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2016年02月11日
最も偉大なチェコ人――もしくは不思議の国チェコ三(二月八日)
十年ほど前に、恐らくBBCの作ったフォーマットを購入して、チェコテレビが、歴史上もっとも偉大だと思うチェコ人に関するアンケートを行って番組を作っていた。最も偉大なチェコ人として公式に選ばれたのは、多くの予想通りルクセンブルク家のチェコ王で、神聖ローマ帝国の皇帝にもなったカレル四世であった。しかし、真の勝者は別にいると言われている。それが本稿のテーマとなる人物ヤーラ・ツィムルマンである。
ヤーラ・ツィムルマンは、チェコの偉大な発明家であり、思想家であり、作家であり、画家であり、一言で言えばあらゆることに才能を持った万能の人であったとされる。だから、最も偉大なチェコ人として選ばれるのになんら不足はない。ただ一点だけ、実在しないと言う点を除いては。
チェコテレビでは、アンケートの結果を発表するに当たって、ツィムルマンをどう扱うかについて、BBCに相談したらしい。その結果、架空の人物は対象外であるということになり、選外扱いで、実際にどれだけの票を集めたのかも公開されなかった。ただ、恐らくツィムルマンのほうが、カレル四世よりも票を集めたのではないかと考える根拠としては、アンケートの結果を公表する番組の前に、特別編としてツィムルマンを扱った番組を作成して放送していたことが挙げられる。
義母の話では、最初はラジオ番組として始まったらしい。日本でも知られている「コーリャ」で主役の一人であるバイオリン奏者を演じたズデニェク・スビェラークが、盟友ラディスラフ・スモリャクたちと組んで、どこどこの農場の倉庫から、ツィムルマンが発明した何々、使用していたカニカニが、発見されたというようなニュースレポート風の番組を放送していて、それを初めて聞いたときには本当のことだと思ったと回想していた。
そんな助走期間を経て、ツィムルマンの全貌を明らかにするために撮影されたのが、映画「ヤーラ・ツィムルマン――横たわり、眠りし者」(仮訳)である。この映画は、ツィムルマン関係者が撮影した映画の例に漏れずなかなか複雑な構成である。
映画は、ヨゼフ・アブルハーム演じるツィムルマン研究者がリプターコフという村を訪れるところから始まる。同時にドボジャークに関係する土地を巡る観光ツアーもガイドと共に到着し、ドボジャークではなく、ツィムルマンの記念館に一緒に入る。イギリスからわざわざ訪れたドボジャーク研究者に何を言えばいいのかと尋ねる通訳に、ガイドが返す「ドボジャークの親戚の伯父さんとでも言っとけば」とかいうシーンを挟んで、記念館の案内役の老婆が案内を始める。無愛想な上に、自分で説明せずにカセットテープに吹き込んだものを再生して聞かせ、言葉を発するのは次の部屋に移るときぐらいというのは、当時の実態を示しているのだろうか。
とまれ、映画はこの老婆の案内で記念館を見て回る部分と、ツィムルマンが何をしたのかが直接に語られる部分が交互に現れる形で進んでいく。最初のツィムルマンが現れる部分では、子役が演じているのだが、ウィーンでの子供時代に女の子として育てられ、女子校に通っていたときに、初めて自分が男であることを知ったという事実が明らかにされる。
その後は、スビェラークがツィムルマンを演じ、さまざまな分野での活躍が語られる。例えばチェーホフが、「二人の姉妹」という作品を書いていると言うのに、「ちょっと少ないんじゃない?」と言ったり、エッフェル塔を設計中のエッフェルや、オーケストラと自作の曲の演奏の練習をしているシュトラウスにアドバイスをしたりする。プラハの街を歩けば、ドボジャークなどのチェコの有名人たちと出会って、チェコ人にとっては笑えるらしい会話を交わす。またダイナマイトや、電話などさまざまなものを発明して特許の申請をしに行くが、すべて直前に、実際の発明者たちが現れて申請を済ませたと言われるのである。結局ツィムルマンの特許が認められたのは、女性用のセパレートタイプの水着、つまりはビキニだけという落ちがつく。でも、実際に発明したのは誰なんだろう。
その後も、大きな紙に海を描いてプラハに砂浜を再現したり、ハプスブルク家の子供たちの家庭教師をして思想教育をしたり、皇太子の影武者を使ってチェコの独立を目指したり、どうしようもない戯曲を書いて素人劇団と一緒に飲み屋などで公演をして逃げ出したりしたあとで、姉の後を受けてリプターコフで小学校の先生になる。そして、チェコ人であるための教育を子供たちに施し、リプターコフを出て行くツィムルマンを子供たちが見たのが、最後の目撃例だというのである。
ここで、気になるのはツィムルマンを演じるスビェラークのほおに、T字型の傷があることで、記念館の老婆の頬にも同じような傷跡が残っていることを考えると、老婆はツィムルマン本人なのかもしれないと思わされる。しかも、見学が終わって夜になると、老婆はツィムルマンの吸いさしと書かれた葉巻に火をつけなおして吸い、ツィムルマンのベッドと書かれた展示物のベッドに横たわって眠るのである。
全編を通して外国人にはよくわからない冗談がちりばめられていて、全て理解できているわけではないが、非常に楽しい映画である。どうしてこんなに気に入ったのだろうと考えて、『石の血脈』や『産霊山秘録』などの半村良の小説とつながるところがあるのに気づいた。どちらも、スケールの違いはあるけれども、歴史的事実の裏側に架空の存在を設定することで、その事実の意味を改変していくという点で共通している。チェコの歴史に関して半村良的な歴史読み替え小説を読みたいと思ったが、十分に楽しむためにはチェコの歴史に堪能である必要があることに気づいてしまった。
閑話休題。
ツィムルマンはこの映画で終わったのではなく、その後もスビェラークとスモリャクが中心となって、演劇の形で、さまざまな展開をすることになる。テレビで公演の様子が放送されることがあるのだが、普通は前半部分は、ツィムルマン研究者にふんした俳優達が、自分たちの研究成果を発表する学会の形式を取り、その学会で発表された新発見の戯曲やオペラなどが、後半部分で演じられることになる。この劇内劇ともいうべきツィムルマンの作品(ということになっている)を基に、映画化されたものもあり、ツィムルマン劇場の活動を題材にして撮影された映画もある。
また、スビェラークたちとは別れて独自の活動をしている劇団もあってツィムルマンはチェコ人にとっては、実在の人物以上に重要な自分であるようだ。チェコ各地に、個々にツィムルマンが来なかったことを記念した記念碑というような、半分冗談で、半分真面目に作られたツィムルマン関係の記念物が存在するらしい。
だから、外国人ではあるけれども、私のようなツィムルマンを知る者にとっては、最も偉大なチェコ人として選ばれても何の不思議も感じないのである。私自身、ハベル大統領の後任は誰がいいと思うかと聞かれて、半分本気でツィムルマンと答えたことがある。クラウスやゼマンなんかよりは、スビェラークが、ツィムルマンの名前で、ツィムルマンの思想に基づいて大統領を務めたほうがマシなんじゃないかと思われたのだ。
チェコ的、あまりにチェコ的で、外国人には理解しにくいであろう、このツィムルマンを理解できるようになったら、チェコ語も十分な力があると言えるのだろうが、道は果てしなく遠いような気がする。
2月9日23時30分。
こういう売り方があるとは思わなかったんだけど、スビェラークの本が手に入るのであれば悪くない。この五冊なら、一冊目の「お父さん、うまいわね」(仮訳)だけあれば、十分。この本だけで元が取れるぐらい面白いし。2月10日追記。