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2016年02月04日

壊れかけのモーツァルト(二月一日)



 チェコサッカー界の誇る天才トマーシュ・ロシツキーが、小さなモーツァルトと呼ばれて賞賛されていたのは昔の話、今ではプレーしている期間よりも怪我で欠場している期間のほうが長いという選手になってしまった。そのため、以前では絶対に考えられなかった、健康であっても、いつ怪我をするかわからないから、ロシツキーをチェコ代表から外すべきだという意見も出るようになって、ファンとしては悲しい限りである。今回も昨年の夏のEURO予選のアイスランド戦での負傷から、半年ぶりにようやく復帰したと思ったら、またすぐに怪我をして一月以上の欠場が見込まれていると言う。怪我せずにプレーできたのは四分だけという情報もある。
 以前は、代表にネドベドが君臨していて、ロシツキーがその庇護のもとにプレーしていたころには、線の細さは感じさせたけど、そんなにひんぱんに怪我をしていた印象はない。ここで思い浮かべているのは、2004年のユーロの予選から本戦にかけての歴代最強のチェコ代表の姿だが、あのころの、ロシツキーとコレルの組み合わせはとんでもなかった。ドルトムントでも一緒にプレーしていたおかげか、相手の動きが目をつぶっていてもわかるのではないかと言いたくなるようなコンビネーションを見せてくれていた。恐竜と呼ばれた巨人コレルと、小柄なロシツキーの組み合わせは見ていて本当に楽しかったのである。この二人にネドベドがいれば、チェコの攻撃陣は無敵だと思えたのだけれども……。
 ネドベドが代表から引退して、名実ともにロシツキーのチームになったとき、一番狙われやすい立場に立ったのが怪我を増やしたのかもしれない。気合が入りすぎて無理をしたのかもしれない。それでも、せんなきこととは知りながら、気候も試合内容も試合数も過酷なイングランドに、アーセナルなんかに行かないで、ドイツでプレーし続けていたら、ここまで怪我が多く、欠場が長引くことにはならなかったのではないかと思ってしまう。

 しかし考えてみれば、あれからすでに十二年、代表の第一線で活躍している、いや活躍が期待できるだけでも賞賛に値するのかもしれない。当時の中心選手は、軒並み引退してしまって、今でも代表で頑張っているのは、ゴールキーパーのペトル・チェフぐらいしかいない。当時は控え組で期待の若手だったプラシルでさえ、ベテランになって、ここ数年は代表におけるモチベーションの低下を指摘されているのだ。
 当時代表にいたと記憶する若手選手たちの中でも、バロシュは、チェコに帰ってきて、いまいちだったオストラバを出てムラダー・ボレスラフで再スタートを切ったばかりだし、オロモウツ育ちのロゼフナルも代表に呼ばれなくなり、ここ二、三年はフランスのリールで控えに甘んじていたし、ネドベドの後継者と目されていたポラークは、あれ今どこにいるんだろう。トルコに行く行かないでクラブともめていたのは覚えているけど。ガラーセクの後継者ヒプシュマンは、ウクライナからスパルタではなくヤブロネツに戻ってきて頑張っているけれども完全に代表復帰という感じでもない。
 しかし、ここに名前を挙げた選手たちは、それでもまだ、代表に定着してある程度の活躍をしたのだから幸せなのである。期待されながら期待だけに終わった選手や、一瞬の輝きに終わってしまった選手たちの山を考えると、みんな期待通りに活躍してくれていたらロシツキーの負担も減って、リハビリも余裕をもってやれたのかなと思ってしまう。
 ロシツキーと並ぶ天才と言われたシマークは、若くして移籍したドイツで、大金を手にしたせいか身を持ち崩しサッカーどころではなくなっていたらしい。チェコに帰って来てから、アルコール依存症と言われていたけれども、実はギャンブル依存症であることを告白し、治療のプログラムに参加していた。テプリツェ育ちのボスニアの英雄ジェコの後釜として活躍したフェニンも、ドイツでいろいろ問題を起こした挙句に、チェコに帰ってきたが、全くいいところがなかった。
 ここ数年の間でも、プルゼニュから何人もの選手がドイツに移籍したが、ピラシュも、イラーチェクも、ライトラルも、ペトルジェラも、みんな怪我や監督に嫌われたなどの理由で、一瞬だけの活躍でチェコに戻ってくる羽目になっている。ボヘミアンズ・プラハが生んだ最後の才能であるバーツラフ・カドレツも大して活躍できずにスパルタに戻ってきたりしていたが、結局デンマークに移籍するらしい。スラビア出身でコレルの系譜をひく電柱型フォワードのペクハルトは、ドイツでプレーしている期間は長いけどほとんど試合にも出ていない。
 最近、ドイツで本当に活躍できている選手はダリダしかいないのである。ちょっとタイプは違うが、このプルゼニュでホルバートの薫陶を受けたダリダが、チェコ代表が長年にわたって探し続けてきたロシツキーの代役ということになるのかもしれない。ロシツキーにネドベドがいたように、誰かダリダの脇で支えてくれるベテランがいればチェコ代表は今年のEUROでもいいところまで行けそうな気がするのだが、ロシツキーは怪我だし、プラシルはちょっと頼りないしで、適任者が見つからないのが残念である。ロシツキーが元気ならそれが一番なのだけど。

 ロシツキーの能力と、これまでの代表への貢献を考えたら、本人が希望する限り、怪我をしていない限り、いや、リハビリ中でも代表に呼んでもらいたいものだ。前任者、前々任者が、まずロシツキーありきの戦術でチームを作って、ロシツキーが欠場するとどうしようもなくなったのと違って、今の監督は、ブリュックネル的な戦略家なので、ロシツキーあり、ロシツキーなしのどちらでも、対応できるチームを作るはずだ。もう一度、ヨーロッパの舞台で、躍動するロシツキーを見たい。それがかなえられれば、結果はどうでもいいけど、結果もついてくるような気がする。
 一月書き続けたということでスポーツネタを解禁。思ったより時間がかかってつらかった。

2月2日18時。




 マリー・モーツァルトはもちろん、こちらのモーツァルトもオロモウツを訪れて滞在したことがあるのだ。まだ稚い子どものころの話らしいから、本人の記憶に残っていたかどうかはわからないけど。2月3日追記。


モーツァルト: 名交響曲・序曲集 / チェコ・ナショナル交響楽団


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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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