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2021年04月27日
最近読んだ本2(四月廿四日)
チェコテレビで、毎週土曜日に「シャーロック・ホームズの冒険」が放送されるようになって、俄に軽いホームズ熱が復活して、自分がどの話をドラマで見たり、本で読んだりしたことがあるかなんて考えていたら、読みたくなってしまった。今回テレビで見た作品を読んでもいいのだけど、最初の作品で、読んだことは覚えている『緋色の研究』を最初に読んでみることにした。ウィキペディアによれば、グラナダTVでのドラマ化はなされていないというしさ。
この『緋色の研究』、読んだのは確かなのだけど、普通の翻訳ではなくて、子供向けに修正を受けたものではないかと思う。小学校の高学年で、最初から子供向けに書かれた「少年探偵何とか」の翻訳に飽き足りなくなって、クリスティーのポワロシリーズや、ルブランのルパンなんかと共に、シャーロック・ホームズにも手を出したのだ。ただそれもまた子供向けのシリーズだったというわけだ。子供向け以外でこの手の古典的翻訳推理小説って読んだっけと考えると、西村京太郎の『名探偵なんか怖くない』で存在を知ったエラリー・クイーンの作品か。クリスティの『カーテン』『アクロイド殺し』は、早川文庫版で読んだ記憶がある。シムノンのメグレ警視のシリーズは田舎の図書館、書店では発見できなかった。
だから、『緋色の研究』をちゃんと一般向けの翻訳で読むのは、今回が初めてだったのかもしれないのだが、話の内容をさっぱり覚えていないことに驚いた。覚えているのは、子供の頃、読んだときも、どうしてこれが『緋色の研究』なんて題名になっているんだろうと思ったことである。BBCの現代化されたシャーロック・ホームズでは、最初の犠牲者がピンク色のものを持っていたと記憶するけど、血で文字が書かれていたのが緋色なのかな。それともモルモン教が緋色をシンボルにしていた可能性もなくはないのか。
今回再読して、改めてシャーロック・ホームズは短編のほうが面白いと思った。事件の謎解きの後に、長々と事件に至る過去の経緯が語られるのは読んでいてちょっと疲れる。短編でも先週ドラマで見た「Mrzák」、日本語だと「曲がった男」とか訳されるのかな、でインド時代の回想が続くのに、あんまりシャーロック・ホームズっぽくないなあなんて感想を抱いてしまった。こんなことを考えたのでは、模範的な読者にはなれそうもない。
ということで次は短編集を読もう。なんて考えて、土曜日の番組表を見たら、今週放送されるのは、「Strakatý pás」となっていた。「まだらの紐」である。あれ、「しゃべくり探偵」シリーズに、「まだらの紐」の「紐」は紐じゃないとかいうところがなかったっけ? 確認しようと探したのだが、肝心の『しゃべくり探偵』が見つからない。続編の『しゃべくり探偵の四季』はあったので、そちらを確認すると、ホームズ役の保住くんが組んだバンドの名前が、英語の原題をそのままカタカナにした「スペックルド・バンド」だった。
この部分の、「紐」とか「ヘビ」とか出てくる和戸くんとの掛け合いも面白くて、これが頭に残っていたのかとも思えなくはないのだけど、もっと露骨に誤訳をあてこするような場面があったような気もする。それにしても、「しゃべくり探偵」シリーズには、この手のディープなホームズファンじゃないとわからないような、当てこすりやら洒落やらがあるのだけど、全部はわかっていないんだろうなあ。
ホームズのパロディといえば、赤川次郎の「三毛猫ホームズ」シリーズも、中学校の頃は熱心に読んでいた。再読したくなったのだけど、こちらにもって来た本の中にも、日本に変える方からもらった本の中にもないのが残念である。大きな声では言えない方法で入手したテキストファイルの中には、赤川次郎の作品もあったけど、「三毛猫ホームズ」はなかったし。だからといって、現在の定価で買いなおす気にもなれないし……。
2021年4月25日24時
タグ:シャーロック・ホームズ パロディ
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2021年04月26日
『コスマス年代記』第二部(四月廿三日)
エルベンの『花束』の翻訳のダウンロードなどでお世話になっている「cesko- STORE」からメールが来て、『コスマス年代記(第二部)』の翻訳の提供が始まったことを知らされた。「第二部の範囲は1035年から1092年」だというから、1034年に即位したブジェティスラフ1世から、スピティフニェフ2世を経て、ブラティスラフ2世の時代ということになる。1092年には一時コンラートが君主の座についているけれども、記述はあるのかな。この時代の君主の在位期間を確認するために過去の記事を見ていたら、年号に間違いのある記事を発見してしまって慌てて修正。
『コスマス年代記(第二部)』のところに書かれている解説によれば、コスマスの生きた時代と重なるため、資料の不足していたと思われる第一部に比べると、一つ一つの事件が詳しく書き込まれていて、人物の取り違えもあまりないようだ。ということは断片的な記述が多いという第一部よりも読みやすいのかもしれない。
