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2017年02月07日

反バビシュ法(二月四日)



 2013年の下院選挙から既に四年近く、再び下院の総選挙が行なわれる年がやってきた。だからというわけでもないのだろうが、連立与党内で、第一党である社会民主党と第二党のANOの間の主導権争い、つまりは目くそ鼻くその罵りあいが激しくなっている。第三のキリスト教民主同盟も選挙に向けて、市長無所属連合との選挙協力の話し合いを始めたようである。

 現在、与党内での対立の原因となっている主要なテーマは二つある。一つ目は反バビシュ法とも呼ばれる法律が制定されたことと関係する。この法律は、閣僚の経済活動を規制するもので、政治家一般でも、国会議員でもなく閣僚だけであるところがチェコ的なのだが、新聞社や雑誌社、テレビ局などのマスメディアを所有することが禁じられた。マスコミのオーナーとして自分に都合の悪いニュースや記事をもみ消したり、矮小化したりするのを防ぐ意味があるらしい。
 以前、バビシュ氏のEUの助成金を巡るスキャンダルが勃発したときに、バビシュ氏が所有する新聞二紙、「ムラダー・フロンタ・ドネス」と「リドベー・ノビニ」だけが報道しなかったという件もあって(批判を受けてから記事にしたけれども)、与野党を問わずほとんどの国会議員が賛成して、法案が成立したようだ。閣僚でマスコミの経営にかかわっているのは、バビシュ氏だけなので、反バビシュ法などと呼ばれてしまうわけだ。他にも共産党の元党首の国会議員が小さな新聞を経営していたはずだけど、話題にもなっていない。
 しかし、問題はそんなところにあるのではなく、「ムラダー・フロンタ・ドネス」と「リドベー・ノビニ」といういわばチェコの二大新聞を一つの会社が買収してしまうことを許してしまったことにある。既に2000年代の初頭には、この二つの新聞が一つの会社によって所有されていることを知って驚愕した記憶があるから、当時はEU加盟前で独占禁止法がまともに機能していなかったのかもしれない。いや、まともに機能していれば、どちらか片方の新聞を手放すような決定が出てもおかしくないはずだから、今でも機能不全ということか。

 この法律でもう一つ規制されたのが、閣僚が経営に参画している企業は、国やEUからの助成金を申請することと、公共事業への入札ができなくなるという点である。ようは、助成金を出す側、仕事を発注する側と、申請、受注する側に同じ人物がいるのは好ましくないと言うことのようなのだけど、むしろ、今まで野放しであったことに驚かされる。
 助成金に関しては、以前、中央ボヘミア地方の村の村長が、補助金を出す側の地方政府の高官となって、村は申請する補助金をことごとく獲得しているという事実がニュースとなったけれども、批判しているのは助成金がもらえなかった他の自治体の首長たちだけで、特に大きな問題にはなっていなかった。
 このあたりの不正ぎりぎりのやり方の洗練のされていなさが、チェコがヨーロッパにおける汚職のランキングで下位に低迷している理由であろう。EU加盟歴の長い西欧諸国では、やり口が洗練されていて、こんな法律上ぎりぎりであっても問題にならなければいいという見え見えのやり方はしないはずである。

 公共事業では、国会議員が設立した会社が、国民健康保険のカルテなどのデータのデジタル化のプロジェクトを請け負って、ほとんど何の成果も出さないままプロジェクトは失敗に終わり、国会議員はその会社を外国の企業に売却して、その企業がプロジェクトの打ち切りにたいする賠償金を求めて裁判を起こすなんてこともあったし、国家議員の会社が、国から環境調査の仕事を請け負って出した報告書が手抜き過ぎて全く使えず詐欺罪で逮捕されて国外逃亡したなんて事例もある。政治家の経営する会社が公共事業を食い物にするなんてのは、枚挙に暇がないのだ。

 この法律、見え見えの抜け穴があって、本人名義でなく家族の名義であれば問題ないようなのである。バビシュ氏は、直接家族の手に託すのではなく、経営のための基金のようなものを作ってそこに所有するアグロフェルト社以下の経営を任せることにしたようだ。その基金の理事に奥さんをすえたことで、批判を受けているのだけど、これは法律に反しなければ、モラル上の問題はどうでもいいという政治風土のチェコで穴だらけの法律を作ってしまった方が悪いとしか言いようがない。
 こんな中途半端な法律はない方がましだし、規制をするなら国会議員の兼業を、地方議会議員や地方公共団体の首長も含めて禁止する法律を作るべきなのだ。その上で、家業の場合にだけは制限付きで例外とするなどの処置をとればいい。そんなことをしないで、バビシュ氏とそのアグロフェルト社を狙い撃ちにするような法律を、既存の大政党が手を結んで制定するもんだから、バビシュ氏の人気が上がってしまうのだ。
 最近見かけた世論調査の結果によれば、もっとも支持率の高い政治家がバビシュ氏で、二番目が同じANOのストロプニツキー防衛大臣だという。この結果に最も貢献しているのが、有権者達に愛想を付かされかけている既得権益を守ろうとして汲々としている既存の政治家連中の行動なのである。バビシュ氏の人気を落としたければ、余計なことをしないのが一番である。どこかでぼろを出すに決まっているのだから。ぼろを出しかけたところで、大喜びで余計なことをするから、うやむやになってしまうのである。
2月5日16時。



2017年01月24日

ダビット・ラート、あるいはチェコの政治家の一典型2 (正月廿日)



承前
 チェコの国会議員も、日本の議員と同じで、在任中は起訴されないという特権を持っている。ただし、国会で審議して可決されれば、捜査が継続し起訴されその間は収監されることになる。以前は庇い合いで起訴を免れている間に高飛びするような輩もいたようだが、近年は国会の特別委員会で起訴が認められることが多い。
 ラート氏の場合に、特徴的だったのは特別委員会で自らを起訴の対象として国会議員としての特権を剥奪することを求めたことで、一聞潔いと評価したくなったのだが、数時間にも及ぶ自己弁護の演説の果てのことだと聞いてその気は失せた。この一見関係ないことまで取り込んで、すべてを引き伸ばすというのがその後のラート氏の戦略となる。裁判で被告になった政治家や実業家の常套手段だといえばその通りであるけれども。
 理解できないのは、保釈が認められるまでの収監されていた期間、国会議員としての仕事はまったくしていなかったにもかかわらず、議員としての給料以外に、政治家としての活動に使うことが前提になっているはずの歳費の支払いを求めて大騒ぎしていたことだ。逮捕などで政治活動をしていない国会議員に歳費を支給するかどうかは、明確に定められておらず、ラート氏の件がきっかけとなって収監中、服役中の分に関しては、支給されないというルールが作られたんじゃなかったかな。

 裁判が始まるとラート氏は、さまざまな口実で裁判の引き伸ばしを始めた。サイクリング中に自転車から落ちたとか、多少の怪我があるようには見えたが、裁判に出られないほどではないようだったし、医者がそんな仮病を使っていいのかと言いたくなるほどだった。
 弁護士が自分の求める仕事をしないと言って解任したり、解任した弁護士が自分の求める仕事をしないと裁判に訴えたり、最初に一瞬見せた潔さは何だったんだと言いたくなるような悪あがきを続けた。そのあがきもむなしく2015年に第一審の判決が下りて、懲役八年で刑務所に入ることになった。これで終わってしまったらラート氏ではないわけで、当然第二審に控訴して、さらに何年か裁判が続くことが確定した。

