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2018年12月25日

数詞の格変化3と4(十二月廿日)



 次は順番通りに3である。3以上は1格から7格まで三性共通になるのがありがたい。また2と違って、形容詞や代名詞などの活用語尾との類似性も高く覚えやすいという利点もある。

 1 tři
 2 tří
 3 třem
 4 tři
 5 tři
 6 třech
 7 třemi


 1格が「i」で終わるというのが問題といえば問題なのだけど、それを除けば、難しい語尾は2格の「í」ぐらいしかない。ついつい1にならって「třech」にしてしまうそうになる。3格、6格、7格の語尾は、1の複数形の語尾と同じである。「ě」が「e」になっているのは「r」の後には「ě」が使えないからに過ぎない。さすがのチェコ語も1、2を経て3ぐらいまで来ると難しさを維持しきれなくなっていると考えていいのかな。5以上になるとさらに覚えるのが楽になるわけだし。
 この3も、2と同様に、種類を表す形、組を表す形があって、2の場合と同じ使い方、格変化をする。その「trojí(三種類の)」「troje(三組の)」よりも、個数を表すのには「třikrát」を使った方が楽なのも同じ。また、形容詞の「trojitý(三重の)」もある。ただし陸上の三段跳びは「trojitý skok」ではなく、一単語にして「trojskok」という。「trojitý skok」はフィギュアスケートの三回転ジャンプかな。普通は「skok」のところに、「アクセル」とか「リッツベルグル」とかジャンプの名前が入るけど。

 ということで4に行こう。3と同じで「i」でおわるから、格変化もまったく同じと言いたいところだけど、そうはいかないのがチェコ語である。

 1 čtyři
 2 čtyř
 3 čtyřem
 4 čtyři
 5 čtyři
 6 čtyřech
 7 čtyřmi


 2格で語尾の母音が消え、7格で母音なしで「mi」をつけるのが、一番気をつけるべきところだろうか。3に引きずられて「čtyří」「čtyřemi」としてしまわないように注意しなければならない。
 また、種類、組を表す数詞があるのも同じだが、形が2、3とは異なる。それぞれ「čtverý」「čtvery」となり、形容詞の硬変化と同じ格変化をする。種類、組を表す数詞が形容詞の硬変化に準じた格変化をするのは、5以降と共通している。「四重の」を意味する形容詞も、2、3とは形が微妙に変わって、「čtverný」となる。

 2から4の数詞に関しては、後に来る名詞は複数で、数詞と名詞の性と格は常に一致する。また2から4の数詞の付いた名詞が文の主語(1格)になっている場合には、動詞は複数形になる。つまりこの三つの数字はどんなときでも複数扱いになるのである。これは5以降の数詞とは扱いが違う部分で、当然だと考えられているのか、チェコ語の教科書ではあまり強調されないが、単複の区別に弱い日本人にはきっちり説明しておいて欲しいと思うところである。

 例を挙げておくと、

 ・Dva Japonci byli v této hospodě.
  飲み屋に二人の日本人がいました。

 ・Jel jsem do Prahy s třemi kamarádkami
  三人の友達と一緒にプラハに行きました。

 ・Studoval jsem na čtyřech univerzitách.
  4つの大学で勉強しました。


 5以上の場合との比較はまた次回。
2018年12月21日20時30分。









2018年12月24日

数詞の格変化2(十二月十九日)



 次は順番通りに2である。1と違うのは単数がなく、複数の形しか存在しない点である。ただし「二種類の」という意味の数詞は存在し、そちらは単数につけて使うことも多い。いや使う機会は少ないけど、その機会の中では単数につけることも多いというのが正しいか。避けようと思えば避けられる言葉だし。
 ということで、格変化の特徴だが、形容詞など名詞につける言葉の複数1格では、普通男性名詞活動体、男性名詞不活動体+女性名詞、中性名詞という三つのグループに分かれることが多い。しかし、この「2」は、男性名詞の活動体と不活動体に同じ形が使われ、女性と中性が共通の形を取る。4格と5格は1格と共通で、それ以外の2格、3格、6格、7格は三性共通なので、覚えることはそれほど多くない。

 1 dva(男)/ dvě(女・中)
 2 dvou
 3 dvěma
 4 dva(男)/ dvě(女・中)
 5 dva(男)/ dvě(女・中)
 6 dvou
 7 dvěma


 注意すべきことは、共通の形を取る組み合わせで、2格と6格、そして3格と7格という組み合わせになる。また3格は「m」で終わるものが多いだけに、「a」をつけるのを忘れてしまうことがある。7格の語尾の「ma」はこの「2」に特徴的な語尾で、他の形容詞や代名詞などには現れない形である。例外として手や足、目などの人間の体に二つずつついているものにしか使われない、単数と複数の間の、2つのときだけ使う形、いわゆる双数の7格に現れる。
 口語的チェコ語で、名詞、形容詞などの複数7格の語尾に、性を問わず「ma」が現れるのは、この「2」の格変化に影響を受けたものだろうか。普段から口語チェコ語を使っている人が、文法的に正しいチェコ語を使おうとして、「2」の7格まで「dvěmi」にしてしまう間違いをする人がいる。これを直しすぎというらしい。外国人も同じ間違いをすることはあるけれども、それは直しすぎではなく、他の形容詞や名詞などからの類推による間違いである。

 この「2」の後で特殊な形を取るものとして、これも数詞の「100」がある。チェコ語では「sto」で、原則として中性名詞の「město」と同じように格変化するのだが、「200」のときだけ、1格が「dvě stě」と中性複数の「sta」ではなく、見慣れない「stě」という形になる。文法的にはそれが正しいのだけど、チェコ人の中にも、それを知らず「dvě sta」が正しいと思っている人もいて、こちらがせっかく正しいチェコ語を使ったのに間違いだと指摘されることもある。間違いの指摘の間違いに気づけるようになると、それはそれで成長を感じられて嬉しいのだけどね。

