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2016年02月05日
ネドベドの後継者(二月二日)
以前、「プラハの巨塔」というチェコサッカー専門のブログがあって、チェコ代表やチェコ人選手について、ものすごく詳しい記事が結構ひんぱんに投稿されていた。私も毎回楽しみに読んでいて、ときどき現地ネタということで、書き込みもさせてもらっていた。そこに半分以上本気で書き込みをしたのが、フィリップ・イーハ=ネドベド説である。あれは、世界選手権か、ヨーロッパ選手権でのイーハの孤軍奮闘ぶりに感動して思わず書き込んでしまったものであった。
おそらく、イーハを知っている人はほとんどいないと思うが、ここ十年以上にわたってハンドボールのチェコ代表の中心として活躍している選手である。チェコハンドボール界の至宝という言葉がふさわしく、四字熟語で言えば空前絶後の大選手ということになる。今年の夏に、スペインリーグのバルセロナに移籍してしまったが、それまでは十年近くにわたって、ヨーロッパ最強のチーム、ドイツのキールの屋台骨を背負ってきた選手である。
イーハ=ネドベド説を唱えてしまったころのチェコ代表チームは、センターにイーハがいて、両サイドにノツァルとフィリップ、守備要員として超ベテランのクベシュがいるという今から考えると贅沢な布陣だったのだが、それだけで勝てるほど、ヨーロッパ選手権は甘くない。イーハにマンツーマンでマークを付けて、サイドをしっかり固めて、イーハ以外のセンタープレーヤーにロングシュートを打たせるような守り方をされると、途端にチェコ代表の攻撃力は激減した。それに、現代の高速化したハンドボールでは、キーパーを除けば、六十分フル出場するということはほぼありえず、イーハの体力回復の間の代役が必要になるのだ。
当時の代表のセンタープレーヤーで、イーハ以外にある程度得点やペナルティーにつながる反則を取ることを計算できたのは、ドイツの二部リーグにいたスクレナークぐらいしかいなかった。決して背が高くて体格に恵まれているわけでも、技術的に素晴らしいものがあるわけでもなかったが、どたどたと相手ディフェンスの間に入り込んで無理やりシュートを打ったり、ディフェンス選手の手を顔に受けて反則を取ったりしていた。見ていて不思議なくらい点が取れて、ペナルティーがもらえたり、相手を退場させたりするのだが、そのプレーは本当に身を削るという感じで、痛々しかった。イーハのロングほどの効率のよさも衝撃もなかったが、イーハが休んでいる間の攻撃を支えたのはスクレナークだった。
他のセンタープレーヤーは、イーハに次ぐ大砲となれそうな予感を秘めたホラークは、ドイツに移籍をしたばかりでヨーロッパレベルでの戦いになじんでいなかったためもあって、まだ本領発揮とはいかなかった。左利きで背が高くフランスでプレーしているステフリークも、たまに目の覚めるようなシュートを決めるけれども、シュートを打つのを避けてパスすることが多かったし、結局はマークについた相手プレイヤーを引きずるような形で、イーハが強引に、強引過ぎる形でシュートに行かざるを得なくなることが多かった。
一次リーグの最終戦ともなると明らかに疲れているのが見える体を引きずって、無理やりシュートを決めるイーハの姿に、一度や二度外しても、俺に任せろとばかりにシュートに行くイーハの姿に、サッカー代表で周囲を鼓舞するネドベドの姿を重ねてしまったのである。
チェコのスポーツドクターがいろいろなスポーツ選手を評して、一番頑丈で痛みに強いのはハンドボールの選手だと言っていた。サッカーの選手が痛がって転げまわって泣きを入れるような怪我でもハンドボールの選手は平然と立ち上がってプレーを続けるし、テーピングでがちがちに固めて無理やりにプレーできる状態にもっていくこともあるから、ハンドボールの選手が痛いとか、プレーできないと言うときには本当に動くのも辛いと言うことなのだそうだ。日本のラグビー選手みたいなのが、チェコのハンドボール選手らしい。
もっとも、この怪我への対応も良し悪しで、だから選手寿命が短くなって、以前のサッカーのように三十歳を過ぎると、若いころからの無理がたたって体が思うように動かなくなって代表を引退したり、クベシュのように守備専門になったりすることが多いとも言えそうだ。イーハもその例に漏れず、最近は怪我がちで欠場することも増えている。
昨年の夏に、イーハが、数々の栄光を手にしてきたキールを出て、バルセロナ移籍を選んだとき、金銭的な問題を抱えているために移籍を選んだんだというゴシップ紙の報道があった。イーハがすごいのは、そこで簡単に否定するのではなく、信頼していた知人に裏切られてお金を失ったのは確かだが、移籍の一番の理由は金ではなく選手寿命を延ばすためだと答えていた点だ。北ドイツでの生活は気に入っていたけれども、寒冷に過ぎる気候の中でプレーするよりも、温暖なところでプレーしたほうが怪我も少なくなって選手寿命が延ばせ、またドイツは試合数が多くてスケジュール的に、辛い面があったので、バルセロナを選んだのだと言う。
こういうメディアへの対応を見ていると、イーハと言う人は頭がいいのだろうと思わされる。インタビュー何かの受け答えでも、出来合いの言葉ではなくて自分の言葉で、聞いている人にわかりやすく話すし、スポーツ選手が連発することで冗談になってしまった「タク・ウルチチェ」(「そうですなんです」とでも訳しておこうか)という表現も滅多に使わない。使うのは、冗談か、インタビュアーの質問がどうしようもなさ過ぎて他に答えようがないときに限られている。この辺はサッカーのペトル・チェフも共通していて、息長く活躍できる選手は、学校の成績どうこうではない意味で、頭がいい人が多いのだろう。
とまれ、鉄人イーハも永遠にチェコ代表でプレーし続けることはできないのだから、イーハのいるうちに、世界選手権やヨーロッパ選手権でメダルを取ってほしいものである。監督が代表での盟友クベシュとフィリップになって、外国でくすぶっている実績のある選手よりも、国内で大活躍した選手を優先して呼ぶようになったこともあって、期待しているところである。
ハンドボールの日本代表は、ロサンゼルスオリンピックで期待を裏切られて以来、応援はするけど、期待するのはやめてしまった。「世界のガモー」というのは、結局のところ、本当の世界を知らなかったあのころの日本にたくさんいた「世界の○○」の一つに過ぎなかったのだ。
2月3日23時。
リンクというものに挑戦。それから、この雑誌だと思う。ロサンゼルスオリンピック前の日本代表の親善試合での好調ぶりを伝えて、メダルが取れたりするかもと思わせてくれたのは。応援するチームの親善試合の結果を信用しなくなったのは、このときの経験が大きい。2月4日追記。