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2020年01月12日

最近チェコ鉄道事情(正月九日)



 十二月半ばのダイヤ改正以来、遅延や運行中止を連発して、最大の批判にさらされているのがドイツ鉄道傘下のアリバなのは間違いないが、レオエキスプレスや、レギオジェットなどでも、新たに運行を担当し始めた路線で、アリバほどではないが問題が発生しているようだ。一番の問題は想定していたよりも多くの車両、気動車が必要だったということのようだ。

 そのため1960年代、70年代以前にに使用されてお蔵入りになっていたものを引っ張りして使用しているところもあった。スロバキアの東部にあるフメネーから持ってきた車両が走っているなんてニュースも流れていたが、一番驚いたのは、交通博物館に展示してあったものを借り出したという話で、展示物なので車内の表示なんかもいじることができず、共産主義時代に黒海沿岸の保養地まで走っていたときの表示がそのままになっていた。
 利用者は何かの悪い冗談のように思えると頭を振っていたけれども、古い電車やトラムをレストアして走らせるイベントだと喜んで乗りに来る人たちがたくさんいるのだから、そんなイベントで特別料金を取れらるような車両に普通の料金で乗れると思って喜ぶしかなさそうだ。いっそイベントにしてしまえばよかったのに。

 ダイヤ変更直後に多少の混乱が見られるのは毎年のことなのだが、今年は大々的に私鉄が導入されたせいで、担当する路線の減ったチェコ鉄道も例年以上に混乱を見せている。始発の駅や終点の駅が変わったり、販売される切符の種類や割引が変わったりして、利用客のほうも混乱した状態にあるようだ。チェコ鉄道が往復割引の切符を廃止したことを知って、怒っている利用者もニュースになっていた。

 昨日の朝、プシェロフに行ったのだが、オロモウツ駅構内の掲示板にプシェロフ行きの普通列車は表示されていなかった。よく見るとフセティーン行きの各駅停車があって、途中通過駅にプシェロフが表示されていた。オロモウツからフセティーンまで行く各駅停車なんて、昔はともかく最近は見たこともない。今回のダイヤ改正で新しく登場した接続なのだろう。
 使用されている車両は、近年各駅停車にも新しい車両、もしくは改修済みの車両の導入を進めているチェコ鉄道らしからぬ十年ぐらい前に普通に使われていたものだった。改修されていれば座席が変わっているはずなのだが昔のまま。中には座る部分がひっくり返っていて利用できないところもあった。トイレもあるのに利用できなくなっていた。プシェロフで降りようと思ったら手動で開けるドアが内からも外からも開けられず、あわてて隣の車両に移てから降りる羽目にもなった。

 行きは行き先が意外だったのと、車両がぼろっちかったのが問題だったが、帰りの電車は今までもよく使っていたプシェロフとオロモウツの間だけを走る各駅停車で、車両も最新ではなかったが朝のものよりはずっときれいで快適だった。後のほうにちょっとぼろそうな車両も付いていたけど、それでも行き先が電光表示になっていたから朝のものよりは新しそうだった。

 ただし、問題がなかったわけではない。オロモウツとプシェロフの間を往復する各駅停車は3両から4両編成のことが多いのだが、6両編成になっていた。問題は各車両の行き先表示で、前半の3両は、ドアの窓にコイェティーン経由ネザミスリツェ行きという表示が紙に印刷されてはりつけられており、後半の3両には電光表示でフセティーンという文字が書かれていた。これがヘプとか、チェスキー・クルムロフのようなありえない地名であれば悩むこともないのだが、ネザミスリツェにも、フセティーンにもプシェロフから普通列車が出ているのである。
 前半の3両は、ホームのオロモウツ行きの表示のすぐ脇にあったのと、直前にホームの反対側の線からネザミスリツェ行きが出たばかりだったのとで、乗っている人が多かったが、後半の3両は、チェコ人でも不安に感じたようで、乗り込もうとする人はまったくいなかった。3両目も乗客がほとんどおらず、切り離されたりしたらどうしようなんてことを考えてしまった。普段は別の路線を走っている車両をこの日だけオロモウツ行きに転用したということも考えられなくはないけど、行き先表示の紙をはぐぐらいたいした手間じゃなかろうに。

 プシェロフの駅では、アリバのプラハとニトラを結ぶアリバエキスプレスが、3月まで運休するという表示も見かけた。アリバにとっては最も重要な便だろうに、利用者が減っているのか、人員が足りないのか。一度乗っただけで二度と乗るまいと思ったから、こちらに実害はないけど。アリバだけでなくレオも、木曜日のいくつかの便を運休にするという表示を出していたし、新たに参入した路線の負担が大きく、そのしわ寄せが既存の路線に来ているようにも見えなくない。

 競争を導入して利用客へのサービスを向上させようというのは、プラハ−オストラバ間などの幹線の特急では大成功を収めた。それを地方のローカル線まで拡大し、一部の担当企業を変えた結果、鉄道の運行は、二十年、三十年昔に戻ったかのように不安定になり、近年大きく改善されてきていた利便性も元の木阿弥になってしまった。何よりも鉄道網が分断され、チェコ鉄道に乗れば、どこにでも(たいていのところには)行けるという安心感がなくなったのが痛い。
 鉄道の部分的な私鉄化というのは、EU内のトレンドに乗っかったものだろうけど、太陽光発電と同じで追随しすぎたのが大間違いだったとしか言えない。日本でもヨーロッパではこうだからとかいう理由であれこれ主張する人がいるだろうけど、相手にしないほうがいい。ヨーロッパでうまくいっていないことでも賞賛するような「ヨーロッパ通り」もいそうだしなあ。
2020年1月9日24時。













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