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2016年11月01日

ストライカー列伝(十月廿九日)



 こんな名前のマンガが昔あったような気がするのだけど、ここで取り上げるのは、マンガではない。今日のスパルタ−プシーブラムの試合で、ダビット・ラファタがハットトリックを記録し、各国の一部リーグにおける得点を192にまで伸ばした。各国とはいえ、チェコとオーストリアの二カ国なんだけど、チェコ人選手としては歴代三番目の数字になるのだという。
 具体的な数字を見ると、2013年から所属しているスパルタで71点、2006年から所属したヤブロネツで88点、リーグデビューを果たした出身地のチェスケー・ブデヨビツェで27点、2007年の冬から一年半所属したオーストリアのラピッド・ウィーンで6点という内訳になる。一時ギリシャのチームにもいたことがあるはずだが、あまり試合に出られなかったのか、得点は記録していないようである。これに代表での得点、ヨーロッパのカップ戦での得点を加えたら、どのくらいになるのか気になるところだけど、どのレベルの試合まで加えるのかというのが問題になるか。とまれ、毎年のように得点王争いに加わり、20点前後を決め、五回得点王の座についている。

 このラファタと比べられるようなストライカーとなると、チェコスロバキア時代にデビューを果たしたホルスト・シーグルぐらいしか思いつかない。チェコの一部リーグで133得点という記録は、2014年にラファタに更新されるまでは、長きにわたって圧倒てきな数字であった。チェコスロバキアリーグなどの数字を合わせると、176ゴールというのがシーグルの記録である。
 この人はキャリアのほとんどをスパルタ・プラハですごし、選手生活の晩年に、プシーブラムなどに移籍しているが、ゴールの大部分はスパルタ時代のものである。面白いのは、代表でも活躍したこの二人が、一時期の例外を除けば、キャリアのほとんどをチェコ国内ですごしていることだ。現在、有望な若手選手が、チェコリーグである程度得点できるようになると、すぐに外国に買われていく選手が多く、外国では試合にも出られないことが多いことを考えると、ラファタやシーグルのような選手はもう出てこないのだろう。ムラダー・ボレスラフのフラモスタが、外国に行かずにチェコでがんばっているけれども、シーズン20得点なんて期待できそうもないし。

 歴史上一番多くのゴールを一部リーグで決めた選手としては、伝説のヨゼフ・ビツァンの名前があがる。戦前戦中戦後を通してキャリアのほとんどをスラビアですごした選手で、戦前のチェコスロバキアリーグ、戦中のナチスの保護領リーグ、そして戦後のチェコスロバキアリーグを合わせて447のゴールを決めており、この数字は圧倒的である。実はビツァンは、スラビアに移籍する前には、オーストリアのウィーンのチームでも活躍していたというから、そっちも合わせるとさらに数は増えるのだろうが、チェコでは447という数字が、ビツァンの一部リーグでのゴール数として使われている。おそらく、100ゴール以上決めた選手を集めた一部リーグストライカー・クラブとかいうものの数え方のルールに従っているのだろう。

 二番目は252ゴールのブラスティミル・コペツキー。ビツァンと同時代の選手で、同じくスラビアで活躍したらしい。こうしてみるとかつてはスパルタではなく、スラビアがチェコ最強のチームだったというのが理解できるし、ブルジョアのチームだとして共産党政権が、スラビアを解体しようとしたという話も納得できるものになる。ちなみに引退後にかつてのスラビアの選手たちを集めて行われた試合に出場中に、心臓発作でなくなったというから、文字通りスラビアに捧げた一生である。

 ゴール数のリストを見ていると古い時代の選手が多く、知らない名前ばかりが並んでいる。そんな中で、180ゴールのヤン・コレル、153ゴールのパベル・クカの名前はもちろん記憶にある。コレルは、90パーセント以上のゴールを国外リーグで決めているという点で、チェコ人選手の中では隔絶した存在だったことがよくわかる。スパルタを石持て追われるがごとく出てからベルギーで大化けした選手だからね。
 現役でラファタに次ぐのが、かつての代表のエース、ミラン・バロシュである。バロシュも若くして国外に移籍したので、外国リーグでの得点のほうが多いけれども、三割ぐらいはオストラバで決めたゴールである。現時点で121ゴール。今後リベレツでどこまで増やせるか楽しみではあるけれども、せいぜい150ぐらいまでかな。いや、最近点取れてないし140か。

 ラファタは、ビツァンはもちろん、二番目のコペツキーを超えるのも、もう無理そうだけど、通算200得点、チェコリーグだけで200得点という大記録の達成は間違いなさそうだ。外国のリーグで活躍したわけではないので、どうしても低く見られがちで、代表にもなか呼ばれなかったけれども、とんでもない選手だったのである。これでPKもらうための演技がなければなあ、などと思ってしまう。
10月30日11時。



 またまた、きれいにまとめようとして失敗。10月31日追記。

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