2017年05月21日
森雅裕『椿姫を見ませんか』(五月十八日)
1986年3月に乱歩賞受賞第一作として講談社から刊行された推理小説である。『画狂人ラプソディ』『モーツァルトは子守唄を歌わない』に次ぐ三作目ということになる。前の二冊が、賞へ応募した作品であることを考えると、森雅裕がプロの作家として書いた最初の作品だと言える。
『画狂人ラプソディ』と同様、美術と音楽の世界にまたがる物語だが、こちらの方が完成度ははるかに高い。賞向けの受け狙いの必要がなかったために、本当に必要なことだけを書けたということだろうか。ただ、刊行当時、二冊を刊行順に読んだ人が、どんな印象を持ったかは、気になる。
江戸時代に隠された宝物の謎と、二十年前の贋作の謎。物語の中心となる謎は似通ってはいないし、人の殺され方もまた違う。しかし、舞台となる大学や、人間関係などの部分に似すぎていると感じた人も多いのではないだろうか。特に主人公の師事する日本画の先生の扱いが……。舞台となる大学は、芸大をモデルに設定した私立大学なのだろうから、『椿姫を見ませんか』単独で読めば気にならなくても、二つあわせて読むと気になるという人もいるだろう。
これが、森雅裕の作品をたくさん読んだ後に『画狂人ラプソディ』を読むのなら、プロトタイプなのだとか、作者自身が、あれこれ詰め込みすぎて破綻したといっていたのはこのことかと、読み比べながら楽しめたりもするのだけど。『画狂人ラプソディ』は、誰が誰をどうして殺したのかが、謎解きを終えてもいまいち納得できない部分が残ったしなあ。
『椿姫を見ませんか』をテーマとしながら、『画狂人ラプソディ』について書いてしまっているが、これは、この二作がある意味で表裏の関係、光と影の関係にあるので仕方がない。もちろん、『椿姫を見ませんか』が光の面である。後に文庫化もされているから、初版だけで絶版になったと思しき『画狂人ラプソディ』よりも商業的にも成功しているはずである。
さて、『椿姫を見ませんか』の最大の功績は、鮎村尋深というキャラクターを世に送り出したことにある。この小憎たらしくも魅力的な女性を、高校時代の自分が理解できたとは思えないから、東京の大学に入って多少は人生というものを理解できるようになってから、文庫版で手に入れたのは、幸いなことだった。その後、古本屋でハードカバーの親本も手に入れたけどさ。
森雅裕が、曲がりなりにも作家として十年以上活動できたのも、鮎村尋深の存在が大きい。実態は不明ながら「鮎村尋深親衛隊」なるものが、インターネット以前のパソコン通信の時代に存在したという話もあるし、森雅裕読者の、いや中毒者の多くが、『椿姫を見ませんか』を読んで、その魅力に取りつかれたに違いない。そして、一度その魅力に取りつかれたら、森雅裕の作品を探して書店、古書店を巡るようになるのである。
いや、ここは過去形で書くべきなのかもしれない。ハードカバーの親本も文庫本も絶版となって久しい現在、『椿姫を見ませんか』を古本で手に入れようとする人がどれだけいるのだろうか。かつて何らかの事情で手放さざるを得なかったものを、再度手元に置きたいという人ぐらいしか想定できない。
もしかしたら、熱狂的なファンたちががネット上に残した書評を読んで、森雅裕の作品を読んでみたいと思う若い人たちもいるかもしれない(拙文は書評にあらざる故、その任に堪えず)。そんな人たちには、ぜひにもこの『椿姫を見ませんか』だけは読んでほしいものである。ファンの目から見てさえ、現在では多少の古臭さを感じさせるこの作品を読んで、森雅裕の、いや鮎村尋深の魅力を理解することができたら、さらに次の本を読む甲斐があるということだ。そして、いずれは森雅裕にとりつかれるに違いない。
そんな人たちがたくさんいたら、日本の読書界の未来も明るいなんていえるのだけど、実際どのぐらいいるのだろうか。「森雅裕を見ませんか」の管理人さんは結構若い人だったようだけど、森雅裕について書かれた文章を、森雅裕を知らない人が偶然読む確率はそれほど高くはないだろう。最近は新刊も出ないから、そっちからの露出もないし……。
話を戻そう。『椿姫を見ませんか』の装丁は漫画家の江口寿史が担当している。その江口ともめたらしい様子が、自伝的小説の『歩くと星がこわれる』に出てくる。カバー画を担当する漫画家が、いつまでたっても描かないので、刊行が遅れたというので、『椿姫を見ませんか』のことだと思っていた。
しかし、この作品が刊行されたのが、乱歩賞受賞作の刊行から半年後、翌年の三月であることを考えると、それほど出版が遅れたようには思えない。扉裏に記された「五月香に」という献辞、『歩くと星がこわれる』に記された四月五日の出来事、四月五日付けで刊行された作品が多いことなどを考え合わせると、この作品も作者が四月五日付けでの発行を望んだのに、年度が変わることを理由に出版社に拒否されたのではないだろうか。それが講談社とのけちのつけはじめで、などと想像してしまう。
そうなると、江口寿史の怠慢が原因になったのは、講談社ノベルズから刊行された『五月香ロケーション』で森雅裕自身がカバー画、挿絵を描いたことだろうか。ノベルズ版に漫画家のカバー画を使うというのはよくある話だし。もう一つ、鮎村尋深シリーズ第二作『明日カルメン通りで』も考えられる。同じ登場人物があしらわれているのに、カバー画の担当が漫画家のくぼた尚子に代わっており、発行日が一月遅れの五月五日になっているのだ。『歩くと星がこわれる』に出てきた本の内容は、こちらに近いし。
この辺り、森雅裕の作家としての活動歴自体が謎が多くて推理小説的である。作者本人が自伝的小説ではなく、自伝を書いてくれれば、作者側からの真相が明らかにはなるのだろうが、いかに我々ファンが読みたいと思ったとて、出版界の現状では実現することはあるまい。いやはや、惜しむべし、惜しむべし。
5月18日23時。
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