 それで、単数に付けることのできる「2」の数詞は、「dvojí」で、「二種類の」という意味になる。末尾が「í」となっていることから想定されるとおり、形容詞の軟変化型の格変化をする。これは特に単数で表される集合名詞や、概念を表す名詞などの原則として複数形を取らない名詞につけて使うことが多い。ただし、例えば「dva druhy piva(二種類のビール)」などのように、種類という意味の名詞「druh」を使うことで、使用を回避できるから、どうしても覚えなければならない言葉ではない。
 それに対して、覚えておいたほうがいいのは、複数でしか使わない名詞とともに使う「dvoje」である。こちらは、種類ではなく「二組の」、もしくは「二つの」という意味になり、同じ種類のものが2つある場合にも使用できる。「dvoje boty(二足の靴)」「dvoje těstoviny(二袋のパスタ)」なんて具合である。格変化は、1格、4格、5格以外は、「dvojí」と同じで形容詞軟変化型である。こちらも「dva páry bot」「dvě balení těstoviny」という形で使わずに済ますことは可能である。

 以上の二つをまとめると、多分「dvojí noviny」は二種類の新聞で、例えばムラダー・フロンタとリドベー・ノビニまとめてさすときに使い、「dvoje noviny」は同じ新聞を二部という場合に使うのだと思う。「と思う」と日よってしまうのは、「dvoje」は滅多に使わないし、「dvojí」はチェコ語の授業以外では使ったことがないからである。同じものを二つなんてときには、「dvakrát(二つ/二回)」を使うというのが身についてしまっていて、よほど意識しない限り「dvoje」なんて口から出てこない。
 むしろ使うというよりは、よく聞くのは、形容詞化した「dvojitý」である。こちらは「二重の」という意味で「dvojité okno(二重窓)」のように使う。フィギュアスケートのジャンプもこれで「ダブル何たら」を表すし、他のスポーツの中継でしばしば耳にするのでいつの間にか覚えてしまったのである。問題は耳で覚えた言葉の常でつづりが怪しいことで、ついつい「dvojtý」と書いてワードに直されてしまう。耳で聞いても違いわからんし。

 この「2」と全く同じ格変化をするのが、「oba(両方)」で、派生する「obojí」「oboje」が存在するところまで同じである。ただし形容詞化した「obojitý」は存在しない。
2018年12月20日20時55分。










2018年12月23日

数詞の格変化1(十二月十八日)



 ということで、より厄介な、正確には一つ目の1がむやみやたらと厄介な数詞である。とはいえ、指示代名詞と格変化が共通だから、変化を覚えること自体はそれほど難しくない。一番厄介なのは、1なのに複数形があるという理不尽である。
 まずは単数から。「ten」は昨日取り上げたばかりなので、共通性の高い男性と中性をまとめて表にする。

 1 jeden(男)/ jedno(中)
 2 jednoho
 3 jednomu
 4 jednoho(活) / jeden(不)/ jedno(中)
 5 jeden(男)/ jedno(中)
 6 jednom
 7 jedním


 女性
 1 jedna
 2 jedné
 3 jedné
 4 jednu
 5 jedna
 6 jedné
 7 jednou


 問題は、形容詞「jediný(唯一の)」と形が似ているので、混同しないことだろうか。これは特に複数の格変化を覚えるときにも注意をしなければならない。複数もまとめて表にする。

 1 jedni(活)/ jedny (不・女)/ jedna(中)
 2 jedněch
 3 jedněm
 4 jedny(活・不・女)/ jedna(中)
 5 jedni(活)/ jedny (不・女)/ jedna(中)
 6 jedněch
 7 jedněmi


 格変化の語尾自体は「ten」と共通なので覚えること自体は問題ないのだが、末尾の子音の前につく「ě」が出てこないのである。ついつい形容詞の影響で、「y」や「ý」にしてしまって、ワードの校正機能に赤線を引かれてしまう。「ten」のほうではこんな間違いはしないので、やはり形容詞「jediný」が存在するのがいけないのだと考えている。こんな言葉、存在を知らなければよかったのだけど、使うと便利な言葉ではあるのだ。

 さて、本来単数である「1」に複数形が存在する理由だが、それはチェコ語には複数形しか存在しない名詞があるからである。「noviny(新聞)」「toalety(トイレ)」「boty(靴)」「kalhoty(ズボン)」「ústa(口)」「brýle(眼鏡)」などがそれにあたる。
 三性共通でない格では、「1」の活用語尾と名詞の活用語尾が一致することが多いから、「1」を使うためだけなら、性は特に意識しなくても問題ないのだが、名詞を正しく格変化させるためには性を判別することが重要なのは言うまでもない。また、地名にも複数の名詞が「Alpy(アルプス山脈)」「Tatry(タトラ山脈)」などしばしば出てくるが、地名に「1」を付ける状況は想像もできないので、気にすることはないか。

 それでも、「1」に複数形があるのが納得できないという人には、あまり触れられないけど(サマースクールの記事では触れたかな)、2以上の数詞にも、名詞の単数につける形(種類を表す数詞)と、複数でしか使わない名詞につける形が存在することを指摘しておこう。2なのに単数につく、これもまた変な話だけど、文句を言っても仕方がない。単数と複数という考え方自体が、日本人にはなじまないのだから、グダグダ言わずに覚える、それがチェコ語を身につけるための一番の方法である。といいつつ、ぽろぽろこぼれているものも多いのだけどさ。
 いや、でも「podle jedněch novin(ある新聞によると)」とか、何か落ち着かないのである。それでついつい「podle jedných novin」としてしまうのだけど、やっぱりワードに赤線を入れられてしまった。
2018年12月19日20時55分。











