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2016年02月15日

難民? 不法移民?(二月十二日)



 シリアやイラク、アフリカなどからヨーロッパに押し寄せる人々と、それに対する政策については以前から考えをまとめたいと思っていたのだが、なかなか考えがまとまらない。いろいろな立場からあれこれ考えて結論めいたものを引っ張り出しても、どうにも納得できないのである。
 その理由をつらつら考えるに、関係者のいずれに対しても、違和感と言うか、納得できないところと言うか、理解できないところがあって、共感しきれないことがその原因のようである。考えをまとめるために、それぞれに感じる違和感を並べ立ててみることにする。

 まず、恐らく最も多くの反対者と最も熱狂的な支持者を擁する急進的な移民排斥を主張するグループから始めよう。外国人としてチェコに住んでいる私には、このグループには共感のしようもないのだが、この連中が掛け声に使うスローガンは、「チェヒ(=ボヘミア)はチェコ人に」というものである。じゃあモラビアとシレジアはいらないのかという揚げ足取りは置くにしても、納得できないのは、この連中がドイツのネオナチと手を組んで、ヒトラーを信奉しているところだ。今回の難民問題が発生する前から不思議だったのだが、チェコスロバキアに侵攻し、チェコをドイツの保護領にしてしまい、ユダヤ人の次にはスラブ人を絶滅させることを計画していたとも言われるヒトラーを信奉することが、「チェヒはチェコ人に」にどのようにつながると言うのだろうか。
 また、最近このグループに接近して積極的に活動発言している政治家に、自称日系人のトミオ・オカムラ氏がいる。この人物に関してはいろいろ言いたいこともあるだが、簡単に言えば日本人であることを声高に主張して、それを売り物に支持を集め、大統領選挙への出馬を画策した挙句に、国会議員にまでなってしまった人物である。こんな人物を擁するグループが叫ぶ「チェヒはチェコ人に」の「チェコ人」の中に誰が含まれるのか私には理解できそうもない。
 言葉の通じない文化の異なる人々を、その人々との接触を恐れる気持ちは、恐らく自然なものだろう。そこから外国人との接触を避けて近づかないという方向に向かうのは、自分の経験からも理解できるのだが、それが、外国人に対する攻撃性につながる裏には何があるのだろうか。日本の幕末の尊王攘夷運動は、外国、外国人への恐怖感が政治的に利用された事例だが、誰かが同じようなことを画策しているのかもしれない。

 難民の受け入れと支援を主張するグループは、偽善が好きな私としては支持しやすいのだが、それでも理解できない点がある。目の前で困っている人を助けたいと思う心は賞賛に値する。ただ、人間の食料になる鯨には同情しても、戦争や飢えで死んでいく人には何も感じないらしい環境保護テロリスト達の轍を踏んではいまいかと危惧するのみである。つまり、国内で生活苦にあえいでいる人には、冷淡でありながら、外国人だから支援してやろうと言う気持ちになるという面はないだろうかということなのだが、これはささいなことである。
 難民の受け入れを主張するのはいい。ただ、その難民の大半は、チェコに残ることを望んでいないのである。このグループは、難民の意思を無視してチェコに受け入れることを主張しているのだろうか。それとも、チェコを自由に通過させてドイツに行かせろというのだろうか。前者であれば難民がチェコに恨みを感じるきっかけを作ることになるし、後者であれば裏社会ともつながりがあるといわれる難民輸送業者の活動に正当性を与えてしまうことになりはしまいか。逃げてきてしまった以上は仕方がないから、物資や金銭の支援をするというのであれば、思考停止のそしりは受けるにしても、まだ納得もできるのだが。
 その意味で、チェコ政府がEUによる難民の受入数の強制を拒否して、チェコへの居住を求めるもののみを受け入れると主張しているのはおそらく正しい。ドイツ行きを希望する者を、無理やりチェコで受け入れたときに、何が起こるのかはあまり想像したくない。その一方で、チェコ政府はイラクなどから少数派のキリスト教徒の家族を積極的に受け入れている。この事業が政府主体で行われているのか、実際に面倒を見ているキリスト教系の団体主導で政府は便宜を与えているに過ぎないのかはわからないが、いずれにしても、同化しやすいというと語弊があるので、社会に適応しやすそうな難民を優先的に受け入れようとするのは、国家の安全を司る為政者としては当然のことであろう。

 難民と言い、不法移民と言う。どちらの呼称を使われても、テレビの画面に映る姿を見ると違和感をぬぐえないのだが、このグループにも同情はできても共感はしづらい。難民と言われて思い浮かべるのが、食うや食わずの半死半生の状態で日本に流れ着いた80年代のベトナム難民なので、携帯端末を片手に荷物を担いで闊歩する姿には違和感しか感じられない。
 それは時代の移り変わりとして受け入れるにしても、受け入れを求めるEUのルールを無視し、通過する国々に対する敬意を感じさせないのはどうかと思う。彼らの多くは、目的の国、特にドイツにたどり着くためだったら、何でもするという感じで、途中にある国など障害物としてしか考えていないところが見受けられる。受け入れ先のヨーロッパに適応しようという意志はあまり感じられず、これでは通過する国の、国民の共感を得るのは無理な話だろう。自らの行動で立場を悪化させていることに、気づかないのだろうか。難民保護の世論が高まるのは、お涙ちょうだいのストーリーが大好きなマスコミが、悲しくも逃走の途中で命を落としたいたいけな子供の写真を公開したときぐらいでしかないという、残酷な、あまりに残酷な事実は、何かを物語っているに違いない。

 もっとも、このようなヨーロッパに逃げてくる人々の態度を生み出したのは、「ヨーロッパ、特にドイツに行けば何とかなる、困ったらヨーロッパが助けてくれる」という偽りの希望をばら撒き続けたドイツを中心とするヨーロッパの政策なのだから、最も責められるべきは、批判されるべきは、EUなのだ。そして、偽りの希望すらも失い、ヨーロッパに裏切られたと感じて絶望した人々の一部が、イスラム国に、テロリズムに走るというのが、現状なのであろう。
 この件に関してのEUに対する批判は、山ほどあるが、考えがまとまらないので、稿を改めることにしよう。本稿も決してまとまっているとはいえないが、とりあえず現時点でのまとめとして、形にしておく。
2月13日15時。


 こういうテーマには、この広告を。EUのやっている、ありもしない理想の押し付けや、ボランティアとは名ばかりのバカンスよりは、この手の偽善の方がはるかにましであろう。2月14日追記。







タグ:EU批判
posted by olomoučan at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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