これは、いずれは読まずばなるまいと、早速ダウンロードした。第一部のときもお知らせをもらってすぐにダウンロードしたのだけど、まだ前書きの部分しか読んでいないのだった。第二部は修道院長に捧げる献辞が冒頭に置かれているようなので、最低でもこれだけは眼を通しておくとしよう。残りは、PDF版だから、リーダーに放り込んで時間のあるときに少しずつ読むのも悪くなさそうだ。
第一部はこちらからダウンロード可能になっている。今週はむだに仕事が多くて疲労もたまっているので、金曜日の分はこの辺でお仕舞い。たまには要点だけで終わるのも悪くあるまい。
2021年4月24日24時30分
2021年04月25日
最近読んだ本1(四月廿二日)
日本を離れて以来、新しい本を入手する機会というものは限られている。日本にいる知り合いに送ってもらうことも遭ったけれども、何度も繰り返しお願いするわけにはいかないし、本屋に出入りしておらず、どんな本が出ているのかわからないので、お願いのしようもない。hontoなんかのネット上の店では、手にとってぱらぱらめくることができないから、書影やあらすじだけでは読み取れない本の質感と言うものがつかめない。それで、高い送料までかけて日本から送ってもらいたいと思えるような本が見つからないのである。
だからといって、電子書籍をPC上で読むのもあまり気が進まない。以前はどの店で買ったものでも、形式さえ対応していれば、ソニーのリーダーで読めて便利だったのに、販売店の専用ソフトでしか読めないという読者の利便性を無視した方向に業界が進み始めた時点で、電子書籍は存在価値のない物になってしまった。例外的にRentaで漫画を読むことはあるけど、クレジットカードの実験に購入したポイントを消費するのと、日本にいたときから読んでいた自転車漫画の『アオバ』の続きを読むのが目的である。読んでいるとページめくりの遅さにいらいらしてくることも多いから、あえて対象を増やしたいとは思わない。
ということで、読書をするとなると、読んだことのない本ということは滅多になく、同じ本を繰り返し読むということになる。たまに日本に戻る人から、こちらに持ってきた本をごっそり頂くことはあるけど、読んで大当たりだったと思うような本に巡りあうことはあまり多くない。そんな例題のひとつで、読んで衝撃を覚えたのが、篠田節子の『夏の災厄』だった。
単行本の初版が刊行されたのは1995年のことで、版元は毎日新聞社になっているから、新聞に連載されたか、週刊誌に連載されたかしたものを単行本化したと見ていいだろう。新聞社から書き下ろしで本を出すなんてよほどのひも付きぐらいのものである。その後、1998年に文藝春秋社から文庫化されていて、今手元にあるのは、その第六刷で2001年に刷られたものである。
日本の埼玉県の架空の市でウイルス性の感染症が発生したことを発端に始まる物語には、役所の決められた手順から逸脱できない硬直した体質のせいで対策が後手後手に回るさま、マスコミの無責任な報道に踊らされた一般市民がパニックに陥って被害が拡大するさま、最初はワクチン反対を叫んでいた市民グループが最後にはワクチンの認可を求めて騒ぎ立てるさまなどが描き出されていて、日本の現状を予見していたようにも思われる。去年の緊急事態宣言以来、誰かがこの本について発言してニュースになるんじゃないかと期待していたのだが、こちらの目に入った限りでは誰も取り上げていなかった。今こそ読まれるべき本じゃないかと思うのだけど。
久しぶりに再読して思うのは、この本やはり凄いということである。最後がワクチンが認可されて接種が始まり流行が収束に向かうことが予想されるところで予定調和的に終わるのではなく、別な土地での新たな流行を示唆する形で終わっている。ここを読んで、現在のワクチンの接種が進めば感染症は収束するという楽観論が本当に正しいのか不安になってきた。
刊行年を考えると、日本で存在を知っていたとしてもおかしくはないのだが、読書家を自認しておきながら、作者の篠田節子の存在も、この『夏の災厄』の存在も知らなかった。1990年代の後半と言うと、こちらの読書の中心がチェコ文学の翻訳とか、ファンタジー系の作品になっていたから、現代日本を舞台にした小説は目に入ってこなかったのかなあ。ちょっと損した気分である。
2021年4月23日24時
2021年04月24日
『欧米学校印象記』(四月廿一日)
次に、国会図書館オンラインで見つけたチェコスロバキアが登場する、いや正確にはプラハが登場する戦前の本は、井上貫一著『欧米学校印象記』(同文館、1923.11.25)である。「はしがき」によれば、著者は岡山県の人で、刊行の前年に県の依頼でアメリカからヨーロッパを回って各国の教育事情について視察したらしい。
目次を見ると、最初はアメリカの部から始まり、イギリスの部を経て、大陸諸国の部と並んでいる。その大陸諸国の部の16番目の章が「チエツクの都プラーグに来て」で、17番目が「ソコール大會を見る」となっている。学校の視察を行ったはずだが、具体的な学校を訪問した様子はかかれず、ただ、現状は学校の増設と教員の養成に忙殺されていることが記されるのみである。
