2022年01月17日
『たから舟』の童話二編について
まずは、「ねぼけ小僧出世物語」だが、主人公の名前が「ヤン」というところが、いかにもチェコの童話である。ヤンという名前は、現実にも最もよく見かける名前の一つだが、童話の世界でも、ヤンやそのあだ名であるホンザ、ヤネクなどの名前が、特別な名前を必要としない匿名的な主人公の名前として使われることが多い。主人公がヤンという名前の童話を集めた『チェコのホンザ』なる童話集も存在しているほどである。
だから、チェコの童話のヤンは、本の昔話でいうなら、「桃太郎」「力太郎」なんかの「太郎」に当たると考えられそうだ。ならば、題名の「ねぼけ小僧」も、「ねぼけ太郎」と訳してもいいのかもしれない。エルベンの「ドロウヒー・シロキー・ビストロズラキー」も。「長一」「太一」「眼力の強い男」よりも、「長太郎」「広太郎」「眼力太郎」なんて名前のほうが、この時代の翻訳としてはふさわしかった気がする。
そんなことを考えていて、ふと思い出したのが、日本の昔話の「三年寝太郎」と「ものぐさ太郎」である。より正確には昔話そのものではなく、佐竹昭広の『下克上の文学』なのだが、佐竹は、この手の何もしたがらない極端な怠け者として登場した主人公が、途中からそれを忘れたかのように真面目に働き始めて、嫁と幸せな人生を手に入れるという物語の構造を、「まめ」という概念なども使って見事に分析して見せている。
その分析に基づけば、この「ねぼけ小僧」の物語も、「ものぐさ太郎」の系譜に連なることになる。主人公のヤンは、最初は何時でもどこでも寝てしまう人間として登場したのに、隠者と出会って以降は、王妃の行状を突き止めるために寝ずの番をするなど、ねぼけ小僧はどこに行ったのかと言いたくなるような豹変振りである。日本の昔話と直接関係が有るなんてことを言うつもりはないが、怠け者が何かのきっかけで働き者になってという発想は、世の東西を問わず存在したのだろう。
最後の褒美として国の半分をもらうというのも、チェコの童話にはよく出てくるものである。ただし、特に映画化されるような話の場合には、誘拐されたり呪いをかけられたりした王女を救うことができたら、褒美として王女との結婚を許して国の半分を与えるというのが一つのパターンになっているから、王妃の行状を暴いただけで国の半分というのは意外な感じがした。
二つ目の「一撃九匹」のほうは、特にチェコ的だという部分はないのだけど、仕立屋という大人の職人が主人公になっているところが、ちょっとだけベチェルニーチェクの「ルムツァイス」を思い起こさせる。ルムツァイスは、仕立屋ではなく靴屋で、貴族と対立して町にいられなくなって、近くの森に移り住んで、貴族の横暴に逆らう盗賊だから、この物語の主人公のような狡さは発揮しないのだけど。
ルムツァイスといえば、貴族の末裔を紹介する番組で、貴族のイメージを貶めるのに利用されたと批判する人が登場していた。対ナチス協力者として没収された資産の返還を、あれこれ理由をつけて求め続ける、貴族の子孫達の一部の強欲な姿を見ていると、ルムツァイスが存在しなくても、貴族に対するイメージは変わらなかったんじゃないかと思うけど。
最初に読んだときには、童話なのにこの終わり方でいいのだろうかと思ったのだが、子供たちに現実の厳しさを垣間見せるのが童話の役割だとすれば、これはこれでいいのかもしれない。大蛇を倒してもらった褒美が一万円というのは流石にどうなんだろう。1920年当時の一万円の価値が現在とは比べ物にならないほど大きかったというのはわかってはいるんだけどさ。
2022年1月16日
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