2018年12月22日

指示代名詞tenの格変化(十二月十七日)



 久々にチェコ語の文法の話をば。ややこしいので避けていたのだが、人称代名詞をやってしまった以上、数詞と代名詞tenの変化についても取り上げておく必要があろう。最初は厄介な数詞の1から始めようと思ったのだが、数詞の1を基準にして、指示代名詞や所有形容詞の格変化を説明するよりは、指示代名詞tenを基準にしたほうがいいことに気づいたので、予定を変更して指示代名詞tenからである。
 チェコ語の格変化も、日本語の漢字と同じで、最初の全く知識のない時点よりも、ある程度知識が蓄積されてからのほうが、新しいことを覚えるのが簡単になる。これまで勉強してきたこととの共通点が増えていくため、これはあれと同じとか、あれに似ているとか、すでに覚えたことを基準にして新しいことを覚えて行けるようになるのである。

 その点ではこの指示代名詞tenも例に漏れない。三人称の人称代名詞の格変化との共通性が、特に男性形と中性形において顕著で、活用語尾は全く同じである。男性形は、当然4格で、活動体につく場合と不活動体につく場合で形が違う。

男性
 1 ten
 2 toho
 3 tomu
 4 toho(活) / ten(不)
 5 ten
 6 tom
 7 tím


中性
 1 to
 2 toho
 3 tomu
 4 to
 5 to
 6 tom
 7 tím


 2格、3格、6格、7格は、男性名詞も中性名詞も共通の形をとる。4格は男性名詞活動体のみ2格と共通で、不活動体、中性名詞は1格と共通、5格はいずれも1格と共通。この辺りも三人称の人称代名詞の格変化を踏襲している。類似の指示代名詞「tento」「tamten」などは、「ten」の部分だけを格変化させることになるので、これだけ覚えておけば問題なく使える。

 女性の場合には、人称代名詞と完全に共通というわけにはいかないが、活用語尾の短母音、長母音の区別は共通する。つまり、語尾の母音は形容詞の女性単数と同じだが、長短の区別は人称代名詞の変化に基づいているのである。

女性
 1 ta
 2 té
 3 té
 4 tu
 5 ta
 6 té
 7 tou


 御覧の通り、語尾に出てくる母音は、形容詞硬変化の女性形とほぼ同じである。そして、三人称の人称代名詞「ona」の格変化で長母音が出てこず、短母音になっている1格、4格、5格で、形容詞の長母音を短母音に変えてやれば、「ten」の女性形の格変化が出来上がる。ただし、7格の「ou」と4格の「u」を長短の関係だと認識する必要がある。
 この認識が正しいかどうかはこの際どうでもいい。このように認識すれば覚えやすくなるというだけの話で、言語学者ならざる語学の徒にとっては、言語学的な正しさよりも、覚えやすさのほうが重要なのである。ってこんなことすでにどこかに書いたような気もする。

 複数は、1格と、1格と共通な4格(男性活動体は除く)、5格以外は三性共通である。違うところだけ先にあげると、活動体は1、4、5が「ti」「ty」「ti」の順番、不活動体は3つとも「ty」、女性形も三つとも「ty」で中性は三つとも「ta」ということになる。

複数三格共通部分
 2 těch
 3 těm
 6 těch
 7 těmi


  末尾の子音は形容詞の複数と同じ。ただ、その前の母音が長母音の「ý」ではなく「ě」になるだけである。人称代名詞の複数との共通性も高いので、ここ二つの格変化を覚えていれば、「ten」の格変化はそれほど難しくない。そして、「ten」の格変化を覚えてしまえば、男性単数が「en」で終わるほかの言葉、例えば「všechen(すべて)」「jeden(1)」などの格変化が覚えやすくなる。覚えれば覚えるほど、次を覚えるのが楽になるのである。問題は似ているものを混同してしまうところだけれども、それを問題というのは贅沢というものである。

 この「ten」は動詞のあとにくる名詞の格を示すのにも使われるので、できるだけ早めに覚えておいたほうがいい言葉の一つである。そんなのばっかりだと言われればその通りなので、自分なりの優先順位をつける必要はあるだろうけど、「ten」を後回しにして、中途半端に覚えた状態でチェコ語のサマースクールに出て苦労した人間としては、できるだけ早めにねと言うしかない。
 次もチェコ語ねたで、数詞かな。
2018年12月18日23時55分。









2018年12月21日

ハンドボール女子ヨーロッパ選手権終了(十二月十六日)



 十一月末に始まったハンドボールの女子ヨーロッパ選手権は、開催国フランスの優勝で幕を閉じた。決勝の相手は一次グループで負けたロシア。フランスは去年の世界選手権に続いての優勝で、来年日本で行なわれる世界選手権でも優勝候補の筆頭ということになりそうだ。

 3位に入ったのは、去年の世界選手権でも3位だったオランダ。チェコが去年準々決勝で負けた相手である。4位はチェコが初戦で負けたルーマニア。去年の世界選手権ではチェコが勝ったけど、ルーマニアはやはり強豪ではあるのだ。

 昨年の世界選手権で準優勝だったノルウェーは、一次グループでチェコにしか勝てず、二次グループに勝ち点を持ち越せなかった出遅れが響いて5位に終わった。二次グループでは三連勝で勝ち点6まで積み上げたが、同じ勝ち点になったルーマニアには一次グループで負けていたため、当該チームの対戦成績でグループ3位となり、準決勝ではなくスウェーデンとの5位決定戦にまわることになった。