この本が興味深いのは、プラハに到着そうそう日本語ができるチェコ人が登場するところにある。プラハに向かう途中で知り合いになった人が紹介してくれた「ホテルグラーフ」にタクシーで向かい、支払いにまごついていたら、ホテルのボーイが「それでよろしい」と口を出したというのである。著者が支払いに使おうと選んだお金が正しいことを教えてくれたのだろうか。
そして、食堂の一角に日本人用の食卓が準備されていて、プラハの大学に留学している学生と食卓を共にしたことが記される。このチェコスロバキアと日本の国交が樹立されて二年内外の時期に、すでに日本から留学生がプラハに来ていたという事実に驚かされる。もしかしたら明治維新後の欧米に、新しい学問を学ばせるために留学生を多く派遣していた時期から、プラハに来ていたのかもしれないが、ウィーンやベルリンに留学した人の名前は思い出せても、チェコスロバキア独立以前にプラハに留学した日本人の存在は寡聞にして知らない。
食事の後に、「モルダウ」の川風に吹かれようと散歩に出た著者に、「どこへ行きますか」とつたない日本語で声をかける人がいたという。プラハで日本語を聞いた著者の感想は、「日本では迂闊な人は未だに名も知らぬ中欧の新興国チエツクスロバキアの首府に来て、かく無造作に日本語をきかされ、好感を示される事はチエツク救援の代償としては安価ではあるがともかくも愉快である」というもの。「中欧」という表現がこの時期に登場するのも気になるけれども、チェコの人が日本人に対して日本語を使うのが、チェコ軍団救援のお礼の意味を持つというのはどうなのだろうか。
独立以前から日本に興味を持って、日本に行ったり日本語を学んだりする人がいたのは間違いないが、チェコ軍団救援がきっかけで日本語を勉強し始めたなんて人がいたのだろうか。日本に滞在したチェコ軍団所属の兵士がプラハに戻ってきた後に、日本で覚えた言葉を広めたなんて可能性もあるかもしれない。とまれ、日本におけるチェコスロバキアよりも、チェコスロバキアにおける日本のほうがよく知られていたということは言ってもよさそうだ。
その後に、プラハの建設伝説として、「女王リブツサ」の伝説を紹介する。これがリブシェの事なのは明白だが、その伝説は、古文の美文調で書かれているのだが、誰かの日本語訳を引用したのか、著者が聞いた伝説を翻訳したのかは不明。リブシェと結婚してチェコ人の王となったプシェミスルについては書かれていない。
それから、ドイツの新聞記者と会って、このチェコスロバキアの将来について、30パーセントという、少数民族と言うにはいささか多すぎる数のドイツ系の住民の存在を理由に、この新しく生まれた国の将来を憂うようなことを記している。世界恐慌以後のチェコスロバキアとドイツ、ドイツ系住民の関係を知っていれば、慧眼だといいたくもなるけどどうなのだろう。戦争が終わって数年、まだ産業も完全に復興していなかっただろうし、経済的な余裕の無さが、チェコスロバキア人とドイツ人の対立の先鋭化につながっていた可能性はあるから、チェコスロバキアの将来を悲観的に見るのが普通だったのかもしれない。
「チエツクの都プラーグに来て」の章の最後の部分で、プラハに二つの主要な駅があることが紹介されているのだが、その名前が、「マサリツク・バンホーフ」と「ウヰルソン・バンホーフ」となっている。マサリク駅は今もあるし、ウィルソン駅は今の中央駅のことだけど、「バンホーフ」はないだろう。他の部分で、チェコ人たちはプラハの街角からドイツ語を消そうと奮闘しているなんて書いているのだから、駅に「バンホーフ」なんて表示が出ていたとは思えない。
チェコの体操団体であるソコルについての章では、「ソコールに唯一の掟があつて酒を飲むものは除名される」と書かれている。これ現在も続いているのだろうか。チェコ各地にあるソコロブナとよばれるソコルの集会所、もしくは体育館にはレストランが併設されていることが多く、堂々とビールの看板が出ているのだけど。「チェトニツケー・フモレスキ」に出てきた大戦間期のソコロブナでもレストランでビールを提供していた。ああ、そうか、ソコルのメンバーもチェコ人だし、ビールは酒じゃないと解釈するのか。ソコロブナのレストランでビール以外のお酒を販売しているかどうかは知らないので、この説の真偽は確認できないけど。
2021年4月22日24時30分。
2021年04月23日
世界選手権予選プレイオフ(四月廿日)
去年の十二月のヨーロッパ選手権では、スウェーデン、ロシア、スペインというハンドボール大国相手に善戦はしたものの、一勝もできずにチェコに帰ってきたハンドボールの女子代表だが、今年の十二月にスペインで行われる世界選手権の予選のプレイオフで、スイスと対戦した。スイスはこれまでヨーロッパ選手権にも、世界選手権にも出場したことのない国なので、チェコがあきらかな勝ち抜け候補と見られていた。
このプレイオフ、第一戦はチェコのズブジーで行われたのだが、事前の準備段階からニュースになっていた。一月の世界選手権に出場できなかった男子チームの失敗を教訓に、本来の代表チームとは別に、もう一チーム分選手を集めて予備代表チームを召集したのである。もちろん練習は別の場所で行われ、本代表が試合会場でもあるズブジーで事前合宿をしていたのに対して、予備代表は山をひとつ越えた温泉街のルハチョビツェを拠点に、本代表と同じコンセプトで練習をしていたらしい。
