達がどんなにがんばっても、監督が誰になっても、ラグビー協会があれではどうしようもないのだと。その結果、ラグビーの代表に関しても、他のスポーツと同じように応援はするけど、結果は期待しないというスタンスになった。
 こちらに来てからのワールドカップの結果は、特に2011年のワールドカップはチェコでも放送されて中継を見たはずだけれども、まったく覚えていない。日本が勝っていれば絶対に喜んだはずだから、たぶん一勝もできなかったのだろうと考えるぐらいである。日本の試合はあまり注目されておらず放送されなかった可能性も高い。それで、結果だけ見てああ負けたのねと納得しておしまいだったのだろう。

 だから、去年のワールドカップの南アフリカとの試合も、頑張ってほしいと思ってはいたけれども、勝てるという期待はまったくしていなかった。インターネットでは、今回の代表は違うなんて記事も見たような気がするが、これはいつもの提灯記事だろうと思って本気にはしていなかった。日本代表の試合だから見るというよりは、チェコでは珍しいラグビーの中継だから見るというような気持ちもあった。ラグビーは、見る分にはサッカー以上に面白いスポーツだし、試合の内容を味わいながら見るならスタジアムに行くよりテレビで見たほうがいいスポーツなので、中継があると見てしまうのである。
 前半、点を取られても取り返して差が開かないのを見て、あれっと思った。北半球のチームになら善戦できるイメージはあったのだが、南半球のチームにここまで食い下がれるとは思わなかったのだ。この時点で試合を見た甲斐はあったと半分以上満足だった。後半に入っても、必死に見ていたので試合経過なんか覚えていないのだが、離されずに食いついていって、同点に追いついたときには、この試合は負けても満足というか、これまでラグビーの代表の試合を、いやラグビーの試合を見てきて、ここまで感動したことはなかった。そして、終盤日本が反則を犯したときに、南アフリカがトライを狙わずに、ペナルティゴールを選択するのを見て、この試合は負けるだろうけど、ここまで南アフリカを追い詰めただけでもう十分、残りは全敗でも、これまで応援してきた甲斐があって、これからも応援していけると思ったのだ。それが、あんな結末が待っているとは、ゆめにも思えなかったし、試合が終わった後には、現実感が全くなかった。

 スコットランドには負けてしまったものの、残りの二試合をきっちり勝ち切るのを見て、このチームは本当に違ったのだと、ワールドカップ前の報道を信用しなかったことを後悔した。信じていれば、細かに報道を追いかけてもう少し臨場感をもってワールドカップを楽しめたのに。
 とまれ、選手や監督などスタッフの努力は、賞賛しても賞賛しきれない。協会の頭があれでも、現場の監督、選手たちの頑張りで素晴らしい結果が出せたこと、出せるということがわかったのも大きな収穫の一つだろう。今後も、期待はしないで、それでも今回よりは熱心に日本代表の応援をしていくことになりそうだ。

 ところで、チェコでもラグビーは行われているのだが、それほど人気のあるスポーツではなく、チェコテレビも中継の経験が少ないせいか、アイスホッケーやサッカーの中継と比べるとレベルが低かった。解説者のコメントは悪くないのだが、テレビ局のアナウンサーが余計なことをしゃべってうるさすぎた。それに、以前から疑問だったのだが、トライを獲得できる点数に合わせて「5(ピェトカ)」と呼んでいるし、ノッコンもスローフォワードも同じ反則扱いだし、モール、ラック周辺の反則のほとんどはオフサイドで処理されてしまっていた。昔はトライは「4」と呼ばれていたのだろうか。このあたりのあいまいさが、チェコのラグビーがなかなか強くなれない一因かもしれない。
 チェコのラグビー代表はヨーロッパの下部カテゴリーで苦戦しているけれども、何かの間違いで、2019年に日本で開催されるらしい次のワールドカップに出場できたりしないかなあ、通訳として雇ってもらえないかなあなどと妄想の翼を広げてしまう。東京オリンピックには興味はないし、中止になってもいいと考えてしまうのだが、ラグビーのワールドカップは、見たい、見に行きたいと思ってしまう。いや、今回の日本代表の姿に、見たいと思わされてしまったのである。
2月18日16時30分。



 次の大会に向けて、たかだか一大会うまく行ったことを喜んでいないで、負け続けた歴史を、善戦に終わり続けた歴史を振り返ることが必要だろう。2月19日追記。


ラグビー「戦後70年史」


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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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