 刑務所の中でもおとなしくしているわけがなく、囚人の生活環境が悪く、人権侵害だと大騒ぎをしていて、懲りない人だなあと思っていたら、やっていたのはそれだけではなかったようで、控訴審でラート氏の控訴が棄却された後、突然、ラート氏の裁判で検察側の主張の根幹部分の一つとなっていた携帯電話の盗聴の記録が、彰子として認められないという判決が下りた。どういう裁判で、どんな文脈の中で出てきた決定なのかはよくわからないのだが、検察側は、今後盗聴を証拠とせずにラート氏の有罪を立証しなければならなくなったようだ。
 司法関係のことは日本語である程度噛み砕いて説明されてもよくわからないので、チェコ語でなんてちゃんと理解できるはずもないのだけど、わかった範囲で言えば、どうも盗聴の際、もしくは盗聴の結果を証拠として提出する際の手続きに不備があったということのようだ。法務省や検察の人々は不備などあるはずがないと、判決に対して不満の声を上げていたけれども、このまま行くとラート氏が無罪放免ということになる可能性もないわけではないようだ。それどころか、本人の主張どおりに冤罪ということで、国から多額の賠償金をむしりとれる可能性も出てくる。

 チェコの裁判所には、司法マフィアとも言われるような存在があって、特に経済事件なんかの判決や決定の際に、一方的な判断が下されたと批判されることもあるのだが、この件でもその手の裁判官が絡んでいるのだろうか。何年か前にどこかの地方で、裁判官が何人も摘発される事件があったような気がするけど、氷山の一角なんだろうなあ。
 ラート氏は、この事件は、ラート氏を陥れたがっていた勢力と検察の中の一派が手を組んででっち上げた事件だと主張している。それに、チェコの警察は、意外と頑張っていて、政治家の汚職を摘発することが多いのだが、昨年の夏まで警察内にあった二つの組織が、お互いに張り合うように捜査をして、相手側の人間を摘発の対象にすることがあったらしい。ただし、二つの組織の運営に問題はなかったのを、政治家の摘発が続くことにうんざりした政治家たちが、強引に一つの組織に統合してしまったという話もある。検察、警察という組織にも問題があるということか。裁判所の件も含めて、外国人にはうかがい知れぬチェコの司法の闇なのである。

 最終的に、無罪になるにせよ有罪になるにせよ、ラート氏には、最初にワインだと称した大金の出所と使用目的を明らかにする義務があるだろう。百万(ミリオン)の俗語として使われるスイカ(メロウン)とでも答えていれば、冗談にできたのだろうけど。日本でもロッキード事件だったかな、のときに受け取った賄賂のことをピーナッツと称したとかいう話があったなあ。世の東西を問わず、政治家なんてこんなものってところか。
1月23日14時。



 所要でブルノに出かけ、行き帰りの電車の中で書いていたのだが、完成直前で、タッチパネルに変な接触をしたらしく、突然ワードが終了してしまい、最後の部分が消えてしまった。思い出し思い出し再現したのだけど、何かがまただ里ないような気がしていけない。1月23日追記。

2017年01月23日

ダビット・ラート、あるいはチェコの政治家の一典型1(正月廿日)



 この元厚生大臣は、政治家としての登場のしかた、退場のしかた、それにその後の悪あがきまで含めて、チェコの政治家のあまりよくない意味での一典型である。
 もう十年以上前になるだろうか。当時ラート氏は、医師会だったか、何だったか正確には覚えていないが、医師の団体の会長だった。つまりは本業は医者だったのである。厚生省の政策に対して医師としてあれこれ反対の意見を述べていたのが、この人物がメディアに登場し、一般のチェコ人にまで知られるようになったきっかけだったと記憶する。

 それが、当時の総理大臣、確か社会民主党のパロウベク氏と、なぜか意気投合して、厚生大臣に就任することになった。ただし、党内の反対が大きかったのか、手続き上ラート氏に大臣に就任する資格がなかったのかよくわからないが、大臣は無理だということになり、政治家の役職である大臣を除いた省内のトップ、日本の事務次官のような役職に就任してしまった。
 本業が医師の国会議員が、厚生大臣になるのはチェコではよくあることなので、大臣にしようというのはまだ納得できたのだが、それまで厚生省でまったく仕事をしたことのない人物が、事務次官のようなものになるのには、疑念が起こるのを禁じえなかった。友人にいいのかと聞いたら、チェコだからという答えしか返ってこなかった。
 しかも、ラート氏は社会民主党のノミネートで厚生省の役人になったのだ。ということは、チェコには、官僚に不党不偏を求めることはないということなのか。いや、むしろ各省庁の上のほうにいる役人を任命するのは、大臣、つまり政権与党の権利だと考えられているふしもある。日本だって、不偏不党の建前はあっても、官僚の中には特定の政党のシンパはいるわけだから、特定の政党に属していたり、支持したりしていることを公言するかどうかの違いに過ぎないのだろう。

 医師会の総会か何かで、対立する人物と演説を通して罵詈雑言の投げ合いをやったのもこのころだっただろうか。お互いに、相手を「弱虫」「臆病者」という言葉をキーワードに罵倒し、最後は腹に据えかねたラート氏が、「俺は臆病者じゃないから」とか言いながら、演台に立って演説中の相手の頭を、後ろから引っぱたいたんだったか、その逆だったか。とまれ、このときのビデオは、世界中に広まり、クラウス大統領の署名のペン窃盗事件のビデオが世に出るまでは、チェコの政治家が関係するニュースとしては、世界でもっとも有名だったはずである。
 その後、ラート氏は社会民主党から国会議員の選挙に出馬し、当選、晴れて厚生大臣になったんじゃなかったか。この辺の時系列が正確には思い出せない。その次の下院の選挙で社会民主党が大敗し、下野したときもラート氏は、国会議員であり続けた。そして、国会議員でありながら、党の地方選挙にも力を入れるという戦略に基づいて中央ボヘミア地方の議会選挙で、社会民主党を勝利に導き、そのまま中央ボヘミア地方の知事に就任してしまった。このときには、南ボヘミア地方や南モラビア地方でも、国会議員と兼任の知事が誕生し、批判の対象になっていた。ただそこまで批判の声が大きくならなかったので、議員と知事、どちらかを選べということにはならなかった。

 順風満帆にみえたラート氏の政治家としてのキャリアが暗転したのは、2012年のことだった。翌年に下院議員の選挙を控えて、言動が活発化していたラート氏が突如警察に逮捕されたのだ。中央ボヘミア地方の管轄する病院の改築に関して、建設業者から賄賂を受け取っていたというのである。ほかにも補助金関係での疑惑もあったかな。賄賂自体には驚かなかったが、現職の国会議員が逮捕されたのには驚いた。
 逮捕の状況は、後に一緒に起訴された関係者宅から、箱をもって出てきたところに警察がいて、中身を問われて、「ワインだ」と答え、警察に「じゃあ開けてみましょう」と言われて開けたら札束だったことらしい。手に持った箱ではなくて、車のトランクに積んだ箱だったかもしれない。裸で持ち歩くには、少々どころではなく大きすぎるそのお金が、業者から受け取った賄賂で、関係者に分配しているところだったのだろうか。警察では、かなり前から内定を進め、携帯電話の盗聴などで証拠を集めて逮捕に踏み切ったらしい。