幸いなことに、チェコチームの選手、関係者からは、定期的な検査で陽性者が出ることなく、土曜日の試合を向かえたのだが、チェコ代表大苦戦だった。試合開始直後から若手の有望選手をそろえたスイス代表にリードを許し、試合終了間際まで追いかける展開が続いた。同点までは行くのだけど、逆転のシュートが決まらず、見ているほうをやきもきさせてくれた。経験不足のスイスチームがチェコ代表のミスに付き合ってくれることも多く、点差が最大でも前半は3点、後半は2点までしか開かなかったのは幸いだった。
残り2分で、チェコが26−26の同点に追いつき、残り15秒ぐらいで、コルドフスカーのシュートが決まって、チェコ代表がこの試合初めてリードを奪ったときには、これで勝てたと思ったのだが、スイスの速攻にディフェンスが対応しきれず、同点に追いつかれてしまった。もったいない引き分けだったけれども、負けてもおかしくない試合だった。全体的に攻撃がうまく行っていない印象で、コレショバー(旧姓ルズモバー)の不在と、イェジャープコバーのシュートが決まらないのが痛かった。
そして第二戦がスイスで行われたわけだが、キーパーのクドラーチコバーが日曜日の検査で陽性判定が出たため出場できなくなった。月曜日に行われた確認のための検査では、陰性の判定が出たというからいわゆる偽陽性だったのだろうが、スイスに向かうには遅すぎた。チームはすでに代理代表からキーパーを一人合流させて出発した後だったのである。
もう一人の主力キーパーであるサトラポバーは、怪我のためにこのプレイオフには召集もされておらず、この大事な試合でゴールを守るのは、まだ代表経験もそれほど多くないハナ・ムチコバーということになった。そのムチコバーが、スイスのシュートを何本求めて、勝利の立役者の一人になるのだから、わからない。もう一人の立役者はズブジーではあまりシュートが決まらなかったイェジャープコバーでチームの得点の半分以上となる15点をたたき出した。
この試合も、スイスに先制点を許し、0−3とリードされたときには、初戦の再現になるのかとげんなりした気分になったのだが、15分過ぎには逆転に成功して、14−11と3点リードで前半を終えた。後半開始後もチェコがリードを広げ最大で7点差をつけることに成功した。その後スイスが持ち直して4点差まで詰められたけれども、再度突き放して28−22と6点差で勝って、世界選手権の出場を決めた。
この試合、スイスが予想外の健闘を見せて、チェコ代表は苦戦したけれども、最後は実力の差を見せ付けたとまとめると、ちょっとスイスを見下ろしすぎだろうか。チェコではあまり見かけない大型のセンタープレーヤーが、9メートル、10メートルの距離からロングシュートを決めているのを見ると、当然外すこともあったわけだけど、このスイス代表は今後強くなりそうである。オランダの例もあるしさ。
さあ、次は25日から始まる男子代表のヨーロッパ選手権の予選三連戦である。ウクライナには何とか勝てると思うのだけど、現在の状況では何が起こっても不思議はない。残念なのはチェコテレビで放送してくれるのが、最後の5月2日のブルノでのウクライナ戦だけだということ。他のウクライナとフェロー諸島での試合は、有料テレビが放映権を持っているようである。
2021年4月21日24時。
2021年04月22日
大正十一年のチェコスロバキアの政党(四月十九日)
国会図書館オンラインで、チェコについての古い記述を探していたら、一般向けに刊行したのか、関係省庁にだけ配布したのかは知らないが、外務省が行った各国の政治状況の調査結果をまとめた本が見つかった。『各国の政党』と題された本は、大正十二年(1923)付けで刊行されているが、実際に調査が行われたのは、前年の大正十一年である。
調査を担当したのは外務省の欧米局で、ヨーロッパだけでなく、南北アメリカ諸国も含めて、アイウエオ順に配列されているようである。その第十四編として「チエコ、スロヴアキア」国が挙げられている。ここに記されているのは、大正十一年四月時点のチェコスロバキアにおける政党の状況のようである。ちなみに次の第十五編は「智利國」で、恐らくはチリであろう。この時代政府の公文書では、漢字で表記される国名は「」に入れず、漢字の決まっていないカタカナの国名は「」に入れて、その後に「國」をつけるというルールがあるようである。
まず、概要として、チェコスロバキア国内の政党が、「チエク」系、ドイツ系、ハンガリー系に分けることができ、それぞれ、八党、七党、二党存在することが記されている、政党間の対立は、おもにチェコ系とドイツ系の民族の対立に基づくものが多く、民族を超えて協力し合う例は、同様の政党名で同様の政策を掲げていてもほとんどないという。例外として共産党が、チェコ系とドイツ系で提携していたらしい。国名は「チエコ」なのに、政党の系統を示すときには「チエク」となっているのが不思議である。
次にチェコ系の政党の説明として、全八党の議席を合わせると、下院の議員総数二百八十五のうち二百三という絶対的多数になり、これまでの内閣も全てチェコ系の政党が与党となっていたことが語られる。調査時点の内閣も、チェコ系の社会民主党と国民民主党の連立内閣だった。社会民主党は、建国直後から存在した政党で、百年の時を経て、現在は解党の危機を迎えているのである。
