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2018年07月19日

オロモウツのサマースクールに来る人へ2(七月十八日)



承前
 美術館の対面にある聖母なんとかマリア教会の前を通って左手の登って行く通りに入る。その前に歩行者の安全のために建物に穿たれた小さなトンネルを抜けてもいい。ここはスプレー「芸術家」に開放されているのか、誰かが依頼しているのかは知らないが、しばしば壁に描かれた「作品」が変わっている。以前街中にピアノを置いて自由に弾かせるのが流行ったときにピアノが置かれたのも風雨を避けられるこのトンネル内だった。このトンネルのある建物は博物館の施設の一つで、「石の物語」と名付けられた展示が行われているようである。石碑やら考古学的な発掘物やらが展示されているのかな。

 とまれこのウニベルジトニー通りを登って行って左側に最初に現れる入り口がサマースクールの会場のコンビクトの入り口である。コンビクトは、もともとフスは戦争の後のチェコの再カトリック化の主力となったイエズス会の建物で、パラツキー大学の前身となったイエズス会の学寮があったところである。いわば大学発祥の地なので、大学としても威信をかけて建物の修復、設備の近代化を行い、師匠があれに金かけ過ぎているから他に回ってこないんだなんてぼやいていた。
 受け付けはこの建物の110という二階の部屋である。入り口を入って真っ直ぐ進むと中庭に出てしまう。右に行くか左に行くかだが、二階なのでどちらの入り口から入っても目的の部屋にはたどり着ける。近いのは左の入り口から入るほうである。ちょっと重いドアを引いて中に入ると廊下がずっと奥まで伸びていて突き当りまで行くと普段は入れない、サマースクールの卒業式が行われるらしい礼拝堂がある。その前の階段を登ってすぐ左手にある部屋が110である。昨日行って確認してきたから間違いない。

 受付とかクラス分けのテストを終えて、コンビクトから宿舎になっている大学の寮に行くには、入り口を出て左に曲がる。共和国広場に戻ってトラムに乗ってジシカ広場で下りるという手もあるけれども、それでは面白くないので歩くほうを説明する。
 コンビクトを出て左に曲がって、右手前方に見える水色っぽい色の建物がモラビアにキリスト教をもたらしたツィリルとメトデイの兄弟の名前を冠した神学部の建物である。ビザンチン帝国のキリスト教を伝えた兄弟の名が使われているということは、カトリックのイエズス会との関係は、すでに切れているということだろうか。よくわからない。いや、そもそも国立大学で宗教教育ってのは政教分離の原則に反しないのか。ヨーロッパレベルの政教分離で問題ないのであれば、昭和天皇の大葬の礼も、今上陛下の大嘗祭も、地鎮祭も政教分離の原則には反していないことになる。

 コンビクトの建物沿いに登っていくと左手に見えてくるのが、ジャーマン・セセッションの傑作ビラ・プリマベシである。この中に入っていたレストランは現在何回目かの閉鎖中だが、ドアが開いていれば中に入って玄関の装飾ぐらいは見られるかもしれない。場所はいいところなので、なかなか定着しないのがちょっとふしぎである。意外と言えばコンビクトに入っていたレストランも閉鎖されていたなあ。昼食をとるレストランの候補が二つ減ってしまった。
 ビラ・プリマベシを越えて突き当たるのが聖ミハル教会である。かつてこの教会のある丘の上で古代ローマ帝国の遺跡が発掘されたというのだけど、それを示すようなものは現時点では見かけない。ここで左に曲がって階段を下りる。ここから城下の公園に降りられるようになっているのである。城壁につけられた監視塔とでも言いたくなるような建物の中の階段は、以前は薄汚れていて変な臭いがして入るのをためらうようなこともあったのだが、改修を受けてからはそんなこともなく、定期的に清掃が入っているようである。以前は完全に放置されていた。
 階段を下りて振り返ると、ビラ・プリマベシやコンビクトを裏側から見上げることになる。こういう裏側から見るオロモウツというのもなかなか見物なのだけど、普通の短時間のオロモウツ観光ではこんなところまでは来ないはずである。去年ガイドをした時には街の中心よりも、こういう建物の由来や建築様式なんか知らなくても見ただけで、おおすごいと思えるようなところを案内したのだった。オロモウツは教会の多い街で教会を中心に観光することも多いのだけど、信心のかけらもない日本人には、城塞都市の城壁の上に建つ建物を見上げる方が感動的である。

 話を戻そう。ムリーンスキー川のほうに向かうと右手前方に橋が見えるが、これは植物園へ入るための橋なので渡ってはいけない。ここからは右に曲がっても左に曲がっても宿舎にはたどり着ける。橋を渡って大通りに出て理学部の建物の脇を抜ければ、パラツキー大学の寮が見えてくる。
 とりあえず、左に曲がって川の上流に向かうと、ギリシャ神殿みたいなのが建っているのが見えてくる。これがかつては旧ユーゴスラビアの租借地になっていた第一次世界大戦で亡くなったユーゴスラビア出身の兵士の遺骨を納めた廟である。昨年改修工事が行われたのだが、下の納骨堂の部分だけが改修されて、上の神殿っぽい建物はスプレー芸術も含めて放置されていた。それが今日通ったら上の部分の改修工事の準備が始まっていた。