 ラート氏は当初から冤罪を主張し裁判ですべてを明らかにするとか言っていたがこの件がどう解釈すれば冤罪になるのか、さっぱり理解できなかった。むしろ、疑惑は社会民主党が党ぐるみで翌年の下院選挙に向けてなりふり構わず資金集めをしているのではないかというところにあった。ラート氏を切り捨てることで、その疑惑の打ち消しに成功したのか、下院選挙で社会民主党は第一党に返り咲くことになる。この結果は、社会民主党が勝ったというよりは、市民民主党のネチャス首相が政権を放り出し支持を失った結果と言ったほうがいいかもしれない。

 予定より長くなったので、切りはあまりよくないけど、ここで一休みして、以下明日である。
1月21日22時。


2016年12月15日

トカゲの尻尾きり?(十二月十一日)



 ミロシュ・ゼマン大統領の大統領府で公式の典礼を担当する部門の責任者だったフォレイト氏が、辞任することになった。大統領府の広報官オフチャーチェク氏の話によると、ここ何ヶ月かの間に連発したゼマン大統領の失策は、ほとんどすべてこの人物の責任だったらしい。
 すでに紹介したスロバキアの元大統領の葬儀に遅刻した件も、ナチスのホロコーストを生き延びたブラディ氏に勲章を授与すると言っておきながら、甥の文化大臣がダライラマと文化省で会談を持ったことを理由に撤回した件も、フォレイト氏の行動が原因で引き起こされたものらしい。航空管制官を批判する大統領の発言は何だったんだと言いたくなるが、今となっては大統領も含めて誰も触れようとしない問題である。

 他にも、十月廿八日の勲章授与式にアメリカ大使が出席しなかったとゼマン大統領が批判した件がある。大統領によれば、招待状を送った各国大使の中でアメリカ大使だけが出席しなかったというのだが、実はしっかり出席していて、チェコテレビの撮影した映像にもしっかり写っていたし、大統領の批判の直後に隣にいたドイツ大使が、一緒にいたことを証言したため、ゼマン大統領は赤っぱじをかくことになってしまった。
 これも、出席者を確認した上で大統領に報告したフォレイト氏が、アメリカ大使が来ていないという過った情報を大統領に伝えたかららしい。どんな出席の確認をしたのだろうか。来賓用の受付があって記帳とかしてもらっているのではないかと思うのだが、誤認したということは目視確認だったのだろうか。それなら、アメリカ大使はアメリカ人らしからぬ小柄で控えめな人物だから、見落とすのも無理は、あるよなあ、やっぱり。

 では、このフォレイト氏がどんな人物かというと、もともとは故バーツラフ・ハベル大統領の時代に大統領府に入ったらしい。その後、バーツラフ・クラウス大統領に引き立てられて、現職の儀式・典礼担当の責任者となったようだ。クラウス大統領の下で仕事をしていた十年の間に、最初の大きなスキャンダルを引き起こしている。日本以上のある意味で超学歴重視社会であるチェコでは、それぞれの仕事、役職に必要な学歴が指定されていることが多い。フォレイト氏が就任した役職の場合には、修士の学歴が必要なものなのに、フォレイト氏は修士課程を修了していないということが発覚して、学歴詐称だと批判されたのだった。
 当時のクラウス大統領は、この件に関して、フォレイト氏は非常に有能な人物でこの役職にふさわしいだけの能力を持っているのだから、どこの修士課程で勉強したのであろうが、修士課程を実際に修了していようがいまいが、基本的にはどうでもいいと、フォレイト氏を擁護していた。

 あれこれ問題発言も多いクラウス氏だが、チェコの政治家には珍しいこの合理的な考えには、全く持って賛成する。箔付けのためだけに大学に入学して政治家としての権力を使って卒業して学位をとった連中に比べれば遙にまともな考えである。政治家=学生の卒論は、薄くて内容がないか、人のものの丸写しばかりだというし。そんな無駄なことをしている暇があったら、なんていうのは政治家には寝耳に水なのだろう。
 そして、2013年にミロシュ・ゼマン大統領が就任したときに一度は辞任を申し入れたらしいのだが、ゼマン大統領に説得されて職に留まったようだ。その後、ゼマン大統領があちこち出かけるときには、常にその傍にあって、ニュースなどの映像に写っていることも多かった。残念ながらクラウス大統領のときがどうだったかは記憶にない。

 さて、このフォレイト氏は辞任する前から、ゼマン大統領によって、次期駐バチカンのチェコ大使と目されていたようである。一連の不祥事を経て辞任することになった現在でも、その考えは変わらないらしい。まあ、クラウス氏の奥さんをスロバキア出身だという理由で、スロバキアのチェコ大使に任命したり、トランプ大統領の最初の奥さんを、チェコのアメリカ大使に就任させることを希望したりするような大統領だから、功労賞として重要なポストを与えるのは不思議でもなんでもないのかもしれない。
 ただ、このフォレイト氏には、何かで脅迫されていたのではないかという話もあって、その脅迫されている場面を収めたビデオをマスコミ関係者に売り込もうとしている連中がいるらしい。何に関して脅迫を受けたかという点では、未確定情報ながら麻薬がらみではないかと言われている。この件に関して警察も動き始めたようで、このまますんなりバチカンに行ってチェコ大使を務めるということにはならなさそうだ。

 何はともあれ、このフォレイト氏が本当に問題を引き起こした張本人だったのか、責任をおっかぶって辞任することにしたのかははっきりしない。功労賞的なポストが用意されているところを見ると、トカゲの尻尾きりのように見えなくもないけど、どうなのだろうか。
12月11日23時。 


2016年11月19日

大統領侮辱罪(十一月十六日)



 戦前の日本には不敬罪というものがあって、天皇、皇族などに対して敬意を欠く言動をしてしまうと、犯罪として処罰の対象になっていたらしい。問題は、不敬とされる基準が恣意的に運用できることで、ささいなことをあげつらわれて罪に落とされた人が多かったと聞いている。
 その不敬罪の大統領版、国家元首である大統領に対して敬意を欠く言動を犯罪とする法律を再制定しようとする動きが、チェコの国会議員の中にある。再というのは、ビロード革命以前の共産主義の時代には、この法律が存在し最大で二年の懲役が科されることになっていたらしい。これはマサリク大統領の第一次共和国時代にも存在したというから、廃止されている現在のほうが特殊なのかもしれない。