ついでドイツ系の説明としては、全七党で下院に八十二名の議席を有していることが記される。以前はドイツ系の政党が主義主張を越えて、共同でチェコ系の政党に反対することが多かったが、最近は、単に政府に反対するのは経済上の不利益もあるということで、チェコ系の政党に接近する傾向があると説明されている。建国から三年ちょっとで、ドイツ系の政党が軟化をし始めていたということだろうか。
ハンガリー系については、二党で下院に十議席を有することが記され、その勢力基盤がスロバキアの南部のハンガリー人居住地帯にあること、大抵は政府の政策に反対することが付け加えられているぐらいである。
最後に結論として、最初の議会選挙(1920年4月)から二年ほどしかたっていないから、全系統あわせて十七の政党が分立して混沌とした状況を作り出していると断じる。政権の運用に当たっては、チェコ系の政党の領袖株を集めて結成された「五人委員会」の役割が大きいとする。これはチェコ語で言うところの「Pětka」かな。
内閣についても、現在の内閣が、五代目の内閣で、いずれも短命の政権に終わっていることが指摘されている。独立直後のクラマーシュ内閣、第一次、第二次トゥサル内閣、チェルニー内閣を経て、ベネシュ内閣が五代目であることが記される。この中で最長は一年数ヶ月もったというチェルニー内閣である。人名表記にもあれこれ言いたいことはあるけれども、割愛する。
付録として、「致須國」の政党一覧が付されているのだが、チェコスロバキアが略して「致須國」と書かれているのには驚いた。どこかで見かけた「致国」という表記は、外務省のこの表記が元になっていたようである。今度は「須國」でスロバキアを指している例を探してみよう。
議席数や政党の主張などの細かいことは置いておいて、政党名だけを挙げてみると、チェコ系としては、社会民主党、農民党、「加特力」党、国民社会党、国民民主党、実業党、進歩社会党、共産党が並んでいる。ただ、「加特力」党がわからない。最初「加持力」と読み間違えていて、加持祈祷をする政党で、宗教系の政党かと思ったのだが、当たらずとも遠からずで、おそらく「カトリック」党と読ませるのであろう。党首が「シユラーメツク」で、これはシュラーメクのことだから、人民党である。つまり今のキリスト教民主同盟=人民党の前身である。このころはカトリック党と名乗っていたのか。
ドイツ系は、ドイツ社会民主党、ドイツ農民党、ドイツ国民党、ドイツ基督社会党、ドイツ自由民主党、ドイツ社会党、ドイツ共産党の七つで、ハンガリー系が、マジャール社会民主党、マジャール農民党の二つとなっているから、社会民主党と農民党は三つの系統すべてに存在していたことになる。ヨーロッパ的社会民主主義なんてことを、現在の社会民主党の人たちは唱えるわけだけれども、旧態依然と見るべきか、ヨーロッパのほうが百年前から本質的には変わっていないと見るべきか。農民党がなくなった分ぐらいは変わったかな。
付録の2はベネシュ政権の閣僚名簿で、それぞれの簡単な経歴も記されている。大臣の名称で気になるのは、まず法制統一大臣。これはオーストリア領だったチェコとハンガリー領だったスロバキアとで法制に違いがあったのを統一する必要があったということだろうか。それとは別にスロバキア大臣というポストもある。それから、郵電食料大臣というのもあまり見かけるものではないけど、建国直後のチェコスロバキアは、食糧不足で飢餓に陥りかけたという話も聞くから、郵便と電話を担当する大臣に食料の確保や配布なども担当させたと考えておこう。
この書物、興味深いものではあるのだが、いかんせん時代を反映して、漢字カタカナ交じりで表記されている上に、句読点がないという非常に読みにくいものになっていて、細かいところまでは読みたくない。細かく見ればあれこれ書けることはまだありそうだけど、これでお仕舞い。
2021年4月20日24時30分。
2021年04月21日
嘘か真か(四月十八日)
ペトシーチェク外務大臣を解任して、ザオラーレク氏に大臣就任を拒絶されたハマーチェク内務大臣兼暫定外務大臣は、後任の外務大臣としてクルハーネク氏を選出して、バビシュ首相を通じてゼマン大統領に任命するように依頼した後、ロシアのワクチン、スプートニクVの輸入に関する交渉のために来週の月曜日にモスクワに行くと発表した。それが、あちこちから批判をあびるようになると、当初は消極的な反対をしていたバビシュ首相が、批判に回り、最終的には内閣の重要な会議が月曜日に行われることを理由に、モスクワ行きを中止した。
そんな状況で、昨夜のロシアのGRUによる破壊工作が明らかになって、チェコにあるロシア大使館勤務の情報部の将校を国外退去処分にするという記者会見が行われたわけである。ロシアに対する処罰として大使館職員を追放するという決定には賛同を示した野党だが、改めてハマーチェク氏がモスクワ行きを計画していたことを批判し始めた。このように重大な事実が、軍の情報部から政府に挙がってきてすぐに発表されたとは、考えられないことから、政府内でロシアに対してどのように対処するか検討している最中にロシア行きを計画したのはおかしいのではないかというのである。