 チェコ代表は、一次グループの最終戦のドイツとの試合に、善戦はしたものの勝つことができず、その時点で敗退が決まった。エースのルズモバーが試合中に左の肘を怪我して痛みのあまり涙を流しながらベンチに引き上げるような事態が起こったらしい。攻守の中心選手がこんな事態に巻き込まれたのでは勝ち目は薄いと監督は試合後に語っていた。
 それはともかく、チェコがドイツに負けた後の試合で、ノルウェーがルーマニアに負けるという予想外の展開があったために、ドイツに勝っていたとしても、チェコは二次グループに進出できていなかったのだが、一勝もできなかったのは残念過ぎる。選手たちも昨年の結果を受けて今回のヨーロッパ選手権ではさらなる上位進出を狙っていたようだけど、まだそこまでの実力はなかったということか。それでも世界選手権、ヨーロッパ選手権に連続して出場し続けているのだから、これを継続していけば、いずれはまた上位進出のチャンスが巡ってくることだろう。
 フルプコバーの欠場など、今回の大会は最初から付きがなかったとも言える。選手層の薄いチェコでは中心選手が一人欠けるだけで大きな戦力ダウンになってしまう。期待の若手が何人かいるとはいえ、フルプコバーの穴を埋めることはできなかったようだ。来年の世界選手権に向けてモンテネグロとプレーオフで対戦するのだがそれまでにはフルプコバーが復帰することを願おう。男子のカシュパーレクのように期待の若手が少しでも早く主戦力にまで成長してくれればいいのだけどね。

 去年の年末の女子の世界選手権、今年初めの男子のヨーロッパ選手権は、チェコ代表が頑張ったおかげで書くこともたくさんあったのだが、今回は一次リーグ敗退で大してかけることはないし、男子に至っては来年初頭の世界選手権には出場できないのである。問題はチェコ代表の出場しない世界選手権をチェコテレビが放送してくれるかどうかである。放送されれば仕事をホッぽりだして見る自信はあるのだけど。

 短いので国内のハンドボールの話を少し。今年のハンドボールのテレビ中継は、時間が固定されていないのがつらい。本来週末に行われる試合が、テレビ中継のために水曜日や金曜日のサッカーもアイスホッケーも中継されない日の夜に移されているのだ。テレビのプログラムの雑誌にも、発行時点では決まっていないのか載っていないことも多く、見逃してしまうことも多い。中継に失敗するなんてこともあったし、チェコのハンドボール協会のHPで紹介しているネット中継は、見ていると頭が痛くなるし……。

 ということで、今年は去年以上にチェコ国内のハンドボールの試合を見られていないのだが、心配が一つ。オロモウツから一番近いエクストラリガのチーム、リトベルがダントツの最下位に沈んでいるのである。二部から上がってきたばかりで、苦戦するだろうとは予想していたけれども、10試合以上やって勝ち点無しというのは予想もしていなかった。悔しいのは、昨年の夏にリトベルと入れ替わるように一部に昇格したゼマン大統領の町、ノヴェー・ベセリーが完全に一部に定着して上位争いをしていることである。フラニツェもそれほど成績がいいわけではないし、オロモウツ地方のハンドボール、ちょっと危機である。やはり、スポンサーが……ということになるのだろう。

 とまれ、今週は、金曜日にエクストラリガの試合が放送されるようなので、今年のチェコのハンドボールの見納めをしておこう。
2018年12月17日23時45分。









2018年12月20日

だから環境保護活動家は……2(十二月十五日)



 昨日の話が、当初の予定とは違う方向に向かってしまったので、肉食を減らせと主張する環境法後団体に対するいちゃもんがもう一回続く。

 この地球温暖化を防ぐために、肉を食べる量を減らそうという主張にはいくつか危惧すべき点があるように思われる。その主張の正当性はおくとして、環境保護を理由に肉食をやめる人にとやかく言うつもりはない。すでに地球上には様々な理由で肉を食べない人たちがいるのである。一つぐらい肉を食べない人のタイプが増えたとて、大差はない。
 問題は、環境保護団体の関係者というものが、世界に迷惑を撒き散らしたキリスト教の宣教師並みに、他人の迷惑を考えない押し付けがましい存在であることである。それを考えると、求められもしないのに、肉食を減らすことを勧めて回りそうである。それどころか、今は肉食だけだが、今後は禁止や抑制を求める品目が増えていくことが予想される。最初は禁煙派と結びついて、煙草の禁止だろうか。煙草も燃焼しているわけだし。まあ、それぐらいなら非喫煙者としては文句はないが、そこで止まるとは思えない。

 温室効果ガスと聞いて最初に思い浮かぶのは二酸化炭素である。つまりは炭酸ガス、炭酸水に溶けているものである。これでこちらが危惧していることが理解してもらえるだろう。環境保護団体の次なる標的が炭酸入りの飲み物になるのを恐れているのである。コーラなんかの所謂清涼飲料水ならまだ許容範囲だが、それがアルコール入りの炭酸飲料であるビールにまで及ぶのは許し難い。
 最悪のシナリオは、現在喫煙の撲滅に血道をあげている、健康のために人々の生活習慣を変えさせることを目標にしている団体が目標を達成した後、次なる標的をアルコールに定め、地球温暖化防止を目指す団体と結びついてビールの生産禁止を主張し始めることである。世のビール党よ、環境保護団体の口車に乗せられて、肉食の削減を実行すると、我らが黄金の飲み物が飲めない未来が近づくぞよ、注意されたし。
 それにしてもである。ビールの炭酸ガスは醸造の過程で発生するものだからどうしようもないけれども、炭酸飲料の生産に使われる二酸化炭素を、大気中から回収するなんて技術は存在しないものだろうか。大気中の濃度を考えるとものすごく効率の悪いものになりそうだけど。とまれ、これが一つ目の危惧。