 これまで、特に議論になることもなかったこの法律が、政治上のテーマの一つとなっている背景には、ゼマン大統領に対する相次ぐ抗議運動がある。2013年の大統領選出当初から、比較的高い支持率とはうらはらに、大統領選挙でシュバルツェンベルクを支持した層は、ゼマン大統領に対する不満と不信、批判を隠さず、ことあるごとに抗議行動を繰り返してきた。
 こうして振り返ると、チェコの大統領選挙のゼマン対シュバルツェンベルクというのは、アメリカの大統領選挙のトランプ対クリントンというのに似ているなあ。どちらも前者は品のないおっさんで、後者は自分たちが正しいと他者を見下すスノッブな連中に支持されていたし。選挙そのものの示した意味はまったく別なものであったけれども、これについては、機会があれば、考えをまとめて書いてみようかと考えている。

 閑話休題。
 バーツラフ・クラウス大統領も、地球温暖化を否定するような発言をしたり、EUに対する否定的な意見を述べたりして、国民の反感を買っていた。任期終盤には、地方都市を訪問した際に、警備を潜り抜けてきた男にモデルガンで討たれるという事件が起こったけれども、大統領侮辱罪を制定しようという声は上がらなかったと記憶する。
 それが、今回出てきたのは、例のダライラマ問題で、勲章を取り消したことに対する反発が大きく、抗議運動が相次いだことが原因だろう。その中には明らかに大統領を揶揄し、侮辱するようなものも多かった。それが国体(そんなものを戦前の日本人ならぬチェコの人が意識するのかは知らないけれども)の安定を損なうと考えたのか、一部の国会議員が動き始めたようだ。テレビでそれらの議員を代表して話をしていたのが共産党の議員というあたりは、権威におもねる共産主義者のものの考え方を繁栄していると言っていいのかな。

 大統領就任てそれほど経たないうちに、ゼマン大統領にレッドカードを突きつけようという集会が開かれ、多くの市民が赤い紙を手に集まったのをかわぎりに、旧市街広場(だったと思う)の仮設の舞台上で演説を始めたゼマン大統領に腐った卵を投げつけ、警備員たちが傘で防ぐなんてこともあった。
 ス・トホ・ベン(その中から外へ)というアナーキスト系の芸術家集団が、プラハ城の屋根に登って、チェコの国旗を取り外し代わりに国旗と同じ大きさの赤いトランクスを掲揚して逃走したという事件は、プラハ城の警備体制を問われる事態となり、警備主任の辞任につながったのだったかな。その裏で大統領府の長を務める人物が地元の村の人たちを集めて、大統領官邸見学ツアーを挙行していたため大きな批判を受けていた。

 以上のうちレッドカード以外は、一般の法律の範囲内で、警察が捜査をし犯人を特定して裁判に持ち込んでいる。せいぜいが器物破損罪とか、窃盗罪、不法侵入罪というところだろうか。これでは重くても罰金刑で終わってしまう。それでは不十分だと考える人たちが、懲役刑を与えられるように法律改正を目論んでいるというわけだ。提案によれば、最大で懲役一年というから、大統領に腐った卵を投げつけて牢屋に一年入ると考えると割に合わないなあ。
 ちなみに、チェコ国旗をプラハ城から盗み出したグループは、裁判で国旗の返却を求められたときに、あの国旗は国家の財産で購入した国民の資産であるから、細かく切り刻んでチェコ国民に配布したなどと答えていた。かつて似非左翼だった高校時代には、学校行事の際にはいつも講堂の舞台の奥に掲げられた国旗を外すような策を立てていたものだが、切り刻むなんてことは、恐れ多くてというつもりはないが、思いつきもしなかった。アナーキスト、さすがである。いやただの言い訳だろうけどさ。

 表現の自由を制限するこの法律の制定には、大きな反発が予想されるので、実際に制定されることはないだろうと思いたいのだけど、どうだろう。共産主義の時代から政治家を笑い者にすることで、溜め込んだ不満を多少なりとも吹き飛ばして生きてきたチェコ人のこと、仮に侮辱罪が成立しても、罪に落とされるのを覚悟の上で、侮辱とみなされるような行動をやめないような気がする。
 それにチェコ人も、日本人と同じで、赤信号みんなで渡れば怖くない的なメンタリティを有しているので、警察や裁判所が対応できないぐらい侮辱的行為が連発されて、うやむやのうちに有名無実の法律になってしまう未来を想像してしまうのである。それでこそチェコ人なのだけど、権威に弱い部分も持っているからなあ。チェコ語風に、ウビディーメ(見てのお楽しみ)と言ってこの稿を閉じることにする。
11月17日17時。



 この法律のニュースの見出しを見たときに、大統領侮辱罪ではなく、大統領が国に恥をかかせるような振る舞いをすることを犯罪として処罰する法律かと思った。国会議員たちの大統領批判もうるさかったし。11月18日追記。


2016年11月04日

勲章問題をめぐる笑話(十一月一日)



 ヤン・クラウスという俳優がいる。出演している作品を思い出そうとしても、共産主義の時代に撮影されたチェコ版「いばら姫」に登場する王子役ぐらいしか思い出せない。王子役とはいっても、お姫様を眠りから覚めさせる主人公の王子ではなく、その兄の腹黒王子の役だった。舞台を中心に活躍していたのだろうか、チェコの中ではかなり有名な俳優だった。有名なのは、別の俳優との間の、佐藤春夫と谷崎潤一郎を超えるような複雑な関係ゆえかもしれない。
 そんなクラウスの人気を不動のものにしたのが、十年ほど前にチェコテレビで放送されていたトーク番組だった。直訳すると「楽にしてくださいよ」とでも訳せる、「ウボルニェテ・セ・プロシーム」という番組は、高級そうな木製のデスクにクラウスが座り、机の隣に三人がけの大きな赤いソファーがあって、ゲストたちはそのソファーに座って、クラウスとあれこれ話をするというものだった。ゲストは毎回三人、いや三組で、芸能関係者やスポーツ選手などの有名人だけでなく、一般の人でも特筆するような業績を残した人が呼ばれることもあった。

 一番印象に残っているのは、日本では映画「ひなぎく」の監督として知られるビェラ・ディティロバーと、アメリカに亡命して画家、また絵本作家として有名になったペトル・シスが出ていた回だ。三人目のゲストとしては今はプロのゴルファーになってしまったが、当時はまだジュニアレベルの大会で活躍して将来を嘱望される存在だったクラーラ・スピルコバーだった。
 ヒティロバーは、実はボレク・ポレーフカの「遺産相続、もしくはグーテンタークって言ってんだろうが馬鹿野郎」や、題名は忘れたけど男としては二度と見たくないと思った映画も監督しているのだ。監督本人がとんでもない人でないわけがない。シスは、亡命前にヒティロバーの下で仕事をしていたことがあるらしく、そのとき同様に番組中でもいじめられていたし、クラウスはクラウスで何か言うたびに、男はこれだからという反撃を受けていた。そうなのだよ、ヒティロバーはバリバリのちょっと古い言葉だけどウーマンリブの闘士なのだよ。それが、女の子だからか、子供だからか、スピルコバーには、猫なで声で「クラーラちゃん、ゴルフボールにサインくれないかい」なんていうのだから一瞬目を、いや耳を疑ってしまった。

