2020年11月11日
建国前のチェコについて(十一月八日)
ちょっと前に、チェコの童話が翻訳掲載された『五色童話集』にチェコスロバキアの紹介が書かれていて珍しくいいことが書かれていると書いたのだが、第一次世界大戦前後のチェコスロバキア、もしくはチェコについて、どんなことが日本の書物で読めたのか、国会図書館のデジタルライブラリーで本文を読むことが出来るものの中からいくつか紹介してみよう。
先ず最初は、あの大隈重信が会長を務め、編集顧問に新渡戸稲造や上田萬年が名前を連ねている大日本文明協会が、編集刊行した『墺地利匈牙利』(1916)である。題名の通りオーストリア=ハンガリー帝国について書かれた本なのだが、「ボヘミアと他の地方」という章が立てられている。地理的な概説書かと思ったら、歴史について書かれていてびっくりした。
面白いのは、英語で「ボヘミア人といへば習俗を蔑視して、放恣な芸術的生活を送る人といふ意味となつてゐるが、実際のボヘミア人は決してさうではない」とボヘミア人の弁護をしてくれているところである。またイギリスの「ウェールス親王」の、「標語」となっている「我は事へる」という言葉と、「三本の羽の飾」は、1346年のクレシーの戦いにフランス王を助けて参戦していた「ボヘミアの盲目王」のものを採ったというエピソードも記されている。これはカレル4世の父親でルクセンブルク朝の最初のボヘミア王ヤンのことであろうか。
とまれ、この本で特筆すべきは、プシェミスル王朝の伝説を収録している点である。本文では「プレムシル朝」と書かれているけれども、伝説のチェコ人の祖であるチェフの子、クロクが登場し、その死後、三人の娘のうち一番下で「気性の勇ましい、男のやうに力優れたリブッサ」が父の後を継いだが、臣民から女性であることで君主としては敬遠されたため夫を選ばなければならなくなり、選ばれたのが農夫の「プレムシル」でボヘミアの君主になったというのである。
リブシェが男勝りだとか、女性君主を臣下が望まなかったとか、こちらが抱いているイメージとは微妙に違うのだが、リブシェの伝説について書かれているのは間違いない。プラオテツ・チェフの話しが出てこないのは、リブシェの伝説に比べると面白みがないと思われたのか、王朝の開始には関係ないと思われたのか。
その後、「オトカル」王の話がつづられるが、ハプスブルク家のルドルフと対立したことが書かれているから、プシェミスル・オタカル2世のことであろう。その子のバーツラフ二世も、「ウェンツェスラウス」として登場し、その「太子」が父の後、王位についたが「虚弱淫佚」で、その死とともにプシェミスル朝は男系で断絶したとされる。この太子がバーツラフ三世のことなのは明らかなだけに、オロモウツで暗殺されたことが書かれていないのが残念でならない。
他にも「カロロ四世」「ジョアン・フス」「ポデブラドのジョルジ」などどこかで見たような名前が登場し、歴史的な事件も、1618年のプラハ城で起こった窓外放出事件について、『プラーグ物語』という小冊子を引用する形で紹介している。窓から放り出すのが当時の裏切り者の処刑方法だったなんてことが書いてあったような気がする。因みに現場となったプラハ城のあるフラッチャニは「フラドカニ」と書かれている。
ボヘミアに続いてモラビアについても書かれているが、歴史的なことについては「一〇二九年以来ボヘミアと一体になって、運命を共にして来てゐる」と書かれるぐらいである。興味深いのはモラビアの住民のことを、「スラヴ族」で「スロヴァク人、又はモラヴィア人」としている点で、これはチェコスロバキア独立運動のチェコスロバキア人の主張に関係があるのだろうか。それとも、スロバーツコ地方が英語だとモラビアのスロバキア的な扱いをされるのと関係するのか。「ボヘミア人」のことを「チェッヒ人」と記すところもあるから、民族名に関しては混乱が見られることも指摘しておく。
スロバキアに関しては、ハンガリーの地理を説明する部分でタトラ山脈などが登場するが、スロバキアとしては立項されていない。山民として「スロヴァク族」は出てくるけれども、詳しくは取り上げられていない。独立まではこの程度の扱いだったということだろう。
2020年11月8日23時。
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