 二つ目は、環境保護のために人間が動物の数を調整するという思想そのものに対する危惧である。肉食を減らすことで排出される温室効果ガスを減らそうということは、飼育される家畜の数を減らして呼吸によって排出される二酸化炭素の量を減らそうということであろう。人間の食事のために命を奪うのはよくないという一部の菜食主義者の主張と通底しそうなところのある主張だが、今後も地球温暖化が進んだ場合に、この考えがエスカレートしないという保証はない。
 家畜の数を減らすところから始まって、野生の動物の数を人間が調整するのを経て、人間の数を調整するところまで行きかねない。いや、地球温暖化を防ぐためには地球上に動物が存在しないのが一番いいというのが極論の極致か。ここまで極端なことを主張してくれれば、逆に尊敬してしまいそうである。それはともかく、温暖化の進行の抑制がうまく行かない場合に、先鋭化して過激化しやすい考え方だということだけは間違いない。
 この動物の数を減らして温室効果ガスの排出量を減らすことを主張しているのが、環境保護を主張する団体であることに暗澹たる思いがする。自然保護を謳うのなら、呼吸で二酸化炭素を排出する動物の数を減らすことより、光合成で二酸化炭素を吸収する植物を増やそうと主張するものではないのか。ポーランドの畜産だって、牧草地を管理、維持することで、荒地のまま放置されたり、工業用地としてコンクリートやアスファルトに覆われたり、太陽光発電のソーラーパネルに覆われたりするのに比べれば、二酸化炭素の吸収に寄与しているはずである。

 この記事の環境活動家の主張を読んで、思い浮かんだのは、声高にビール禁止が叫ばれ、温暖化防止を叫んでテロが起こる悲惨な未来だった。そんな未来の到来を防ぐためにも肉食は続けよう。
2018年12月16日23時40分。







posted by olomoučan at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2018年12月19日

だから環境保護活動家は……(十二月十四日)



 先日こんな記事を発見してしまった。ポーランドで開催されている気候変動会議とやらで肉を使った食事が提供されることに対して、環境保護活動家たちがいちゃもんをつけているという内容なのだが、思わず正気を疑ってしまった。そもそも、この手の国際会議の食事というのは、開催国にとっては自国の産物の見本市のようなところがある。だからポーランドという畜産が盛んで、肉類、乳製品の輸出も多い国で会議を開催することが決まった時点で、こうなることは明らかだったはずである。

 記事中に「家畜だけで世界の温室効果ガスの14.5%を排出している」という国連の概算が引用されているが、この人たちは、人類が畜産をやめることを望んでいるのだろうか。地球温暖化を防ぐためなら、ある産業を衰退に追い込んで、その産業に従事している人たちに廃業を押し付けてもかまわないと考える。この傲慢さが、おそらく地球温暖化を訴える環境保護活動家たちの意見や、活動が一般社会に受け入れられにくい原因となっているのだろう。
 仮に、家畜が排出する温室効果ガスが14.5%だというのが正しいとして、人間が肉食を減らすことと、そのガスの量が減るのとの因果関係がはっきりしない。もちろん、現在飼育されている家畜をすべて処分してしまって、家畜のいない世界にしてしまえば、14.5%分の温室効果ガスは減るかもしれない。いや、肉の代わりに人間が食べるものの生産にかかる温室効果ガスのコストを考えれば、そこまでは減らないか。

 12日にわたっておこなわれる会議の期間に、出席者たちが肉料理を食べ続けることで、約190万リットルの恐らくガソリンを燃やすのと同等の温室効果ガスを排出する可能性があるという主張も記されているが、これが出席者たちが自宅で普通の食事をしていた場合との差なのか、肉類を提供しなかった場合との差なのか、単に会議で提供される食事に使われる肉類を生産する際に発生する温室効果ガスの量でしかないのか判然としない。
 会議が、冬のポーランドで開催されていることを考えると、環境保護活動家が主張する野菜や果物、ナッツ類中心の食事を供する場合には、そのほとんどが国外からの輸入品ということになろう。これらの食品は、下手をすれば、南米やアジアから輸入することになるのだから、輸送によって発生する温室効果ガスの量も馬鹿になるまい。

 それに、こんなデータを出すのであれば、会議を開催したことによって発生する温室効果ガスの量についても触れなければ、不公平というものであろう。会議のために世界中から集まった人々の移動や、会議の会場の暖房などによって発生した温室効果ガスの量と、肉食を提供するために発生した温室効果ガスの量を比べると、どちらが多いのか気にならないのだろうか。
 そんなことを考えると、いわゆる地球温暖化を防ぐには、グローバリゼーションを抑制するのが有効だという声が聞こえてこないのが不思議である。かつてないほどの数が地球の空を飛びまわっている飛行機や、大陸間の貨物の輸送のために海を行く多くの船舶は、地球温暖化に影響は与えないのか。人工衛星を打ち上げるためのロケットはどうなのか。その辺りのことを無視して肉食を減らせば温暖化が緩和できると言われても、反感を生むだけである。

 ポーランドでの国際会議で肉をつかった食事が提供されることを批判するなら、ポーランド産の肉を使った料理を提供するために排出された温室効果ガスの量と、環境保護活動家が主張する野菜、果物を中心とする食事を提供するために排出された温室効果ガスの量を、輸送、保存にかかる分まで算出して比較するべきであろう。その結果、肉料理の提供のためにかかる温室効果ガスの量のほうが、はるかに大きいというのであれば、活動家の言葉も説得力を持つが、ただ肉を生産するために温室効果ガスが大量に出ているから、肉食を減らそうなどと言われても、食文化の破壊としてしか受け止められない。
 これは自動車についても同じで、自動車を走らせるためのいわゆるランニングコストが、電気自動車のほうが小さいのはわかる。問題は電気自動車とガソリン自動車を、部品も含めて開発、生産、廃棄処分するために必要な温室効果ガスの量まで含めた比較したデータはないのだろうか。それなしに電気自動車の方が環境にいいとか言われても、両手を挙げての賛成はできない。環境保護活動家は一方的なデータしか出さないとか、自分たちの考えに都合の悪いデータは隠すとかいう批判が消えないのは、環境保護活動家たちのやり方に原因があるのである。