 反対に右に曲がると、城壁に一つ赤煉瓦の塔みたいなものが見えてくる。中に階段がありそうに見えるのだが、ここは宗教施設である聖ミハル教会の裏庭につながっているからか、一般には開放されていない。その手前の城壁の下に、灰色の直方体のコンクリート製と思しき物体が横たわっているが、現在は「芸術家」の手で側面にチェコの国旗とマサリク大統領の顔が描かれているかな、これが冷戦時代に建設された民間防衛組織の指揮所としても計画された防空壕(の入り口)らしい。建設された時代を考えるといわゆる核シェルターとしての機能も持っていたのかもしれない。
 共産党政権は核戦争の脅威をわりとまじめにとらえていたようで、学校でも毎年訓練が行われていて、キノコ雲を見たらそちらに足を向けて横になるように指導されたり、ガスマスクをつける訓練をしたりしていたらしい。身体測定の一つに顔や鼻の長さを測定するというのもあって、それはガスマスクのサイズを確認するためだったという話も聞いたことがある。

 左に曲がった場合は一本目の橋を渡ればいいが、右に行くと一本目の橋は植物園への入り口、二本目は通行不能なので、三本目の橋を渡ることになる。右手にはテニスコートか何かが見え、左手にはレンガ造りの土塁というか城壁みたいなものが見えるはずである。この城壁で囲まれている部分が、ペブヌーストカと呼ばれる城塞都市オロモウツの堀の外に突き出した出丸のような部分である。砲台なんかも設置されていたのかな。中に入ると最近オープンした科学体験施設(こんな言い方あるかな)がある。植物園も一部この出丸の敷地を利用しているので、植物に興味はなくても入ってみる価値はあるかもしれない。
 ミニゴルフを含むスポーツ施設と城壁の間の道を道なりに進むと大通りに出る。これが11月17日通りで、ビロード革命以後につけられた名前なのかそれ以前からの名前なのか判然としない。11月17日はビロード革命の発端となったデモの起こった日であるけれども、第二次世界大戦中にヒトラーがチェコの大学を閉鎖し学生を弾圧した日で、それが原因で国際学生の日になった日でもある。共産党政権下でこの日がどんな扱いをされていたのかが問題である。サマースクールで質問してみようか。

 通りに出て正面奥に見える建物が、パラツキー大学の法学部である。左手前方に見える横長の建物は理学部。昔はここには何の建物もなくただの野原で、ビールフェスティバルの会場になっていたのだが、いつの間にかこんな建物が建てられて、ビールフェスティバルの会場はどこかに移転してしまった。初年度は入場も無料だったし行ってみたけど、あの手のイベントはあれこれ制限が多すぎて嫌いなのでどこで行われるのかの確認すらしなくなった。
 11月17日通りを渡って理学部のほうに向かい一つ目の角を右に曲がる。その後左に曲がって右手前方に見える建物がサマースクールの宿舎である。寮の入り口と手続きをする事務所は二つの棟に挟まれた真ん中の部分にある。以前は、宿舎の管理人が英語が使えなくて、強制的にチェコ語の練習になったのだけど、今はどうかなあ。当時は寮を出るときには鍵を預けることになっていたから、初心者も含めてみんな必死で部屋番号をチェコ語で言えるように頑張っていたのである。当時も参加者が宿舎に入る日だけは英語が使える人が控えていたような気もする。

 ここの寮はモラバ川沿いにあって、気分転換に川沿いを散歩したりなんてこともできるはずなのだけど、残念ながら現在は河岸工事、ようは1997年に起こった洪水が再発しないように堤防もどきを建設中のため寮から上流も下流も川沿いの道は全面的に通行止めになっている。だから、おそらくモラバ川クルージング(ちょっと誇張)も、コースが変わっているようである。
 宿舎からコンビクトに向かうのは、上に書いたルートを反対にたどってもいいし、サマースクールの事務局から届いた地図に黄色い線が引かれているのをたどってもいい。そっちのルートを使った場合でも、橋を渡った後は、川沿いを下ってプリマベシの先の階段を登るほうがいいとは思うけど。黄色のルートの階段を登った先の通りで建物の改修工事をやっていて工事車両なんかが邪魔で歩きにくいのである。まあオロモウツは小さな町だし、特に遅刻しそうとかいうことでもなければ、あちこち歩いて迷いながらコンビクトを目指すというのもオロモウツ滞在の楽みの一つになるはずである。

 Vítejte v Olomouci!

2018年7月18日22時31分。







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