 話を戻そう。この番組は非常に好評で、チェコで制作されたテレビ番組を対象にした視聴者の人気投票でも、毎年のように上位を争っていたのだが、チェコテレビの番組編成の方針の変更なのか、予算削減が必要だったのか、チェコテレビでの放送は開始から数年後に打ち切りになってしまった。別の新しいトーク番組に力を入れたかったのかもしれない。
 打ち切りになったクラウスの番組を引き受けたのが民放のプリマだった。番組名はチェコテレビ時代と同じではいけなかったのだろう、「ヤン・クラウス・ショー」と変わっていたが、フォーマット自体は、まったく変わっていなかった、と思う。プリマに移ってからはあまり見ていないので、思うとしか言いようがないのだけど。
 この手の番組の移籍はしばしばあることで、かつてのチェコテレビの人気紀行番組「ツェストマニア」は、題名に「新」か「2」がついてノバに移籍したし、最初のシリーズがチェコテレビで、第二シリーズがノバで放送されたドラマもあった。たぶん、テレビ局自体が番組を制作しているのではなく、番組制作会社がテレビ局に企画を持ち込んで採用されたら制作するという形をとっているからできるのだろう。日本にあるようなテレビ局のひも付きの制作プロダクションではなく、独立性が強くあちこちに番組を売っているということなのかな。

 それで、先週のチェコスロバキア独立記念日の週の「ヤン・クラウス・ショー」をめぐるテレビ局プリマの対応が、醜態をさらしたと言うしかないもので、批判を浴びている。発端はいつもの放送日である水曜日に番組が放送されなかったことだった。
 その後、どんな経緯があったのか、テレビ局側は、番組の納入が遅れたので、放送することができなかったのだという理由を発表した。これには制作会社が我が反論し、テレビ局は新たな言い訳を探すことになる。
 その理由が、番組の内容が政治的に偏ったもので、政治的な公平さが求められるテレビ番組としてはふさわしくないというものだった。テレビで放送されないことを危惧したヤン・クラウスが自らネット上に公開した番組の映像をもとにしたニュースによると、クラウスだけでなく出演した俳優たちもミロシュ・ゼマン大統領を非難するような発言を繰り返したらしい。最近のダライラマとの面会を理由にした勲章の取り消し、中国に擦り寄って媚びているとしかいえない政策をはじめ、批判の対象となる行動は枚挙に暇がないのだ。
 テレビ局としては内容に関して、政治的に偏向していることを理由に、テレビ番組の内容を監察する権利を持つ審議会の審議の対象となり、罰金を科されることを恐れたというのだが、今度は審議会のメンバーから反論が出た。政治的な不偏性を求められるのは、ニュースなどの事実を報道する番組であって、トークショーで出演者が自分の主義主張についてコメントすることは、罰則の対象とはならないという。
 プリマの「ヤン・クラウス・ショー」は、2013年の大統領選挙に際して、ゲストがシュバルツェンベルク支持を訴える発言を繰り返したことで、視聴者から審議会に訴えがあり真偽の対象になったことがあるらしい。しかし、そのときの審議の結果は、この手の娯楽番組に不党不偏を求めることはないというもので、プリマは無罪放免ということになったというのである。つまり、プリマは今回の番組を放映しても、審議の対象にはならない、もしくは審議の対象にはなっても罰は受けないことを予想できたはずなのである。

 その後、プリマは、番組に手を入れて政治的な主張のある部分をニュースで放送して、残りを木曜日に放送すると言うなど、迷走を繰り返した。その後、クラウス側の番組に手を入れるのは契約違反になるし、検閲の復活だという批判を受けて、結局は完全な形で、一日遅れの木曜日に放送したのだけれども、最初から素直に放送しておけばよかったのにと思わずにはいられない。それとも騒動で注目を集めて、視聴率を上げる作戦だったのだろうか。
 これも強権的な大統領に気を使いすぎて社会が窮屈になっている証拠で、俳優たちが不満を表明する週間という運動をはじめた理由の一つになっているのかもしれない。
11月2日15時。


2016年11月03日

ダライラマ問題その後(十月卅一日)



 この中国とダライラマにかかわる問題は、忘れてしまって、若しくは蓋をしてしまって、放置しておくのが一番いいと思うのだが、中国との関係を重視する社会民主党の外務大臣ザオラーレク氏は、ダライラマと面会したキリスト教民主同盟の文化大臣ヘルマン氏のことが許せないらしく、メディアを通じて批判を始め、ヘルマン氏も当然反論したため泥仕合の様相を呈し始めた。大臣の名前とか覚えてないから書かずに済ませてきたのに、確認する羽目になっちまったじゃねえかよ。
 ザオラーレク氏をはじめとする社会民主党関係の閣僚の話によれば、二年ほど前、連立政権の誕生に向けての話し合いの中で、中国との関係を重視するために、反中国の象徴であるダライラマとは、公式には面会しないという点で、社会民主党、キリスト教民主同盟、ANOの三党は合意を見たのだという。だから今回の一連の出来事は、その合意に反してダライラマを文化省に招いて面会したヘルマン氏が引き起こしたのだと主張している。

 ヘルマン氏はもちろんそんな合意があったことを強く否定し、合意そのものが存在しないのだから、自分が、どこで誰と会おうと勝手だと主張している。では連立与党の三つ目ANOはどう言っているかというと、防衛大臣のストロプニツキー氏は、そんな話をしたのは覚えているけれども、合意に至ったかどうかの記憶はないと言って逃げていた。
 結局、ヘルマン氏が、公式に面会したのか、指摘に面会したのかが問題のようで、ザオラーレク氏は、私的に会うのであれば誰に会ったってかまわないのだけれど、文化大臣が文化省の建物にダライラマを招待したということはどう考えても公的な会合で、それは与党間の合意に反していると言っている。ヘルマン氏は当初はダライラマと会ったのは、私的なものであると主張していたが、最近はその点にはふれなくなっているかな。

 とまれ、この辺の議論を聞いていると日本人なら、日本政府の閣僚の靖国参拝問題を思い出すだろう。中国、韓国への配慮、ようは余計ないちゃもんをつけられないようにという配慮と、自らの政治信条、および支持者への配慮の板ばさみになって、靖国神社に参拝はするけれども、公人の閣僚としてではなく、私人として参拝するという言葉の詐欺のようなことを始めたのは誰だったのだろうか。結局、公人であれ、私人であれ、批判を受けるという点では変わりがないのだから、参拝の是非はともかくとして、みっともない言い訳なぞせずに、黙って行けよと思った人は少なくないだろう。
 チェコでも、たとえヘルマン氏が私的な会合だったと主張し続けていたとしても、中国がクレームをつけてきたという点では変わらなかったはずだ。実際、今回もヘルマン氏がダライラマと会うという話が中国側に漏れたとき、私的なものであると主張していたにもかかわらず、中国大使が総理大臣との面会を求め抗議している。だからヘルマン氏はダライラマと会うべきではなかった、などと言うつもりはない。わざわざ会う必要があったのかどうかも、なんで会いたがるのかも、全く理解はできないけど。