 件のプラスチックストローの問題にしても、プラスチックを紙に置き換えることですべて問題は解決するみたいな風潮があるけれども、割り箸の使用を森林を破壊するものとして批判していた環境活動家たちのことを思い出すと、どうにもこうにも信用できない。これだから環境保護活動家というのは……。
2018年11月14日20時35分。
 






posted by olomoučan at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2018年12月18日

チェコのチーム三連勝(十二月十三日)



 今週行われたサッカーのチャンピオンズリーグとヨーロッパリーグのグループステージ最終戦で、チェコから出場している三つのチームが、三つとも勝利を挙げた。チャンピオンズリーグとヨーロッパリーグの本戦にチェコのチームが合わせて三チーム進出するということ自体が滅多にないことを考えると、同じ週にチェコのチームが3連勝するというのが初めてのことだったとしても不思議はない。

 最初は、水曜日のプルゼニュである。最終節の相手は、勝ち抜けを決めているASローマ。ジェコがけがで欠場中のためチェコ人のパトリク・シクが出場するのも楽しみだった。グループの状況は、レアルとASローマが、それぞれ1位、2位でも勝ち抜けを決め、プルゼニュとCSKAがヨーロッパリーグの春の部に出場できる3位の座を争うという構図だった。
 大本命のレアルがモスクワでCSKAに負けるという余計なことをしてくれたおかげで、本来なら直接対決の結果で、プルゼニュの3位が決まっているはずのところが、最低でも最終節でCSKAと同じ勝ち点を取らなければならないという状況に追い込まれていた。つまり、プルゼニュが3位に入るためには、CSKAが勝った場合には、勝たなければならなかったのである。

 CSKAが負ければ、負けても問題なかったのだけど、クラブ・ワールドカップを間近に控えるレアルは、そちらに気が向いていたのか、前半終了時点で0−2で負けていた。プルゼニュのほうは0−0で、このまま試合が終わればプルゼニュは4位に転落するところだった。後半に入って、最近ヤブロネツ時代の輝きを取り戻しつつあるコバジークのゴールで先制したものの、リンベルスキーのミスから失点して同点に追いつかれたのだが、コバジークのシュートをキーパーがはじいたところにいたホリーが押し込んで勝ち越し。そのまま最後までリードを守ってプルゼニュが勝利し、グループ3位とヨーロッパリーグ行きを決めた。
 プルゼニュは、これが確か三回目のチャンピオンズリーグなのだが、毎回3位でヨーロッパリーグに勝ち残っている。グループ上位2位に入るようなヨーロッパのトップチームにはかなわなくても、何とか3位の座を勝ち取るのブルバ率いるプルゼニュのしぶとさなのである。今回は勝ち点7で3位になったのだが、これはプルゼニュがチャンピオンズリーグで獲得した最高の勝ち点で、そのおかげで臨時収入となるボーナスも過去最高の額になったのだとか。でも、レアルは最下位のCSKAに2敗で、他は全勝だったのか。何とも不思議な成績である。

 木曜日のヨーロッパリーグでは、まず初出場で未だ勝利のないヤブロネツが、グループ首位を決めているディナモ・キエフと対戦した。ウクライナのキエフは雪が降っていたようで、オレンジ色のボールを使用していた。すでに最下位での敗退が決まっているヤブロネツが、前半10分ぐらいにあげた得点を最後まで守り切って、初勝利を挙げた。得点者はドレザルではなくドレジャル。
 これまで、試合の最後の最後に失点して、勝てた試合が引き分けになったり、引き分けの試合に負けたりしてきたヤブロネツだが、この試合も最後のほうは守りに入ってあわやというシーンがあったようだが、これまでの失敗を糧に、最後まで失点を許さなかったようだ。キエフがすでに一位通過を決めていて、無理して勝ったり引き分けたりする必要がなかったというのも大きいのだろうけど、勝ちは勝ちで、ヤブロネツにとっては価値ある初勝利である。今まで予選でもほとんど勝てていないからなあ。

 午後9時からの試合で、最後のチェコチームとして登場したのは、負けなければ2位での勝ち抜けが決まるスラビア・プラハである。相手は1位通過が決まっているゼニト・ペトロフラット、ではなくてサンクトペテルブルク。昔はチェコ人が監督、選手として活躍したチームだが、現在は誰もいないのかな。前半は0−0で終了したが、後半に入ってズムルハルとストフのゴールが決まったスラビアが2−0で危なげなく勝利した。特にストフのゴールは思わず声が漏れてしまうような見事なゴールだった。気温が−4度ぐらいまで下がる中、スタジアムに集まった1万5千人を越える観客も大喜びだっただろう。

 チェコのチーム3連勝で、国別クラブランキングでも、1.2ポイント加算して、順位を一つ16位に上げている。もう一つ上げて15位にしておきたいところである。15位までは5チーム、ヨーロッパのカップ戦に送り込むことができるが、16位以下は4チームになるのである。そのためにはヨーロッパリーグでスラビアと、プルゼニュが最低でも1ポイント獲得する必要がある。そうすれば、14位のデンマークを抜くことができる。ただ17位のクロアチアもディナモ・ザグレブが勝ち残っていて、逆転される可能性は残っている。
 今週の結果は、対戦相手がすでに勝ち抜けどころか順位まで確定していて、勝ち負けにそれほどこだわる必要のないチームだったおかげでもあろう。しかし、これまではこんな状況であっても、勝てないチームが多かったのだ。それを考えると3チームとも勝ったというのは、チェコのサッカーが上昇気流に乗り始めている証拠なのかもしれない。代表もいい方向に回り始めたようだし。

