2019年04月03日
新しい年号の決まった日に(四月一日)
五月一日という何とも中途半端な日に行われる改元に先立って、新元号が発表された。日本時間の午前中の早い時間、8時とか9時に発表されるのなら、頑張って起きていて発表の瞬間に立ち会おうかとも思ったのだが、11時半の発表だというので、寝てしまうことにした。現在夏時間が始まったばかりで日本との時差は7時間だから、午前4時半まで起きていたいとは思えなかった。冬時間でも3時半だからあきらめていただろう。午後からの発表でもいいじゃないかとか、朝廷なんだから朝発表しろよとかいちゃもんを付けたくなってしまう。
さて、すでにあれこれ批判も出ている新元号の「令和」だけれども、第一印象は、耳で聞いても目で見てもなんだか落ち着かないというものだった。耳で聞いての印象は、R音で始まる言葉は、すべて漢語も含む外来語であるという日本語の特性によるものであろう。過去の年号を見てもRの音で始まるものは、数えるほどしかなく、よく知られているのは奈良時代の元正天皇の時代の霊亀ぐらいのものである。
もう一つ気になるとすれば、平成の前の昭和と音の響きが似ている点だろうか。しかし、考えてみれば平安時代なんか近接する年号で漢字も共通、読みも似ていて混同しやすいなんてのがいくつもあったわけだからあえて気にする必要もないか。あの時代は天とか長とか同じ漢字が頻出していて、最近の記憶力の衰えた頭には覚えづらくて仕方がないのである。
目で見ての落ち着かなさのほうは、どう考えても「令」という字の字体に原因がある。偏を付けて「冷」「玲」なんかにすると前に支えができて安定するのだが、「令」だけだと、特に手書きでPC上と同じように書いた場合に、前に倒れそうな危うさを感じてしまう。どちらかというと、手書きで使う人の多い、下の部分をカタカナの「マ」に似た形にした字形のほうが安定しているから、自分ではそう書くつもりなのだけど。
今回の新年号「令和」に、第一印象からいちゃもんを付けてみたが、付けられそうなのはこれぐらいで、どれもこれも本質的なものではない。漢字の意味や出典が『万葉集』とされていることなどには何の不満もない。最高の年号ではないかもしれないが、「平成」には、慣れてしまうまでの間、不満が付きまとっていたことを考えると、上々の決定ではないかと思った。それなのに批判する人が意外と多いのは、現在の日本の古典教育の貧しさを反映しているのだろう。「令」という字から命令しか連想できないと批判するのは、古文漢文の素養のなさを自ら明かして恥をさらしているに等しい。
ところで、S先生のブログでは、「令和」=クール・ジャパンと見事に読み解かれていたが、古典文学、平安時代の古記録を読むのが趣味で、できる外国語はチェコ語と漢文だけだと自慢する人間としても、S先生に倣って「令和」を「自分なりに」読み解いてみたくなる。ということで、ひねくれ者の古典愛好者が読むとこうなるというのをやってみよう。
我々平安至上主義者にとって、「令」といえば、命令なんぞではなく、「律令」である。律令が人々が守るべききまり、現代の法律のようなものであることを考えると、この文字に「きまりをまもる」「秩序ある」社会という意味を読み取ることもできる。きまりを守ること、守らせることを批判する人は、アナーキストを除けばそうはいるまい。この文字を選んだことで政府を批判するなら、命令云々という難癖をつけるのではなく、きまりを守らない政府に「令」の字を選ぶ資格はあるのかという形、もしくは「令」に則ってルールを守れという形で批判するべきなのである。
また、古典文学の徒にとっては、出典である『万葉集』に出てくる「令月」という言葉よりも、逆にした「月令」のほうが親しく感じられる。これは現存最古の年中行事書とも言われる『本朝月令』の題名からもわかる通り、月ごとに行われる儀式についてまとめたものを指す言葉である。平安時代の貴族にとっては毎年の年中行事を滞りなく行っていくことが、重要な政治の一部となっていたが、それは年中行事が催行できるということは、社会が安定していなければならないからである。社会を安定させるために年中行事をできるだけ例年通り挙行していたと考えてもいいか。
つまり、この「令」には、伝統的な年中行事を大事にしようという意味を込めることもできるし、年中行事がつつがなく行えるような安定した、事件、災害のない時代を希求する気持ちを込めることも可能なのである。殊に「平」という文字を使いながら、まったく平らかではなく、大きな事件、自然災害の多かった平成という時代を考えるとなおさらである。
ここで一つ疑問なのだが、そもそも、現代の日本語に於いて、命令の「令」の字を単独で命令の意味で使うことがあるのだろうか。「命」であれば、「命ずる」という動詞があることから、単独で命令するという意味で使用するのは明らかだが、「令」は「令ずる」という形では使わない。漢文で「令」には使役の意味があるということは知っている人も多いだろうが、使役を命令だというのは、同じく使役の助字である「使」の字に命令の意味があるというのと同じぐらい現代日本語にはそぐわない。
しかし、「令和」と言う元号は、漢文風に「令」を使役で読んで訓読してこそ、その意味が十全になるのかもしれない。何の文脈もなく単に書下した「和せしむ」であれば、なんのこっちゃだが、「国民をして相ひ和せしむ」とちょっとばかり言葉を足してやればどうだろうか。社会のあちこちでいろいろな形で分断され、相互の議論すらまともに成り立たずに多数決という数の暴力ですべてが決まり、少数派が不満を抱える状況になってしまった現在の日本社会が、新たな天皇を迎えて掲げる年号としてこれ以上のものはないように思われてきはすまいか。戦後の民主化天皇の役割は、国民の統合の象徴だったはずである。
ということで、上に書いた願いを「令」に込めた上で、「令和」とは「国民をして相ひ和せしむ」なりと解しておく。これが実現するためには、自分の話をするよりも相手の話をじっくりと聞生きて理解するという姿勢が必要なのだが、現在の政治家、マスコミを見ているとなあ。いやその前に、チェコの大統領にこの言葉を捧げておこうか。聞いてももらえないだろうけどさ。
2019年4月2日16時20分。
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