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2016年10月24日

秋葉原で思い出したこと(十月廿一日)



 秋葉原についてあれこれ書いていたら、大学時代に購入して聞いていたとあるCDで、「秋葉原まで」というのを、明確に「あきばはらまで」と歌っていたのを思い出した。強烈に響いたので今でも思い出せるのだが、歌っていた人は秋葉原近辺の出身で、「あきはばら」と言われるのに抵抗があったのだろうか。その曲の名前は覚えていないけれども、どうしてそのCDを買うことになったのかは、多少のあやふやさはあるけれども、よく覚えている。

 大学時代を通して、川崎市の南武線沿いのある街に住んでいた。最寄の駅近くの商店街のはずれにチェーン店ではない小さな本屋が存在した。ただの本屋だったら、家とは駅の反対側だったから、頻繁に通うなんてことはしなかったのだろうが、品揃えが非常にユニークでついつい手にとって、ついつい購入したくなるような本が多く、毎週の書店めぐりは地元のこの本屋から始めていた。
 もちろん売れ筋の漫画や雑誌、文庫なども置かれていたが、それは経営のためで、店主の趣味で普通なら紀伊国屋や書泉、三省堂なんかの大規模書店に行かなければ手に入らないような本も、かなり偏りはあったけれども置いてあったので、その手の本を探すときにも、まずその本屋に寄って、ないことを確認してから大規模書店めぐりを始めたものだ。

 それから、売れ残りは返品できる再販制度で保護された出版業界の中で、返品を許さない、いわゆる買いきりで書店に本を卸している岩波書店の岩波文庫が大量に置かれていたのも、小規模書店では珍しいことだった。岩波文庫は一度一定数を印刷して出荷した後は、市場に飢餓感を演出するために、なかなか増刷をしないので、大規模書店に在庫がない場合には、出版社に連絡をしても手に入らないことが多い。ただ書店から返品されないので、絶版の本でも、品切れ重版未定の本でも、あるところにはあるのである。
 そんな岩波文庫の宝の山が眠っていたのもこの書店で、古典文学の黄帯を中心にかなりの数、購入したし、この書店の存在を知る前に、定価よりも高額で古書店で購入したものを発見して地団太踏むこともあった。うちに遊びに来るたびに、この本屋に寄って岩波文庫のコレクションを充実させている友人もいた。

 ある日、この店で、店主が書いた自伝的な本を発見して、こういうユニークな書店を開業した人の人生はどんなものなのだろうと購入して読んでみた。読んでびっくり、60年代末から70年代初めにかけての日本のロック、フォークの黎明期に活躍した知る人ぞ知る伝説のミュージシャンであったのだ。それが、音楽業界に嫌気が差して足を洗って、川崎のひなびたところに引っ込んで書店を始めたらしい。
 そんな人物の本屋だと知った以上は、聞いてみたくなるのが人情ってもんだろ。時代がよかったのだと思う。90年代の初めぐらいから、レコード会社が過去の音源のCD化を積極的に進めており、すぐにだったか、しばらくたってだったか覚えていないが、復刻版CDで無事に店主の歌を聞くことができた。何とも言えない暗いそして粘るような、歌詞に曲に歌い方、心が弾むようなものでも、感動するようなものでもなかったが、奇妙に魅力的だった。歌の暗さが、心の中の闇を照らし出したとでも言えばいいのだろうか。当時はあれこれ抱えて鬱屈していたからなあ。

 ご当人のデビューと同時に解散したようなグループのアルバムだけでなく、解散後にかかわったらしいURC(アングラ・レコード・クラブ)という会員制のフォーク、ロックのレコード制作販売グループから出されたアルバムにまで手を出すようになり、もともとほとんど聞いていなかったけれども、同時代の音楽に完全に背を向けて、70年代以前のものばかり聞くようになってしまった。
 細野晴臣のいたはっぴいえんどとか、放送禁止の多い岡林信康なんかの有名どころはもちろん、高田渡、友部正人(この二人も知っている人は知っているだろうけど)なんかにまで手を出すようになってしまった。アルバイトをしていたとはいえ資金的には潤沢ではなかったので、一度に大量に買うなんてことはできず、買うときは結構悩んだんだよなあ。

 そんな中で一番衝撃的だったのは、「歌う哲学者」とか言われていたらしい斉藤哲夫だった。この人のアルバムの『君は英雄なんかじゃない』には、タイトルからして何も言えなかったし、収録されていた「悩み多きものよ」には、感動して震えるしかなかった。そうしたら、ソニーが70年代のアルバムを廉価版で復刻するなんてことを始めちゃったもんだから、ついつい『バイバイグッドバイサラバイ』『グッド・タイム・ミュージック』『僕の古い友達』まで手に入れてしまった。
 この人に関しての最大の衝撃は、実は80年代に宮崎美子が出演して人気を呼んだTVコマーシャルに使われていた「いまのキミはピカピカに光って」を歌っていたという事実だった。あの歌も耳に残って忘れられない歌声だったが、「悩み多きものよ」も「バイバイグッドバイサラバイ」も、耳にこびりついているからなあ。そうだったかあと納得したのだった。

 さて、秋葉原に戻ると、音楽業界を離れて久しかった行きつけの本屋のおやじさんが、こちらの印象からすると突然復帰してアルバムを発表したのだ。それが90年代の半ばのことで、当然のように応援する気持ちもあって購入した。そのアルバムに収録されていた曲の一節に、「あきばはらまで」というフレーズが出てきたのだった。
 さて、この記事に出てきた本屋のおやじさんが誰かわかる人がいるだろうか。かつてジャックスというバンドを率いた早川義夫という人である。直接話したことはないけど、お店で見かけたことはあるので、つい親近感を抱いてしまう。現在も音楽活動は続けているようなので、遠くチェコから聞きに行くことはできないけど、応援はしている。
10月21日23時30分。


 チェコに来て日本語を勉強しているチェコ人に、アメリカ映画を見ていたら日本語の曲が流れたんだけど、知らないかと聞かれたことがある。サウンドトラックで聴かされたら、何と懐かしいはぴいえんどの「風をあつめて」だった。こんなのぱっと聴いてわかった人がどのぐらいいたのだろうか。我が懐古趣味が珍しく役に立ったのだった。10月23日追記。


 これは70年代初頭にURCから出したソロアルバム。

かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう [ 早川義夫 ]





 せっかくなのでこちらも。こんなジャケットデザインだったかなあ。90年代の復刻版がオリジナルじゃなかったのかな。

君は英雄なんかじゃない 3 [ 斉藤哲夫 ]


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posted by olomoučan at 06:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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