 まずかったのは、その後の政府の対応である。中国側の抗議を受けて、もしくは抗議を受ける前に、国家の首脳四名の連名で言い訳じみた文書を公表してしまった。中国との経済的な協力関係を結ぶ交渉の中で、例によってチェコ政府は中国が一つであることに疑いを入れないとか何とかいうのが協定書の中に入れられているというのがその理由らしい。しかし、それは台湾を念頭に置いたものだろうし、せいぜいチベットの独立を支援しないとかいうものであったに違いない。だからダライラマと会うな、なんてことは記載されていないと思うのだが、記載されているとすれば中国も無駄に神経質なものである。
 ここは、だからチェコ政府に一度は突っぱねる強硬さを見せてほしいところであった。今回のことで、中国政府に、チェコは経済協力を人質に抗議をすれば言うことを聞く国だと思われてしまったはずである。今後、同じようなことが起こった場合には、政権交代しようがどうしようが、恐らく今回このことを前例にして、中国側はチェコ政府に譲歩を強要するようになろう。あのときは、こちらの要求を入れたのに、今回はどうして反対するんだなどと言われて抵抗できるかのね。

 中国にとってもチェコはヨーロッパへの投資の拠点の一つとして重要な意味を持つはずだから、ダライラマと文化大臣が会ったぐらいのことで、投資を引き上げたり、チェコ企業を中国市場から締め出したりするなんてことはできないだろう。そう考えれば、中国側の抗議も、聞くだけ聞いて何もしない、若しくは中国大使に事情を説明するだけで終わらせるのが一番無難だったのではなかろうか。
 ダライラマと会ったことを理由に勲章の授与を取りやめるだなんてのは、もう開いた口が塞がらない。EUからの干渉が多いことに関しては、チェコの独立性を維持するために戦わなければならないなんて言っている人間が、中国の意のままに動いているのは、少なくともそのように見えるのは滑稽でしかない。それが、最近ゼマン大統領への抗議活動が盛んになっている理由の一つなのだろう。
11月1日16時30分。


2016年10月25日

ゼマン大統領暴れる(十月廿二日)



 先日、テレビのニュースを見ていたら昔懐かしいスロバキアのメチアル元首相の姿が登場した。何が起こったのかと思ってみていたら、スロバキアの初代大統領のコバーチ氏が亡くなったという。メチアル氏とコバーチ氏の関係もなかなか微妙なものがあったらしいけれども、最たるものはコバーチ氏の息子が、誘拐されオーストリアで発見されたという事件だろうか。当時から、メチアル氏の指示で秘密警察が実行したものだといわれており、実行犯もほぼ確定していたらしいのだが、コバーチ氏の任期切れに伴う大統領選挙で誰も選出されずに、臨時大統領選挙までの間、首相として臨時に大統領の権限を行使していたメチアル氏が、この事件の関係者全員を恩赦の対象にしてしまったため十分な捜査が行われないままになっているらしい。

 それはともかく、コバーチ氏の葬儀に参列するために、我らがチェコのゼマン大統領もブラチスラバに向かったわけだ。それが、あろうことか大統領一行は葬儀の開始に間に合わず、恥をさらすことになってしまった(そう思っているのは本人たちだけかもしれないが)。それで、いけにえが必要とされたのだが、選ばれたのが飛行場の航空管制官だった。つまり、航空管制官が大統領専用機を優先せずに出発を遅らせたと言うのである。
 ゼマン大統領は、自信満々に、遅れた理由としては、飛行場で出発に時間がかかったことしかありえないと言っていたが、管制官も飛行場側も、強く否定している。実際は、大統領専用機の離陸準備が整ったあとは、すでに離陸体制に入っていて途中で離陸を中止するのは危険だと判断された一機の貨物便だけに着陸が許され、他の飛行機はすべて離陸と着陸を遅らせ、大統領専用機が離陸するのを待っていたらしい。

 ニュースを聞いていて不思議に思ったのが、当初の予定がものすごくぎりぎりで組んであったことだ。正確な数字は覚えていないが、確かブラチスラバの空港から葬儀の会場まで三十分で移動することになっていた。それで三十分前に会場に到着する予定だというのならわかるが、会場に到着するのは葬儀開始の時間ぎりぎりの予定だったようだ。飛行機での移動時間は風次第で長くも短くもなるものだし、飛行場からの移動だって、渋滞や事故で予想外の時間がかかることもあるのだから、スロバキアの元大統領の葬儀に遅れてはならないという意識があったのなら、一時間、二時間前に到着するように予定を組むのが当然で、慎重を期すなら前日にブラチスラバに入るものじゃないのか。
 結局、自分の、いや自分の部下たる大統領府の役人たちの失敗の責任を他人になするつけているだけにしか見えない。大統領府に集まったゼマン氏の友人たちには、ユニークな人たちが多く、これで大丈夫なのかと言いたくなることもある。

 自分でも信じていないだろうと言いたくなる強引過ぎる論理を駆使して、大統領を擁護し批判者を批判する広報官のオフチャーチェク氏は、奇抜な服飾センスと合わせて揶揄の対象でしかないし、地元の村の住民たちを集めて大統領官邸見学バスツアーを行って本来は許可なく入れないような場所にまで案内したミナーシュ氏が大統領府の長である。このミナーシュ氏は国家の機密に触れるために必要な証明(よくわからんけどそんなものがあるらしい)が取れなくて困っているというけれども、こんな奴に機密に触れさせたらいけないだろうと思う。
 ゼマン大統領は、就任当初は初の直接選挙で選出された大統領ということもあって高い支持率を誇っていたのだが、それに胡坐をかきすぎたのか、傲慢で奇矯な振る舞いが増えて支持率を落としている。2018年に予定されている次の大統領選挙にも出馬する意向だというから、もう少し言動に気をつけたほうがいいと思うのだけど、いや、今のままでも再選の可能性は高いのか。他にこれという候補者がいないからなあ。

 そんな騒ぎも納まらない中、フォーラム2000という団体の招待でまたまたダライラマがチェコにやってきた。ダライラマ信者はチェコに多いのである。来ただけなら問題はないのだけど、キリスト教民主同盟の文化大臣が、個人的にダライラマと会談をしてしまった。チェコの一部の政治家にとってダライラマと面会することが、一種のステータスになってしまっているのも大きな問題なのだが、さらに大きな問題は、政府が中国を怒らせまいと過剰な反応をしてしまったことだ。
 首相、両院議長など四名の連盟で、チェコ政府の公式見解は中国はひとつであるとか何とか、チベットの独立運動を支持しないことを改めて表明したのである。中国からのチェコへの投資が引き上げられること、チェコ企業の中国進出が阻害されることを恐れた経済的な理由でのことだというけれども、中国大使の要請を受けての行動だとの報道もあって、なぜここまで中国に気を使うのかという批判も強かった。共産党は支持していたけど。