これに対してハマーチェク氏は、最初はそんなことは言っていなかったのだが、チェコがこのGRUの破壊工作を突き止めたことをロシア側に知らせないためのカモフラージュだったのだと言い出した。ロシアに知られると国外退去処分を科す前に対策を打たれると考えると一理あるような気もするけど、どこまで信用できるのかは疑問である。少なくともバビシュ首相は、このハマーチェク氏の主張を否定も肯定もしていない。
ゼマン大統領は、オフチャーチェク広報官を通じて、現時点ではコメントせず一週間後にコメントすると発表した。その間にプーチン大統領と極秘に対応を相談するんじゃないかと思ってしまうぐらいには、ロシアと中国の代弁者と化したゼマン大統領は国民の信頼を失いつつある。チェコは大統領が直接政策を決めるわけではないから、ロシアよりの発言をしても実害はないのだが、国の一体感と言うものは損なわれる。いや、そもそもそんなものはないから問題ないか。
チェコが18人の大使館職員を国外退去処分にしたのに対して、ロシアは報復として、20人のチェコ大使館の職員を国外追放することを通達してきたらしい。この手の追放合戦では、追放される人の数を同じ数に揃えるという配慮がなされるのが慣例となっているはずだが、今回ロシアが数を増やしてきたのは、チェコに対する怒りを示しているのか、チェコをかつての属国扱いして侮っているのか、どちらも当てはまりそうな気がする。
チェコの情報部の調査によると、GRUの工作員二人は、ロシアだけではなく、モルドバとタジキスタンのパスポートも所持していて、いくつかの名前を使い分けているという。そして、チェコ国内では、2014年の十月の前半、一回目の爆発が起こる前日まで、プラハとズリーン地方でその存在が確認されているという。この時期にチェコにいたことは、工作員本人のフェイスブックに掲載された写真からも裏付けられるという。
工作員が自分の所在を明かすような写真を公表するなんて、世も末である。それでは偽名のパスポートをいくつも駆使して活動する意味がなくなるじゃないか。凄腕のスパイすらも堕落させてしまう、SNSにおける自己顕示欲の罠ということか。しばしば、民主化によって全てがよくなったのではなく、かつてのソ連時代のほうが質が高かったものがあるなんてことがいわれるのだが、スパイやら非合法工作員やらもその中に入るのかもしれない。それは、世界が当時に比べれば平和になったことを意味するのだろうか。
ただ、二回目の十二月の爆発については発表されなかったが、この二人が十月の時点で、別の少し離れたところに建っていた倉庫にも時限式の爆発装置を仕掛けていったのか、他に協力者がいたのか気になるところである。この手の事件の例に漏れず、全貌が明らかにされることはないだろうが、今のチェコは出来損ないのスパイ映画の終わった後みたいな状況である。
2021年4月19日25時。
2021年04月20日
GRU健在(四月十七日)
1980年代のエンターテイメント小説で、悪のスパイ組織として登場してくるのは大抵旧ソ連のKGBだった。その実態をわかった上で小説に使っていた作家もいたけど、安直な使い方だなあという印象を持つ作品もあった。そして、もう少し謀略の世界に詳しい作家だと、情報機関であるKGBだけではなく、破壊工作の実行部隊を抱えるGRUを登場させることもあった。GRUと、その特殊部隊スペツナズの存在を知ったのは、森雅裕の『漂泊戦士』だっただろうか。90年代に入ってから読んだ『パイナップルARMY』でもスペツナズが登場したのは覚えているけどけど、GRUは出てこなかったかな。
とまれ、旧ソ連の裏の部分をになっていたGRUは、すでに存在しない、いや存在するとしてもKGBと同じように名称の変更が行われているだろうと思い込んでいた。そうしたら、午後8時から行われたバビシュ首相とハマーチェク内務大臣の緊急記者会見で、チェコの情報部の長期にわたる調査の結果、GRUのメンバーがチェコ国内で破壊工作を行った事実が確認されたとして、ロシア大使館に勤務する外交官のうち、諜報活動に携わっていることが明らかな18人を国外追放処分にすることを発表した。
GRUが関与したとされる事件は、今から6年半ほど前の2014年10月と12月に、ズリーン地方の小村ブルビェティツェで起こった弾薬倉庫の爆発事件である。倉庫は、幸い村の集落からは離れた森の中に分散して置かれていたため、犠牲者は最初の爆発の際の二人の従業員だけで済んだが、大量の弾薬の置かれた場所での爆発だっただけに、長時間、一回目は七時間、二回目は何日かにわたって爆発が続いたようだ。ブルビェティツェだけではなく周囲のいくつかの村の人たちも避難所生活を余儀なくされた。
この事件は、発生したときから不明なことが多かった。そもそも、本来軍の施設である弾薬倉庫を民間企業が借り受けて弾薬を収蔵していたというのがよくわからなかったし、会社の関係者が武器密輸の疑いで起訴されたというのに契約が継続され、危険な弾薬が置かれている倉庫だということが、管轄のズリーン地方に報告されていなかったとか、企業の側に問題がありそうだという報道が多かったと記憶する。
今回、チェコテレビのレポーターが、この事件に関しては、亡くなった二人の情報も含めて、警察から発表させることが以上に少なかったと回想していたが、警察と軍の情報部では、情報規制が敷かれていたのはロシアの破壊工作の疑いがあったからだと認めていた。捜査に六年以上かかったと考えるべきなのか、六年以上経って新たな情報が出てきたとか、情報を公開できる状態になったとか考えるべきなのだろうか。
