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2017年05月26日

安倍総理大臣の日本語、もしくは不毛すぎる国会(五月廿三日)



 愛読しているジャパンナレッジの連載「日本語、どうでしょう?」にアクセスしたら、「そもそも」という言葉がテーマになっており、その理由が安倍総理大臣の国会での答弁だった。「そもそも」に「基本的に」という意味があるといったというのだけど、国会というのはそんなことを話し合う場だったのか。最近、チェコの国会でバビシュ財相が嘘をついたかどうかについて審議が行われて、嘘をついたという議決がなされたというニュースを聞いて、あまりの不毛さに耳を疑ったことがある。日本の国会も負けてねえなあ。
 そもそも何でこんな話になったのか、確認してみた。検索したら四月十九日付けの朝日新聞の記事が出てきたので、ちょっと引用する。引用元はここ

 議論になったのは、過去3回廃案になった共謀罪法案より適用対象を厳しくしたと訴える首相が、「今回は『そもそも』犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない。これが(過去の法案と)全然違う」と述べた1月26日の衆院予算委での答弁。民進党の山尾志桜里氏が「『そもそも』発言を前提とすれば、オウム真理教はそもそもは宗教法人だから(処罰の)対象外か」と尋ねた。


 この部分の首相の「そもそも」の使い方は間違っていないし、山尾氏の使い方も正しい。ただし、議論がかみ合っていないのは、山尾氏が意図的に論点をずらしているせいに見える。ひどいのはこれに対する安倍首相の答えである。首相の日本語がおぼつかないのは周知の事実なんだから、周辺の人間が支えろよ。日本語の集中講義を受けさせるぐらいのことはしてもいいかもしれない。

 これに対し、首相は「山尾氏は『初めから』という理解しかないと思っているかもしれないが、辞書で念のために調べたら『基本的に』という意味もある」と主張。「オウム真理教はある段階において一変した。『最初から』でなければ捜査の対象にならないという考え方そのものが大きな間違いであり、いわば『基本的に』変わったかどうかということにおいて、『そもそも』という表現を使った」と述べた。


 問題は、首相自身が「そもそも」の意味を、「初めから」「最初から」だとしか認識していない点にある。だから「基本的に」などという「そもそも」の意味に、遠くはないけれども外れた意味をどこぞの辞書から引っ張り出してくる羽目に陥るのである。
 そもそも、自分自身が使った言葉を説明するのに辞書の記述を持ってくるのが間違っているのだ。辞書には一般的な意味は書かれているけれども、どんなことを意識して使うのかまでは書かれていないことが多い。だから、自分ではこういう意味で、こういう意識で使用したのだと説明すればよかったのだ。それにしても「基本的に」はないよなあ。もしかしたら、揚げ足取りの質問には、適当に辞書にあると答えておけということなのかもしれないけど。

 さて、「そもそも」について、考えておくと、新聞記事にも挙がっている「初めから」「最初から」という辞書的な意味はそれでいい。ではどんなときに使うのだろうか。一つは、「そもそも日本という国は」と始めて、国の起源から語り起こす使い方。それから、「そもそも言葉というものは」で始めて、言葉の起源でもいいけれども、むしろ言葉の本質、根本的な部分から語り起こすような使い方。どちらの場合も、この言葉を最初に置くことによって、物事の発端、最初の分から、もしくは本質的な部分から説明を始めることを示すために使われるのである。

 それから、もう一つの使い方については、疑問文で考えるのがいいだろう。「日本語、どうでしょう?」では、「いったい」という意味でつかわれると書かれている。だからといって、「いったい誰が来るのだろうか」と「そもそも誰が来るのだろうか」が全く完全に同じだという人はいるまい。
 「いったい」を使った場合には、単に疑問を強調しているだけなのに対して、「そもそも」を使うと、今考えている問題よりも、先に考えるべき問題、本質的な問題に立ち返って、改めて考え直すような場合に使われる。例えば、お客さんにあげるプレゼントを考えているときに、来るのが誰なのか、男性なのか女性なのか、知らないことに気づいて、「そもそも誰が来るんだ?」と、プレゼントについて考える前に知っておくべきことに意識を戻すのである。
 だから、「この計画にはそもそも反対だったんだ」と過去の発端にさかのぼって言い訳めいたことも言えるし、「この団体はそもそも政党ではない」と団体の表面に現れた部分ではなく、その下に隠された本質的な部分、根本的な部分に立ち返ってコメントをすることもできる。

 そう考えると、オウム真理教について、最初は宗教団体として設立されたという面に目を向けて、「そもそも宗教法人だ」という言い方は正しい。同時に、教義に終末論的なところがあって、教団の拡大のためには犯罪的行為をも辞さなかった点に目を向ければ、「そもそも犯罪行為を肯定するところのある組織である」なんて言い方をしてもいいだろう。表面上はただの宗教団体だったけれども、その本質は世界に終末をもたらすことを目的としたテロ組織でもあったのだから。つまり首相の発言における「そもそも犯罪を犯すことを目的としている集団」にオウム真理教を含めても問題はないのである。

 この「そもそも」問題のそもそもの問題は、首相だけでなく質問した山尾氏も、「そもそも」についてよくわかっていない点にある。その点、目糞鼻糞を笑うレベルの揚げ足取りで、思想的にどちらを支持しているにせよ、こんなくだらない質問、国会でやるなよという感想を持つのが、まっとうな日本人というものである。
 朝日も含めて新聞社が、どの辞書に載っているのだと大騒ぎしたのもみっともない。新聞記者というものは、ある意味で日本語を使うプロなのだから、辞書に逃げずに、自らの「そもそも」の使い方に鑑みて、首相を批判するなり擁護するなりするべきなのだ。

 そして、内閣が、辞書『大辞林』で「そもそも」を引いて、さらにそこに語義として挙げられる「どだい」を引いくと「基本」という言葉が出てくるから、安倍首相の答弁は正しいということを閣議で決定したというのには、もう何をか言わんやである。
 自分自身の「そもそも」の使い方に鑑みて改めて断言しておく。1月26日の首相の発言における「そもそも」の使い方は、オウム真理教もそこに入れるということを念頭においても、間違っていない。ただし、4月の質問に対しての答えは、質問と同様、クソ以下である。
 「日本を愛するのなら、国語としての日本語も同じように愛してもらいたい」という「日本語、どうでしょう?」の著者が末尾にもらした言葉にはもろ手を挙げて賛成する。いや、国家としての日本は愛していなくても、日本語だけは愛せよ、と急進的日本語至上主義者としては考えてしまうのである。
5月24日17時。



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posted by olomoučan at 06:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語
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