 首相以上に批判にさらされているのが、ゼマン大統領で、文化大臣が、ダライラマと会う予定であることを知って、ダライラマと会うなら、十月廿八日に勲章を授与される人の名簿から、大臣のおじに当たる人を抹消すると言ってダライラマとの会合を中止するように求めたのだという。大臣のおじは、第二次世界大戦中、ナチスによってアウシュビッツに送られ何とか生き延びたという人で、勲章をもらえそうだという話を聞いて非常に喜んでいたらしい。
 ある意味でおじを人質にとられた文化大臣は、ダライラマとの会合のあと、ゼマン大統領とのやり取りを公開した。その結果、廿八日に予定されている勲章の授与式への参加を辞退、あるいは拒否する動きが政治家、大学関係者の間に広がろうとしている。
 もちろん、件のオフチャーチェク氏は、文化大臣の発言を断固拒否して、文化大臣がおじに勲章が与えられるようにゼマン氏のところに交渉に来たのだとかいう話をしている。文化大臣もオフチャーチェク氏も、その場にいた人が他にもいたけれども名前は挙げたくないと言っている。どちらの話が真実であれ、今回の件で味噌をつけたのがゼマン大統領である点では変わらない。

 ダライラマ問題も、日本の靖国問題と同じで、中国は騒ぐために騒いでいるのだから、我関せずで放置しておくのが一番いいだろうに、どうして過剰反応するのだろうか。その辺は、ヨーロッパ人の期待するアジア人を見事に演じ上げているダライラマのほうが一枚上だったということなのかな。

 まあ、個人的には、チベットの国旗を掲げて喜んでいる連中には、本気で支援する気があるなら、物理的な支援をしろよと言いたいけどね。金、物、人、中国と戦うにはどれも足りていないだろうしね。
10月22日23時。


2016年10月21日

上院議員選挙決選投票2(十月十八日)



承前
 自治体の首長が現職の大臣を破ったのが、南ボヘミア地方のターボル市を中心とする選挙区で、社会民主党の産業大臣ムラーデク氏が、ANOの推薦を受けたビェトロフスキー氏に、約20パーセントの差をつけられて落選した。ムラーデク氏は議席を失ったことを理由に大臣を辞職するようである。
 南ボヘミア地方の知事も、社会民主党の党員で、前回の下院の選挙の後、ハシェク氏と一緒にゼマン大統領との密議に参加していたのだが、その後の対応がハシェク氏に比べればはるかにましだったため、今回の地方議会選挙でも、南ボヘミアでは社会民主党がかろうじて第一党の座を守った。しかし、現職の大臣が落選してしまうところにも、南ボヘミア地方でも社会民主党への支持の低下が反映されている。
 ビェトロフスキー氏はムラダー・ボジツェという町の町長で、2014年には南ボヘミア地方で最も優れた町長として表彰を受けたらしい。そういう地方の首長が上院議員と兼職すると、市長や町長としての仕事がおろそかになったりはしないのだろうかと不安に思うのだけど、上院議員なら大丈夫という考えがあるのだろうか。小さな町や村の、町長、村長は、予算や仕事量などの関係で、国会議員でなくても、専業ではない場合もあるからいいのかな。

 以上が、政治的な意味にで気になる結果なのだが、何気なく結果を見ていたら、えっ、この人選挙に出ていたの? と言いたくなる人が立候補していただけでなく、決選投票にまで進んでいた。

 その筆頭は、何と言ってもヨゼフ・バーニャ氏である。この人、チェコで一番有名な競馬関係者で、騎手兼調教師兼馬主という日本ではできるのかどうかわからない立場にいる人物である。毎年チェコ最大の競馬のレース「ベルカー・バルドゥビツカー」という障害レースが近づくと、騎手として出場するのかしないのかが話題になる。今年は出ないとか言いつつ、結局騎手として出場して、終わると来年はもうないと言うのが決まりごとのようになっている気がする。最多出場と最多優勝の記録を更新中じゃなかったかな。
 今年はそんなに話題になっていなかったから、騎手としては完全に引退したということでいいのかなと思っていたら、選挙に出ていたのだ。テレビの談話などで理解する限りでは、そんなにでしゃばりな感じの人物ではなかったので、意外な取り合わせだったのだけど、調べてみたら、すでに2002年から地元の町の町会議員になっていて、2013年の下院議員選挙ではTOP09から立候補したが、惜しくも落選したらしい。
 そして今回は、TOP09とは犬猿の仲のANOに鞍替えして、カルロビ・バリ市を中心とする選挙区の上院議員候補として立候補し、カルロビ・バリ地方の議会の選挙にも立候補したらしい。いやあ、驚くべきことに可能らしいのだよ、この手の二重立候補。下院の選挙と、地方議会の選挙は候補者名簿に名前を載せるだけだから、あんまり立候補したという実感はなさそうだけど。
 選挙の結果は上院銀選挙では落選、地方議会選挙では当選ということらしい。地元の町の町会議員の職もあるから、議員としてだけでも二足のわらじを履いて、競馬関係者としても少なくとも二足のわらじを履いていることになるんだけど、大丈夫なのかね。とりあえずこの人には政治家として、TOP09とANOの間を引っ掻き回すことを期待しよう。

 それから、プルゼニュ市の選挙区でバーツラフ・ハロウペク氏が当選しているのにも、驚いてしまった。日本語に訳すと「愛国市民の会」とちょっとやばそうな名前になってしまう政治団体の候補として、一回目の選挙では0.5パーセントしかなかった差を、20パーセント以上に広げて、社会民主党の候補を退けて当選した。
 ハロウペク氏は、プルゼニュ市の市会議員でもあるというけれども、政治に手を出していたとはまったく知らなかった。そもそも、以前ちょっとだけふれた動物の子供が主人公になる子供番組の製作者としてしか知らないのだ。動物の子を主人公とした番組は、人間の勝手で親を失ったり、親が育児を拒否したりした子供たちを育てることを通して、自然保護、動物保護を訴えることも目的にしているのだろうから、政治家としてはその辺に力を入れてもらって、かつて起こった撮影後に子熊たちをどこで生活させるかなんて問題が起こらないようなチェコにしてほしい。そして、子供番組の続きを撮影してもらいたいところである。

 イジー・シュレーグルという名前を聞いて、長野オリンピックで優勝したチェコのアイスホッケーチームのメンバーであることに気づく人はどのぐらいいるだろうか。かつて社会民主党のパロウベク首相の勧誘で政界に進出し、社会民主党の下院議員となっていたシュレーグル氏も今回の上院議員の選挙に、モスト市を中心とする選挙区から社会民主党の候補者として立候補していた。
 この人、確かに社会民主党から下院議員の選挙に立候補して当選したのだが、その後パロウベク氏が、社会民主党を飛び出して結成したLEV21国家社会主義党というナチスを思わせる名称の党に参加するために社会民主党を脱党し、その後しばらくして下院議員を辞職していたはずである。それが今回再び社会民主党の候補者として立候補したということは、政界での恩人のパロウベク氏と袂をわかったということだろうか。パロウベク氏の党には資金関係のスキャンダルが起こっていたような記憶もあるので、その辺で見限ったのかな。