さらに、驚くべきことは、公開された実行犯とみなされる二人組の写真が、2018年にイギリスで起こったロシアからの亡命者暗殺未遂の容疑者とされている二人組の写真だったことだ。このときはノビチョクという毒物が使用されたことが明らかになっており、それに関してゼマン大統領がチェコでも作ったことがあるとか発言して物議を醸していた。爆破工作と同時にノビチョクの入手も命じられていたなんて話になれば、お話としてはできすぎなのだが、公式発表によればイギリスで使われたものとチェコで作られたものは、同じノビチョクではあっても微妙に違うらしい。
ロシアが弾薬庫の爆破を行った理由としては、チェコからブルガリアに輸出されることになってた弾薬が反ロシア勢力の手に渡るのを防ぐためだったという説明がなされている。このブルガリアへの輸出というのが、正規の輸出だったのか、密輸だったのかはわからないけれども、チェコは武器産業が盛んで、各地に輸出しているのである。だから北朝鮮もチェコ国内であれこれ入手しようと活動を続けているのだし。
それで、この事件への報復として、外交官のふりをしたロシアの諜報部員を十八人国外退去処分にしたことについて、ほとんどの政党は賛意を示していて原子力発電所の新たなブロックの建設など巨額の公共事業からロシア企業を排除することを求めているが、共産党とオカムラ党だけが反対の意を示している。事件の全貌が完全に明らかになったわけではないのだから慎重にとか、話し合いで解決するべきだとか主張している。日本で同じような事件が発覚したら、日本の防諜機関にこのような事件を公式発表できるところまで解明できるかはともかくとして、リベラルを自称する人たちが、同じようなことを主張するんだろうなあなんてことを考えてしまった。
チェコ国内の親露派の筆頭であるゼマン大統領は、現在のところ何もコメントしてない。これまで散々チェコの諜報機関の活動について批判を続けてきたのだけど、どんな言葉が出てくるか注目である。まさかデッチ上げだとしてロシアを弁護するようなことは言わないと思うけど。
2021年4月18日24時30分。
2021年04月19日
レンジャーズの呪い(四月十六日)
本当はスラビアとアーセナルのヨーロッパリーグの試合についてでも書くつもりだったのだが、UEFAが胸糞悪くなるような最低な裁定を試合の前に発表するという嫌がらせをしやがったせいで見る気が完全に失せてしまって、0−4で負けたという結果を確認しただけである。
レンジャーズのとの試合で、「人種差別」発言をしたとされたクーデラには、10試合の出場停止、クーデラを襲撃して暴行を加えたレンジャーズの選手は3試合、コラーシュに命に関りかねない殺人的ファウルをおこなった選手は4試合の出場停止となった。最悪なのは、事前にUEFAの事件調査団が、クーデラが差別発言を行ったという客観的な証拠はないと発表したにもかかわらず、レンジャーズ側の証言だけを基に制裁が決められたことである。
本来ならば、疑わしきは罰せずというのが正しいはずなのに、疑わしきは罰せよになっているのが問題である。客観的な証拠があるならまだしも、当事者の証言だけで処罰するというのは、冤罪の山を築くだけで、差別解消の役には立つまい。その点では、アメリカで頻発する黒人差別反対のデモが暴動に変わるとの大差ない。
クーデラの挑発行為を処罰するなと言うつもりはない。ただ、その原因となったレンジャーズの過剰なまでのラフプレー、暴力サッカーも同等以上に処罰されるべきだろうと言いたいのである。それが、コラーシュを破壊しようとした選手と、クーデラに物理的な報復を加えた選手の処罰を合わせてもクーデラ一人の処罰より少ないと言うのでは、怪我させられ損で、笑い話にしかならない。
チェコの人は声を言わないから、第三者として言っておくと、これは旧共産圏に対する差別である。ヨーロッパの中でも遅れた国の連中なら人権意識も遅れているから差別発言をするに違いないとか、見せしめに処罰するにはちょうどいいとおもわれているに違いない。自転車のロードレースのクロツィグルが言われなきドーピングの嫌疑を掛けられ続けたのと構図は変わらない。
スラビアのトルピショフスキー監督は、クーデラに対する処罰が試合に影響を与えたとは思わないと語っていたが、強がりであろう。格下のチームが、格上のチームに勝つためには、精神状態が重要になる。それをぶち壊しにしてスラビアの勝ち目をなくしたのが、レンジャーズに配慮するUEFAの決定だったわけだ。配慮したのはアーセナルに対してだったのかもしれないけど、西の進んだ国のサッカーチームに最大限の配慮がされるつけは、東に対する蔑視として現れる。
EUでも表面上は平等の振りをしているけれども、実際の運営を見れば、旧共産圏諸国は、格下の二流国、三流国扱いである。チェコの政治が三流以下なのはそのとおりなんだけどさ。差別の無いヨーロッパという幻想を維持するために、差別に対する見せしめが厳しくなっているのだろう。最近のアメリカの例も含めて、黄色人種に対する差別は放置されがちだけど、それは、いわゆる黒人が差別されることに関しては特権的な地位を築いていて、他の差別される人たちを差別しているというところか。
