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2019年07月31日

シュムネー・パルドゥビツェ(七月廿九日)



 フラデツ・クラーロベーからラベ川を下ったところにあるのがパルドゥビツェである。ラベ川と支流の合流点を利用して水濠に囲まれた都市を建設した点で共通しているし、人口も大体同じぐらいで、両都市の間には強いライバル意識があるなんて話もある。それが現在のチェコの地方行政の単位であるクライが成立した際に、パルドビツェとフラデツ・クラーロベーを中心とする二つのクライに分かれた理由だともいう。二つの町をまとめて一つのクライに入れてしまった場合、どちらをクライの首都にするかで話し合いがつかないに決まっているのだとか。

 パルドゥビツェの駅前に立っている銅像は、チェコの鉄道の父とも言うべきヤン・ペルネルという人物である。特にプラハからパルドゥビツェを経て、チェスカー・トシェボバー、オロモウツを結び、プシェロフでウィーンから北上してくる線につながる鉄道の敷設に貢献した人物だっただろうか。チェスカー・トシェボバーの駅前にも、かなりデフォルメされたこの人の像が置かれているし、かつてはチェコ鉄道の特急の名前にも使われていた。
 駅前から右に延びる大通りをひたすらまっすぐ2kmほど歩くと、いつの間にか旧市街にぶつかる。駅前と旧市街の間には近代の建築物がないわけではないけれども、オロモウツやフラデツほどの風情はない。通りの左側がふくらんで広場になっているところでバスケットの大会が行なわれていて、背の高い人たちが闊歩していた。この前のフラデツの空手といい夏休みを利用してのスポーツ大会が各地で行われているということなのだろう。

 ここでもまずはインフォメーションセンターに足を向ける。旧市街の入り口の塔の手前の建物にあるのがわかりやすい。お散歩コースがないのか確認すると、二つあるという。一つは、歴史的な建物を巡るコースで、パルドルビツェを領有し発展に大きく貢献したペルンシュテイン家のビレームの名前が付けられている。この人15世紀半ばに生まれた人なのだけど、巡る記念物はそれよりもずっと新しいものもあるようだ。
 二つ目は、映画にもなったオペレーション・シルバーA、つまりナチスのボヘミア・モラビア保護領の総督ハイドリッヒ暗殺にかかわり、パルドルビツェで命を落としたアルフレート・バルトシュの最後の動きをたどるというもの。二つ目は旧市街の外のあまり魅力的ではないところを回るようだし、とりあえず一つ目のだけにしておこう。

 最初のポイントは。旧市街に入る門とその上にそびえる塔。フラデツが白なら、こちらは緑で、緑の門と名付けられている。全体の高さは59メートルで上まで登れたけど、螺旋階段が狭くて登りづらい上に、料金を払う受付が下ではなくて上にあるようだったので、途中まで登って引き返してしまった。
 このパルドルビツェの歴史的散歩コースで特筆しておくべきは二つだけ。本来ならペルンシュテイン広場にある壮大な市庁舎も対象になるのだろうけど、改修工事で外からも中からも、ちゃんと見ることができなかった。だから一つ目は、旧市街の一番奥にある城館で、二つ目はラベ川支流フルディムカ川の水流を利用した製粉所の巨大な建物である。

 城館のほうは、残念ながらかつての内装が残っていないということで、お城としての見学ではなく、中に入っている博物館の展示を見るしかないのだが、建物そのもの、もしくは建物と旧市街、ラベ川との関係がなかなか見ものである。このお城、周囲に日本の河川の堤防のような土塁が築かれていて、その外側にラベ川から水を引き込んで、文字通り池の真ん中に浮かぶ城だったようなのだ。城に入るためには旧市街を抜けなければならず、しかも街と城の間に渡された橋を渡る必要があったらしい。
 博物館の人の話によると、この城館と街を整備してパルドルビツェ発展の基礎を築いたのは、パルドビツェ家から街を購入したペルンシュテイン家の人々で、中でもビレームの功績が大きかったという。だから広場の名前もビールの名前もペルンシュテインなのである。ただ、ペルンシュテイン家は、その後財政難からパルドビツェを維持できなくなり、ハプスブルク家に売却することになったのだとか。
 城館を出て、土塁に登って今は公園になっているかつて堀、もしくは池のあった部分を見下ろす。残念ながら土塁から公園に降りて行くことはできなかった。街との間になぜかテニスコートがあるのだけど、チェコだからなあ。四隅は円形に外側に突き出していて、砲台として使われていた時期もあるようだ。そのうちの一つは柵で囲まれてヤギの飼育が行なわれていたけど、時々放して草刈の手間を軽減させているのかな。

 もう一つの見所は、「シュムネー・パルドルビツェ」に出てきた製粉所である。これも20世紀初めのゴチャール設計の建物なのだが、フラデツの水力発電所とは違って存在をすっかり忘れていたので、川の向こうに発見したときには、思わず声を上げてしまった。確か今でも現役で稼動しているとテレビでは言っていたような記憶がある。近くまで入ったけど、敷地の中には入れなかった。

 パルドルビツェの全体的な印象は、悪くない。悪くないのだけど、隣のフラデツと比べたら劣る。ただ、オロモウツからの交通の便はこっちのほうがいいから、お城の改修工事が終わったころにもう一度という気がしなくもない。競馬好きなら障害レースのベルカー・パルドゥビツカーを見に行くということになるのだろうけどね。
2019年7月29日24時。












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