 オロモウツの人間としては、プルゼニュのホリー、ヤブロネツのドレジャルというオロモウツ育ちの選手たちが得点を決めたのが嬉しい。この二人がオロモウツにいてくれたら、オロモウツもここまで点が取れないなんてことはなかったのだろうけど。イラク代表に誘われているというユニスが化けてくれるといいんだけど、ネシュポルとかドボジャークあたりをよそからつれてくるぐらいだったら、ユニスの成長と不調のプルシェクの再覚醒にかけてもいいと思う。
 明日はバニークとの試合である。オロモウツでの試合だったら、試合前の時間帯には街に出ないほうがいいなあ。確認したら試合が行なわれるのはオストラバだった。ふう。

2018年12月13日23時25分。








2018年12月17日

海外医学部の話2(十二月十二日)



 以前、ブルノに住む知り合いから、マサリク大学でも医学部に日本人の学生を受け入れ始めたという話を聞いた。その人の話では、一度に二十人以上の日本人学生が入学し、その大半は英語能力が高くなく、日常会話さえおぼつかず、これじゃ医学の勉強なんて無理だろうという状態だったらしい。これについてはすでに触れたような気もする。
 その後、パラツキー大学に医学部生を送り出している日本側の事務局の人とお話をする機会があったのだが、ブルノのマサリク大学への学生の送り出しをやっているのは別の組織で、パラツキー大学とは違って、マサリク大学の医学部で直接勉強を始めるのではなく、まず予備コースに通って英語などを勉強した上で、学力的に問題がないと認められた人だけが、医学部の本科に進めるような形になっているのではないかと教えてもらった。

 だから、その予備コースの一年なら一年で、英語で医学を勉強できるだけの力をつければいいということなのだが、果たしてそれは可能なのだろうか。日本でしっかり勉強して、それこそ医学部の入試に合格できるようなレベルの英語力がある人なら、一年外国で英語を使って勉強、生活することで、実践力を身につけて英語で医学を勉強するところまで行けそうだけれども、高校を卒業した時点で片言レベルの英語しか使えない人が、たった一年で英語で医学を勉強するところまでいけるのか大いに疑問である。
 少なくとも中学、高校で6年間英語を毎日とは言わないまでも、週に何回かの授業を受け続けた成果を、たった一年で上回ることができるものなのだろうか。心機一転、勉強に対する態度を変えて、他にすることのない環境で集中して勉強することで、能力を大きく伸ばす人も出てくるかもしれないが、それは例外に留まるのではなかろうか。日本ではない以上、英語も日本語ではなく、直接英語で勉強することになるのである。予備コースから学部に進める人がどのくらいいるのか、そして学部に進んだ人のうちどのくらいの人が卒業までたどり着けるのかと考えると、この記事のように安易に外国で医学を勉強することを勧める気にはなれない。

 ハンガリーの医学部についても、問題があるという話を聞いたことがある。すでに卒業して日本の国家医師試験に合格した医学部生がいる一方で、10年以上ハンガリーの大学で勉強したものの卒業できずに、つまりは日本の国家医師試験を受ける資格を得られないままに帰国してしまう人もかなりの数いるらしい。それは、ハンガリーの大学では、外国人向けの医学部だけかもしれないが、一度入学してしまえば、成績が悪くても在籍だけはさせてもらえるのが原因だという。
 だから、取得単位が足りず、留年を繰り返し、在学できる期間の限度内に卒業できる見込みがまったくなくなった学生でも、最低限の単位さえ取っていれば、10年なら10年在学だけはできるのだという。その辺のいかにして大学に残るかというのは、代々の日本人学生が情報として受け継がれているため、本来の医師になるという目的を忘れて、途中からは大学残ることが目的になってしまう人もいるのだとか。

 10年内外ハンガリーにいたのだから、少なくともハンガリー語はできるようになっているんじゃないかと、話をしてくれた人に質問したら、大学に残るためにはハンガリー語は必要ないし、外国人留学生として生活する分にはハンガリー語はほぼ不要だから、できる人はほとんどいないという答えが返ってきた。むしろ、ハンガリー語ができるようになる人は、医学の勉強でも優秀で順調に進級して卒業する人に多いらしい。学年が進むと病院での実習なんてのも入ってくるだろうから、それに向けてハンガリー語を勉強しなければならないと言う面もあるのかな。
 このハンガリーの留年への寛容さと、チェコの二年生への進級が一番大変で、一年目で大学を辞める人が一番多いという現実と、どちらが学生本人のためになるのだろうか。医学の勉強に失敗しても別な分野でやり直せる、もしくは医学の勉強を別の学校で一からやり直せるという意味では、パラツキー大学の制度の方が、結果的には学生のその後の人生にはプラスになるのだろうか。はかない夢を見続けていられる、もしくは見続けている振りができるという点ではハンガリーの方がいいかもしれないけど、それはあまりに刹那的過ぎる。

 最後に記事を一点だけ訂正しておくと、ハンガリーは知らず、チェコでは医師資格試験は存在しない。それに代わるのが大学の医学部の卒業の資格である。ただ、チェコ国内で医師として仕事をするためには、チェコの医師会への登録が必要で、外国人が登録するためには、チェコ語のEU規準の語学能力判定でB2レベルの試験に合格する必要があるらしい。

