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2020年08月13日

永延二年九月の実資(八月十日)



 この月は三日の出来事からである。『小右記』の記事は残っていないが、『小右記目録』に九月二日の項に、斎宮群行のために御燈の儀式が行われないことが記されている。御燈は三月三日と九月九日に行われた儀式である。『日本紀略』には御燈の停止に加えて、この日が廃務になったことも書かれている。


 六日には『日本紀略』によれば、熒惑星が、「大微右上将星を犯す」という天文現象が観測されている。熒惑星は火星のことで、この星が関係する天文現象は大抵、兵乱ことにかかわる。大微右上将星は詳細不明。大微は大微宮のこととも考えられるがよくわからない。


 十五日は『日本紀略』の記事があって、斎宮群行を前に斎宮寮の官人を任命する除目が、摂政兼家宿所で行われたことが記されている。

 同じく十五日に陸奥守藤原国用に対して貢進された御馬を使って交易させるという官符が出されている。これは、平安末期に一時権力を握った藤原通憲が編纂を始めて未完に終わった歴史書『本朝世紀』の正暦元年八月五日条に陸奥守藤原国用が亡くなったという記事に付け加える形で記されたものである。


 十六日は、摂政藤原兼家が、新築した二条京極の邸宅で饗宴を行なったことが『日本紀略』に見える。左大臣源雅信、右大臣藤原為光をはじめとする公卿たちがたくさん集まり、「池頭釣台」で酒を飲んだようだ。「釣台」というのは寝殿造りの図にしばしば登場する釣殿であろうか。
 饗宴に際しては鬼退治の伝説で知られる源頼光が馬を卅頭献上しているが、このときは東宮大進を務めていた。宴の内容は、詩句や歌舞音曲の類に加えて、遊女までも呼び集められるという「希代事」と称されるようなものだった。「絹卅匹、米六十石」というのが遊女達に与えられた報酬だろうか。


 翌十七日は、摂政兼家以下の公卿たちが大井川に出かけている。『小右記』には「俄に」と書かれているので、事前に計画していたのではなく、前日の宴会の席でそんな話になったものだろうか。同行したとして名前が上がっているのは、道隆、道兼など兼家の縁者が多い。川辺で和歌を作ったというのだが、実資は「事極めて軽忽たり、上下目を側む」と強く批判している。
 実資自身のことについては、この日は物忌で閉門したようだが、「覆推」させた結果、開門している。


 次の記事はこの月、最も重要な行事である斎宮群行の出発の儀式である。伊勢斎宮に選ばれた恭子女王は、数え年で五歳ということで、本人がすべての儀式をこなせたとも思えないが、乳母が補助役として支えたようである。
 実資が早朝参内して、摂政兼家の直廬に参上して以後、天皇が紫宸殿に出御し、大極殿での儀式を経て、内裏に戻るまでの様子を、実資は細かく記録する。その記録を読んで、全部理解できるかと言われると、それは無理な相談だというしかないのだけど、平安京の大内裏を再建して、この記述のとおりに儀式を再現してみてくれないかなあ。
 この日の斎宮群行については、『日本紀略』にも、例によって簡潔な記事が載せられている。


 この月最後の記録は、廿八日のもので、『僧綱補任』に天台僧の安真が、崇福寺造営の功で権律師に任じられたことが見える。崇福寺は、近江宮に遷都した天智天皇が創建した寺で、天皇の行幸などもあり栄えたが、平安時代に繰り返し火災や地震の被害にあったために衰退したとされる。
2020年8月11日13時。







斎王研究の史的展開: 伊勢斎宮と賀茂斎院の世界











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