そして、差別に対する片膝をつく抗議の姿勢を強要するのも気持ち悪い。こういうのは、それぞれがそれぞれの自由意志で参加するかどうかを決めるものなのに、参加しないことに決めた人間を差別主義者として差別するのだから、何のための抗議をしているのだか意味不明である。結局、自分は差別主義者ではないというアピールにしかなっていないように思われる。日本人は同調圧力が強くて云々としばしば批判されるけれども、欧米も変わらないじゃないか。これもまた日本人に対する差別的な言説である。
2021年4月17日24時。
2021年04月18日
外務大臣任命?(四月十五日)
ザオラーレク氏が、突きつけた条件は、ハマーチェク内務大臣兼暫定外務大臣にも、ゼマン大統領にも飲めるものではなかったようで、ザオラーレク氏の任命を諦めて、別な候補者を選定して代務大臣の地位にすえることにしたようだ。首相で内閣全体に責任があるはずのバビシュ氏は、外務大臣は社会民主党の担当だから、その決定を尊重するとほとんど他人事のような対応である。連立といいながらそれぞれの党が、好き勝手に振舞っているのが、バビシュ政権の最大の問題である。
さて、新たに外務大臣に任命されたのは、クルハーネク氏。ニュースで使われた写真が、PCゲームに登場するキャラクターを思わせるもので、見た目で仕事をするわけではないとは言っても、期待よりは不安のほうが大きくなる。これまでは、内務省で次官(に相当すると思われる役職)を務めていたというから、ハマーチェク氏は部下を抜擢して大臣に就任させたわけだ。
内務省の次官だから、ずっと内務省でキャリアを積んできたのかというとそんなことはなく、チェコでは政権交代や、大臣のクビの据え代えが起こると、新しい大臣が外から連れて来た人材を次官に据えることが多い。同じ省内でずっと仕事をして次官になる人もいるのだろうけど、そんな人でも政党に所属していることが多い。官僚なんだから特定の政党を支持することを表明するのもまずいのではないかと思うのだが、時に野党所属の時間まで登場するような気がする。
このクルハーネク氏も、内務省で仕事を続けて次官にまで昇ってきたのではなく、ハマーチェク氏が内務大臣に就任してから、就任させた人物だということになる。その前は何をしていたかと言うと、いろいろある中で特筆すべき経歴は、最初に中国からチェコへの投資を担当していたが、社長が政治的な理由で粛清され、チェコから消えた中国の投資会社のチェコ支社で仕事をしていたことである。だから、中華帝国の忠臣であるゼマン大統領も、文句を言わずに任命に同意したのか。
バビシュ首相も、以前のペトシーチェク氏より仕事がしやすいなどと述べていたけれども、その評価が外務大臣としての能力の高さを意味するわけではない。そもそも、内務省で仕事をしていて、突然、党内政治上の都合で外務大臣に就任させられた人物に多くを期待するのが間違いなのだ。ゼマン大統領は、ロシア、中国に対する外務省の対応が変わることを期待しているだろうけれども、EUの枠内でという制約がある以上、簡単ではあるまい。
それで、新任の大臣を支援するためなのか、自分の業績にするためなのかはわからないが、ハマーチェク内務大臣が、モスクワを訪問して、ロシアのワクチンの購入の交渉をまとめてくると言い出した。ハマーチェク氏は、一度は外務大臣を兼任するとは言ったものの、任命はされていないはずだし、非常事態宣言が終了した結果、対策本部長の権限もないはずである。そんな内務大臣が外国に出かけてワクチンの購入交渉をするというのは、どういうことなのだろうか。それとも、クルハーネク氏はまだ大臣に任命されていないのか。
ゼマン大統領が何も言わないのはわかる。かねてから主張し続けているロシアのワクチンの導入に向けてハマーチェク氏が動くのだから、歓迎はしても批判はするまい。不思議なのは、バビシュ首相が控えめに反対していることで、ロシアのワクチンが成功するなら自分の功績にしたがると思うのだが、失敗に終わると見ているのだろうか。
ロシアのワクチンに関して、チェコの人たちがどのように考えているのかについては、さまざまな情報が錯綜していてどれが正しいのかわからない。バビシュ首相が商工会からはロシアのワクチンを従業員に接種したいという声が上がっていると言ったかと思うと、商工会の会長が即座に否定したし、ニュースで紹介された世論調査では、数パーセントの人しかロシアのワクチンを信用しないと答えていたのに、ロシアのワクチンの接種を受けるためにセルビアに向かうチェコ人が多いなんてニュースも見かけた。
就任したばかりのアレンベルグル厚生大臣が、ロシアのワクチンを求める人もいると語ったのは事実ではあるのだろうけど、その数がどのぐらいなのかが問題である。本人が求めたからといって、EUでもチェコ国内の機関でも安全性が完全に確認できていないものを接種してもいいのかというのは、また別問題のはずなのだけど。一体に、この新大臣、言動がいい加減で、大丈夫かといいたくなることが多い。「わたしは政治家じゃないから、そんなこと理解できない」なんて台詞は、大臣が言っちゃあいけねえよなあ。
2021年4月16日24時30分。