 これは卒業して日本の国家医師試験を受ける準備をしている人に聞いた話だが、日本の厚生省が受験希望者に課す提出書類を集めるのが厄介らしい。ある程度の共通性はあるとはいえ、国によって出してくれる書類が微妙に違うので、厚生省が必要かつ十分な書類として認定してくれるかどうか、事前にわからないのが一番大変だと言っていた。
 無事に大学を卒業しても、医師試験を受けるためだけにも、日本の医学部を卒業した学生以上の苦労が待っているのである。そう考えると、チェコであれ、ハンガリーであれ、医学部を卒業して日本の医師試験に合格した人の努力には賞賛以外の言葉は出てこない。今後もパラツキー大学をはじめ、外国の大学で医学を勉強する人たちが卒業まで頑張り続けられることを祈りたいと思うが、同時に、外国に行けば何とかなると安易な気持ちで外国の医学部を目指す人が増えないことを願っている。
2018年12月12日23時55分。









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2018年12月16日

海外医学部の話(十二月十一日)



 昨日の話を書き始めたきっかけは、ヤフーの雑誌のところでこんな記事を見かけたことにある。日本の医学部ではなく外国の大学で医者になる勉強をする人が増えていて、中でもハンガリーの人気が高いという記事で、書かれていることはおおむね正しいのだけど、海外で医学を勉強することに対してあまりに楽観的ではあるまいかという疑念を抱いてしまった。海外で英語で医学を勉強しようと考え、それを実行している人たちには頭が下がるけれども、当初の志を貫徹して大学を卒業して医師になれる人は、それほど多くないというのが現実である。
 この記事を読んで数字に驚かされたところが2つある。一つは毎年100人ほどの日本人がハンガリーの大学に入学しているという点で、もう一つは2013年以降ハンガリーの医学部を卒業して日本の医師試験を受けた学生が56人という点で、どちらも意外に多い数字でである。この二つの数字を見比べただけでも、ハンガリーで医学部に入って、毎年100人入学しているのに、2013年以降の6年で卒業までたどり着いたのは50人ちょっとでしかない。それでも海外で医学を学ぶ人たちの実態を知っている人間からすると多いと思えてしまう。それが現実なのである。

 思い返せば2003年か2004年だっただろうか。ハンガリーの大学の医学部に学生を送り出している組織の人から、パラツキー大学について教えてほしいという相談を受けたことがある。確か当時すでにハンガリーでのプロジェクトが動き出していて、第一期生を送り込めたからだったか、軌道に乗ったからだったか、覚えていないけれども、周辺国でも同様のプロジェクトを考えていて、チェコでの候補としてパラツキー大学も上がっているので情報を集めていると言っていた。
 実際に、その数年後にパラツキー大学での日本人学生の受け入れが始まるのだが、その頃、2008年か2009年ごろにはすでにハンガリーの大学では日本人卒業生が出始めていたと聞いている。ただ、その数は、当然入学した学生の数よりはるかに少なかった。

 パラツキー大学の医学部の話をすれば、毎年日本人の入学者はいるが、その数は多くても数人でしかない。これは大学側が、日本まで出向いて入試を行い、英語の能力などかなり厳しく審査した上で合格者を決めているからだと聞く。入試が難しい分、志望者もハンガリーほどは多くないようだが、その分、優秀な外国で医学を勉強する覚悟を決めた学生が集まるといってもいいだろう。
 それなのに、入学してくる学生の過半は、二年生に進級することなく大学を離れてしまう。中には英語の授業に全くついていけず、自ら諦めてしまう人もいるし、二年に進級するための試験に合格できずに退学になる人もいる。学生たちの覚悟が足りなかったとも、努力が足りなかったとも思わない。外国で、医学という日本語で勉強しても大変なものを、外国語である英語で学ぶというのは、それだけ大変なのだ。記事中にも識者のコメントとして「語学のハンディさえ乗り越えて」と書かれているが、そのハンディの山は、我々実際に体験したことのない人間には想像もできないほど大きく高いに違いない。
 以前関係者に、英語で学ぶという問題を除くと、一年生でつまずく原因になっているのは解剖学だという話を聞いたことがある。英語で授業を受けるのには問題なくても、解剖学の単位が取れずに進級できない人もいるらしい。ということは、外国に出る前に。日本で解剖学を学んでおいても悪くないのかもしれない。どこでという問題はあるだろうけど。

 もちろん、英語の能力が必要になるのは言うまでもない。それもいわゆる日常会話レベルのものではなく、専門的な講義を聞いて理解し、理解できない場合には質問するだけの語学力が必要になるわけである。パラツキー大学に来た初期の学生達は、入学前にアメリカかどこかで一年の語学研修を受けた上で、医学部の勉強を始めたと聞いている。それが初期の学生達の過半が二年生に進級し、すでに数人の卒業生を輩出できている理由となっているのだろう。
 最近はその語学研修はなく、中には高卒の現役でやって来る人もいるようだが、苦戦している人が多い印象である。だから、外国の医学部で勉強するためには、日本の大学の医学部の入試に合格するため以上に、英語の能力を上げておく必要がありそうだ。それも試験のための英語ではなく、実際に読み書き、聞き話す能力が大切である。

 パラツキー大学の医学部で日本人学生が勉強を始めて10年ほど、入学者は多くて年に5、6人なので、多く見積もっても入学した学生の総数は50人ほどになる。そのうち半分はまだ終了年限が来ていないのだから、卒業していておかしくない学生の数を半数と見て、25人のうち卒業までたどり着いたのが5人。パラツキー大学のように念入りに入試を行ってさえ、卒業できるのは概算で20パーセントにすぎないのである。実際には入学者の数が少ないはずなので、もう少し確率は上がるだろうが、50%を越えることはありえない。
 日本の医学部の入学した学生が卒業する割合というのはどのくらいなのだろうか。その数字によっては、記事の中の識者のコメントの東欧の大学が大健闘しているというのはむなしいものになってしまう。

 この話もう少し続く。
2018年12月11日23時10分。








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