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2016年10月13日

『太陽の世界』18巻(十月十日)



 日本では、東京オリンピックの開幕式を記念して休日であるこの日、チェコでは休日なんてこともなく、今日も今日とて仕事である。今年のチェコは九月の前半が夏並みの暑さだったのだが、ここ最近、急速に気温が下がって、朝など吐く息が白くなり、気温もマイナスに近づく日が増えている。こんな気候じゃこの時期にオリンピックはできんよなと考えて、次回の東京オリンピックを思い出す。夏のくそ暑いさなかに、台風に襲われる可能性の高い時期に東京でオリンピック? 誰が考えたのだろうか。悲劇が起こらないことを願っておこう。64年と同じで秋にやれよ、秋に。時期の都合で参加できないなんて競技は外せばいいだけなんだからさ。

 そんなわけのわからないことを考えていたら、日本から帰ってきた知り合いが、お土産だといって本を一冊くれた。その本を見て、驚きのあまり叫び声を上げるのを禁じえなかった。何せ、1990年代半ばから古本屋を回れるだけ回って、神田の古本市に足を伸ばしても、どんなに手を尽くしても発見することのできなかった本だったのだ。当時はインターネットなんて使っている人はいたけれども、電話すら引かないひねくれものだったので、コンピューターはあっても使えなかったし、ネット上で販売をやっている古本屋なんてほとんどなかったはずだ。
 その長年の念願がかなって手に入れることができたのが、表題の半村良の小説『太陽の世界』の第18巻だった。刊行された最終巻であるこの18巻でも、巻末の目録には、「全八十巻」と書かれており、1989年の時点では、執筆の中断はしても、後に再開する気だったのかもしれない。何せこの作家、連載に行き詰って中断し、十年以上たってから完結させた作品がいくつもあるのだ。『太陽の世界』も書下ろしではなく、角川書店のゲラ取り雑誌『野生時代』に一挙掲載したものを、単行本にし、その後文庫にするという形で刊行されていたし。
 文庫化された第一巻から第十四巻までは、どこかの古本屋でまとめて販売していたのを購入した。その店にあるのは、かなり前から知っていたが、あらすじに出てくる「ラ・ムー」という言葉から、伝説のムー大陸に関するオカルトじみた話なのかと敬遠していたのだ。しかし、半村良の作品をめぼしいものは一通り読んでしまえば、この希代の物語作家が単なるオカルト趣味の作品を書くわけがないのは明白で、満を持して購入に踏み切ったのだった。値段は正確には覚えていないが、絶版になって久しく、定価で買うより高かったのではなかったか。

 最初の争いを嫌い、道具の使用を穢れとして制限するアム族の設定からして秀逸で、安住の地を求めて旅を続ける途中で、モアイと呼ばれるイースター島のモアイ像を思わせる集団と合流し、苦難の果てに大陸の南東の果ての「ラ・ムー」にたどり着くまでが、最初の物語である。そして、時に舞台をアム族の外に移し、中心となる人物を変えながら、物語は拡大を続ける。
 残された神話や伝説などの資料から再現した物語と言う体裁をとっているため、神話に語られなかった英雄のその後は物語にも現れないことが多い。細かく書き込んで長く書こうと思えばいくらでも書けるはずだが、それよりもアム族とモアイが、大陸の南東の端から少しずつ勢力を拡大していくさまを何世代にも亘って描くことを選んだのだろう。
 文体的にもさまざまな実験があって面白いのだけど、特筆すべきは、アム族の、いや大陸の共通の言葉を作り出して、その中でもアム族の言葉の使い方が独特だという説明がなされるところだろうか。多くはルビで処理される言葉が、どこまで細かく設定されているのかはわからないが、その人造言語を使って言語学的な考察がなされたり、日本語との関連性が見え隠れしたりするのは、その部分だけを読んでも十分以上に刺激的だった。
 文庫版の最終巻にあたる14巻では、アム族の影ともいえるデギル(=悪魔)の二代目に当たるトマにかかわる物語が完結し、誘拐された双子の王子の片割れという謎を残しながらも、切りのいいところで終わっているので、そこから先が読めないのは残念だったが、終わり方としてこれはこれでいいのかという気持ちもあった。

 以後の四巻は、ハードカバーでしか出ていないということで、販売された冊数も少なそうなので、見つけるのは難しいかと思っていたら、ある日行きつけの古本屋の屋外の野ざらしの本棚に入れられた百円コーナーで15巻から17巻までの三冊を発見した。カバーも帯も何もなく、野ざらしで薄汚れていたけれども、思わず購入してしまった。この古本屋がどこにあったのかを、必死に思い出そうとしているのだが、全く思い出せない。小田急線沿いだったか、東急の田園都市線だったか。とまれ、以後、前にもましてその古本屋に通うようになったのだが、18巻は発見することはできなかった。
 15巻からは、新たな中心人物カゲルが、アム族の国の外側にあるマテロの国から外に移動するのに従って、物語の舞台も西に、そして北に移動していく。ネプトと呼ばれる通商を専らにする海洋民族との出会いが、この部分の中心で、カゲルは好むと好まざるとにかかわらずネプトに取り込まれ、そして誘拐されてデギルの手下に育てられ、長河と呼ばれる大河流域諸国を占領しようと企てたアム族の王子との対決を余儀なくされる。その戦いに勝利して、戦争によって疲弊した周辺諸国をまとめて王に即位する。

 カゲルの物語は、前半のハラトの王となったローロの物語と同じく、ラ・ムーの外に出たアム族が異民族の王になるまでを描いた物語である。言わばアム族が外に広がっていく、拡大する物語でもある。17巻は拡大が完結したところで終わったので、次はかつてのトマのように、ローロの息子のコルのように、外からラ・ムーに向かう人物が登場する内に向かう物語が続くのだろうと考えていた。
 実際に18巻を読んだら予想通りだったのだけど、カゲル王の領域からラ・ムーに向かう少年の物語は、一巻で終わるはずがなく、長河の流域から海に出て、これからというところで、こちらも予想通りに終わってしまう。返す返すも続きが書かれなかったことが残念でならない。栗本薫の『グイン・サーガ』は、他の作家たちによって書き継がれているが、どうなのだろう。この『太陽の世界』は、誰が書き継いだとしても、かつてのファンたちを満足させることはできないのではないだろうか。残された我々読者としては、繰り返し繰り返し読み返して、物語がどこに向かおうとしていたのかを、想像するのみである。

 いや、でも、もらった本はカバーも帯も挟み込まれた広告まで残っている美本だったのだけど、どこでいくらで購入したのだろうか。ちょっと怖くて聞けていないのである。
10月11日16時30分。


posted by olomoučan at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係
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