2016年03月13日
我が読書の記憶 推理小説の時代(三月十日)
小学生の中学年ぐらいまで熱心に読んでいた児童文学や子供向けにリライトされた外国産の推理小説は、お話として読んでいて、小説を読むという意識はなかった。作り物の小説であることを意識して読むようになったのは、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロなどの登場する作品の子供向けではないバージョンが最初だった。同じころにSFにも出会っているのでどちらが先とは言いにくいのだが、1980年代前半に小学校を卒業し中学校に入学した人間の例に漏れず、すぐに赤川次郎の洗礼を受けることになる。
戦後退行していた言文一致を作品の中で(恐らく無意識に)推し進めていた赤川次郎の作品の文体は、児童文学の子供向けにきれいな文章で書かれた文体に比して生き生きとして魅力的だった。最初に読んだのは、『三毛猫ホームズ』だったか、『幽霊なんとか』だったか、はたまたソノラマ文庫に収録されていた学生が主人公の推理小説だったか覚えていないが、一冊読んだ時点でとりこになっていた。
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当時の、せいぜい月に千円ほどの小遣いでは、自分が満足できるほど本は買えなかった。親はベストセラーや話題になった本は比較的買っていたが、活字狂というほどの読書家ではなかったため、自分が読みたい本を買わせるのは難しかった。そこで取ることができた方法は二つ。一つは図書館を使うことである。小学校、中学校の図書館には赤川次郎は入っていなかったので、町立の図書館へと出かけるようになった。児童閲覧室ではなく一般向けのの閲覧室で本を探して借りるようになったのだ。
もう一つの方法は、友人達と本を貸し借りすることだった。本を読む友人達のグループがあって、自分が買った本を人に貸し、友人が買った本を借りて読むというようなことをしていた。買うときにも、同じ本を買わないように多少の調整が必要だった。赤川次郎であれば、それぞれに担当するシリーズがあるというような形で買っていたのかな。ただ、今思い返すと、友人達も経済状態の悪さには大差なく、それぞれ、せいぜい月に一冊買えればいいという状態だったので、図書館で借りた本の方が多かったような気がする。そして、読書傾向が違ったのか、女の子達とは本の貸し借りをした記憶はない。赤川次郎なら女の子も読みそうなものなのだが、不思議なものである。いや、あの時期特有の気恥ずかしさというものがあったのかもしれない。高校になると平気で貸し借りしていたのだから。
『三毛猫ホームズ』は、ノベルズ版でもちょっと高くて買えず、時期的にも特に初期の何冊かは既に文庫化されていたので、文庫版で読み、もしかしたら一次文庫の光文社文庫ではなく、二次文庫の角川文庫版で読んだかもしれない。ちょっと変わったところでは、集英社文庫の女の子向けのレーベルコバルトシリーズに入っている『吸血鬼』シリーズも読んだ。これは中学校に入って知り合った先輩に借りたのだったか。当時はコバルトが女の子向けのシリーズだというのは知らなかったから、ぜんぜん気にしなかったけど、今考えるとあの先輩よく買えたなあ。
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それから、赤川次郎の影響で、作中に登場する欧米の文学作品にまで手を伸ばしたのもこのころだ。『悲しみよ、こんにちは』『異邦人』『老人と海』などの作品は、名作と言ってもいいのだろうが、赤川次郎の作品で出会わなかったら、読むことはなかっただろう。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』も読もうとした記憶はあるけど、読んだ記憶はない。この時期は、変な話であるが、友人達と競うようにして本を読んでいたのだ。この欧米文学に手を出し始めた辺りから、我が読書の迷走が始まり、高校時代の一時期、よくわからないままに純文学の作品を読むようになってしまったのである。
赤川次郎の作品は「ユーモア推理」とか「ユーモアミステリー」と言われるけれども、本を読みながら推理するというよりは、ストーリーと登場人物たちの掛け合いが楽しくて読んでいたような気がする。一部の作品を除けば、悲惨な事件を描きながらも、決して残酷な描写にも暗い話にもならず、登場人物たちも明るさと希望を失わず、何らかの意味でハッピーエンドで終わり、読後感がさわやかだったのも、赤川次郎を読む理由だったろう。
推理小説の推理の部分を意識しながら読んだ作者としては西村京太郎がいる。こちらは両親が好きだったのか結構たくさん(すべてではないけれども)うちにあって読みやすかった。もちろん図書館でも借りたし、友人からも借りて、いっぱしの、今思えば噴飯物の推理談義をしていたのだ。十津川警部が、部下の協力も得ながら証拠を集め推理を重ねて犯人を追い詰めていく緊迫感がたまらなかった。実のところは、読みながら推理するなんて頭は持っていないので、あれこれ考えながら最後まで読んだ挙句に、読後感はいつも「そうだったのか」でおしまいだった。
当時は文庫版には必ず解説がついていて、西村京太郎の作品の解説でほぼ必ず触れられていた作品が、ポワロ、メグレ、クイーン、そして明智小五郎という四人の名探偵を集めて書かれた『名探偵』シリーズだった。これがものすごく読みたくて、最初の『名探偵なんか怖くない』を読んだときには、読めたことに対する感動のあまり、ポワロやクイーンの作品まで読み耽ってしまったのである。ただ、メグレの本だけは、田舎ではどこを探しても見つけることができなかった。東京に出てからなら見つけられたのだろうが、大学時代には名探偵熱はおさまっていたので、あえて探すこともなかった。だからいまだに読んでいないのである。
この時期に読んだ推理小説やミステリーの作家は、この二人以外には、他にも読んだと思うのだけど。『迷犬ルパン』シリーズを友人の一人が貸してくれた辻真先ぐらいしか覚えていない。社会派といわれた松本清張や森村誠一は、名前を知っていたのは確かだが、作品を読んだ記憶はない。経済的に制約があったので、誰でも彼でも読むというわけにはいかなかったからなのだろう。作者で読む本を選んでいたのだから。
この推理小説、ミステリーを熱心に読む時代は、赤川次郎の影響で欧米の文学作品を読み始め、それが日本の純文学を読むという病に到った高校時代に終わりを告げる。それ以後も、機会があれば読みはしたが、以前の追い求めるような読み方はしなくなった。読書というものに、文学というものに、無駄に重い意味を求めるようになってしまって、読みやすい軽く読めてしまうものは価値がないものだという愚かな観念に支配されてしまって推理小説を読んでいるなんて公言できなくなったのだ。
赤川次郎や西村京太郎の作品を再び評価して読むようになるまでには、かなりの年月を要した。大学時代の友人が漏らした「辛い現実から本を読んでる間だけでも離れたいんだから、文学なんて読めない。そんなときに最適なのが赤川次郎の作品なんだ」という言葉も再び読み始めるきっかけとなった。とまれ、赤川次郎のような何を書いても売れる作家の存在が、1980年代以降の日本の出版業界を支えてきたことは間違いない。赤川次郎が出現していなかったら、文芸書の出版部数は大きく減らされ、値段も高くなっていたに違いない。活字狂としては、作品を読めたことだけでなく、この事実に関しても感謝しておきたい。
3月11日23時。
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