2017年11月03日
チェコ語の慣用句1(かも)(十月卅一日)
なんだか最近、映画の話と政治の話しかしていないような気がしてきたので、ちょっと違う話を。当然というか何と言うか、チェコ語にもことわざ、慣用句の類は存在する。日本語に同じようなものがあってわかりやすいものもあれば、説明されてもピンと来ないものもある。
一番日本人にわかりやすいのは、「Bez práce nejsou koláče」だろうか。「Bez」は二格をとる前置詞で、「〜なしで」という意味を表す。「práce」は仕事、女性名詞の軟変化「růže」型の単数二格である。「nejsou」は動詞「být」の現在形三人称複数の否定形で、複数になっているのは後に来る名詞「koláče」が複数一格だからである。正確に言うと男性名詞不活動体軟変化の複数一角である。では、なぜ単数の「není koláč」でないのかというと、「práce」と語尾が合わずに韻を踏まないからである。
コラーチは、甘い菓子パンみたいなもので、生地を大きく円く伸ばしてその上に果物から作ったポビドロとよばれるジャムのようなものなどを載せて焼いたり、小さく丸めた生地の中に果物やトバロフというチーズのようなものなどを入れて焼いたりする。店で買うよりも自宅で焼くことが多く、チェコの家庭のキッチンにオーブンが設置されているのは、コラーチを焼くためだといってもいい。もちろん、他にもいろいろ焼くけど。
このコラーチは、モラビアの女性が出稼ぎに出て行ったウィーンにも伝播し、それがウィーンのドイツ語にも取り入れられて「コラーチェン」という言葉になったという話を聞いたことがある。ドイツ語とチェコ語は相互に影響を与え合っているけれども、特に方言にその痕跡が強く残っているのである。チェコ語の方言に影響を与えたのが、ドイツ語の方言だったりするので話がややこしくなるんだけどさ。ドイツ語も使用範囲が広いから方言も多岐にわたるはずだし。とまれ、チェコ語では方言周圏論は成立しないのである。
話を戻そう。この慣用句直訳すると、「仕事がなければコラーチはない」ということで、すでにお分かりだろうが、日本語の「働かざるもの食うべからず」とほぼ同様の意味である。気になるのは、どうしてコラーチが使われているのかということで、朝食に食べることはあるけど間食として食べることのほうが多いものよりも、主食として食べるものを使った方が説得力があるんじゃないかなどと考えてしまう。「Bez práce nejsou piva」の方が切実だろ。韻を踏んでいないから慣用句になりにくいんだけどさ。
食べ物関係でいい言葉がないのなら、お金を使えばいい。「Bez práce nejsou peníze」だったらどうだろう。でも、直接的過ぎて慣用句とは言えないかもしれない。だから使うときには、いつもなんでコラーチなのだろうと考えながら、「べス・プラーツェ・ネイソウ・コラーチェ」と言うのである。
ところで、話は全然変わってしまうのだが、日本語では、100パーセント以上の確信があるときに、120パーセントと言うことがある。それに対して、チェコ語では106を使う。なぜか「o sto šest」と言うのである。自分では使わないので具体的な使い方が、日本語の120パーセントと同じかどうかはわからないが、もともとは冗談で一部の人たちが使っていたのが、いつの間にか広がってチェコ語として定着したものだという話を知人に教えてもらったことがある。
ということは、「Je mi tma」も冗談から出世するかもしれないねというコメントもついていたのだけど、どうだろう。ということで、この文章を読んでいるかもしれないチェコ語を勉強している皆さん、日本語ができるチェコの方に改めてお願いしておきたいと思う。「暗い」と言いたいときには「Je mi tma」、「暗くありませんか」と質問したいときには、「Není vám tma?」というのを、最初は冗談でいいから使ってもらえないだろうか。
そうすれば、何十年か後には、変なチェコ語を使う日本人を馬鹿にする冗談として広まるかもしれない。そうしたら「o sto šest」に続いて百年後ぐらいには、普通のチェコ語として使われるかもしれない。そして日本のチェコ語研究者が、その表現の起源を求めてオロモウツにやってくるかもしれないというところまで妄想しているのである。
Venku mi začíná být tma, tak jdu domů.
2017年11月1日17時。
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