 注目すべき最後の一人が、ワレンシュタインの王国の首都になりかけたイチーン周辺の選挙区で当選したチェルニーン氏。チェルニーン宮殿という名前の建物を聞いたことはないだろうか。ウィーンにもあるのだけど、バロック様式で建てられたプラハのは現在外務省の庁舎として使用されている。わかるよね。お貴族さまの末裔なのだよ。ということで、当然シュバルツェンベルク侯爵の率いたTOP09からの出馬である。
 一応トマーシュ・チェルニーンという名前が使われているが、本当の名前は、トマーシュ・ザハリアーシュ・ヨゼフ・マリア・デポルト・ルドルフ・カジミール・ホスティスラフ・チェルニーンというらしい。いろいろと支族のあるチェルニーン家だが、この人の一族は伯爵位を世襲していたという。
 現在のチェコには公式には貴族は存在しておらず、爵位を公的に使用するのも禁止されている。それなのに、シュバルツェンベルクの支持者たちは、スノッブにも事あるごとに、「クニージェ、クニージェ」なんて爵位で呼ぶことで、貴族などとは縁のない普通の人々の支持を失って、ゼマン大統領の誕生に手を貸してしまったのである。この人の支持者が同じ愚を繰り返さないことを願っておこう。
10月19日16時30分。


2016年10月20日

上院議員選挙決選投票1(十月十七日)



 先週の地方議会選挙と上院議員選挙の第一回戦に引き続いて、金曜日と土曜日に27の選挙区で、上院議員選挙の決選投票が行われた。投票率は、一回目の選挙の33パーセントからさらに半減して15パーセント強と大きく低下した。一回目の選挙で落選が決まった候補者の支持者達が二回目の選挙を棄権したと考えると、理解できる低下ではあるけれども、少々寂しい数字である。
 同じように寂しい数字をたたき出すのがEU議会の選挙で、2014年の投票率は18パーセントほどしかなかった。EU議会議員とか偉そうにしているけれども、有権者の五分の一以下しか投票していないのに、国民全体の信任を得ているなんてことが言えるのかね。ついでに言えば、その議会によって担保されているはずのEU委員会以下の組織が、EU加盟国全体の民意を反映しているというには、説得力に欠ける数字である。結局、EUの運営に関して、選挙の結果がどうであっても大きな違いはないという大多数の有権者達の絶望がこの投票率に現れているのだろう。

 さて、今回の上院議員の決選投票の結果を見ていたら、面白い結果と名前をいくつか見つけたので紹介してみよう。中には一回目の投票の時には立候補していることに気づかなかったものもある。
 最初に全体の結果を概観しておくと、地方議会選挙と上院の第一回選挙では、ANOの圧勝だったのだが、決選投票に進んだ14の選挙区の内、3つの選挙区でしか議席を確保することができなかった。これは、バビシュの言うように既成政党の中で候補者が決選投票に進めなかったところが、ANOの対立候補を支持することにしたからかもしれないし、ANOが勝ちすぎることを有権者が警戒したからかもしれない。
 決選投票の勝者は、圧倒的にキリスト教民主同盟で、決選投票に進んだのほとんどが議席を獲得し、単独で擁立した候補と、他の党と共同で擁立した候補を合わせると、9の選挙区で議席を獲得した。連立与党を組んでいる社会民主党とバビシュのANOが対立を深める中、漁夫の利を得たというところだろうか。

 まずは、わが地元オロモウツから始めよう。オロモウツを中心とする選挙区では、かつて市長を務めていたテサジーク氏が上院議員を務めていたのだが、今回は社会民主党のオロモウツ地方の知事のスキャンダルなどがあって、市民民主党でも、社会民主党でも大差がないことを示してしまったせいか、第一回選挙で落選してしまった。
 決選投票に進んだのは、ANOの候補者と、キリスト教民主同盟の候補者だった。一回目の選挙ではANOのブラーズディル氏が33パーセントの得票率で、二位のキリスト教民主同盟のカントル氏に5パーセント以上の差をつけて勝ったのだが、決選投票では、カントル氏が5パーセントの差をつけて、当選した。

 ブラーズディル氏は、消防士か何かの制服を着たポスターが印象に残っている。確認したらヘリで重症の患者の元に向かう救急隊所属の医師だった。半村良の『高層街』でマスコミのいい加減な言葉の使い方の例として出てきた「フライングドクター」ってやつかな。あれ、違ったかな。
 一方のカントル氏は、キリスト教民主同盟のシンボルカラーである黄色に塗った自転車を市内の各所に放置するという奇妙な選挙運動をしていた。その黄色い自転車にどんな意味があるのかは理解できなかったけど。カントル氏の本業はオロモウツにあるパラツキー大学医学部付属の大学病院の医師だということだから、この決選投票はお医者さん対決だったというわけだ。

 このように専業の政治家、いや政治業者ではなく、自らの専門分野で実績を残した人が政党に入って、あるいは政党の推薦を受けて立候補することが多いのが上院の特徴で、不要論が絶えない中、存続を主張する人が多い所以でもあるのだろう。ただ古参の上院議員によると近年の上院には、悪い意味で下院的な議員が増えているらしい。


 政治的に重要な結果が出たのは、うちのの実家のあるホドニーンを中心とする選挙区で、現職の社会民主党の候補者シュクロマフ氏が、決選投票までは進んだものの、ラティシュコビツェという小さな町の町長を務めるフバーチコバー氏に負けてしまった。第一回投票の時点では5パーセントしかなかった差が、二回目の選挙では35パーセントの差に広がったのは、二回目に薦めなかった候補者の支持者が反シュクロマフでフバーチコバー氏に投票したからだろうか。
 シュクロマフ氏は、かつて社会民主党の副委員長を務めていたのだが、今回の地方議会選挙の敗者南モラビア地方の前知事ハシェク氏とともに、2013年の下院選挙の後、ゼマン大統領と密会したグループの一員だったので、副委員長を辞任することになった人物である。それで党中央での影響力を失っていたのだが、今回南モラビアで社会民主党が敗戦を喫する一員となるともに、自らもそれに巻き込まれて議席を失ってしまった。
 当選したフバーチェク氏は、無所属だけれどもキリスト教民主同盟の推薦を受けて立候補したようだ。上院ではキリスト教民主同盟の議員クラブに入ることになるのだろう。地方の市町村の長として実績を残した人物が立候補しやすいのも、上院議員選挙の特徴で、特に近年は、市長無所属連合(仮訳)という政治団体の台頭に象徴されるように、数が増えている。全国に候補者を立てる必要があるためどうしても大政党が有利になりがちな下院選挙では、政党内でキャリアを積んだ人物が優先されるから、実務に忙しい現職の市長、町長が立候補するのはそれほど多くないようだ。日本人的感覚からすると、自治体の長が地方議会や、国会議員の選挙に現職のまま立候補できるという制度のほうが不思議ではあるけれども。

 つい最近も、中央ボヘミア地方のある小さな町の町長が、地方議会の議員だったか、地方の行政組織の高い地位についているかしていて、その町が毎年地方が使用方法を決定する補助金を獲得しているのは、その二重の地位のおかげではないのかというニュースが流れていた。もちろん、本人は助成金をもらうためのプロジェクトがうまくできていたからだと否定するけれども、もちろん、地方の行政庁の高官であるから助成金が獲得できているのである。元厚生大臣のラート氏が知事を勤めていた時期から、この中央ボヘミア地方は助成金に関してはでたらめなのだから。
以下次号。

10月18日23時。


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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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