2020年05月05日
【「相対性」と「絶対性」あなたはどっちを選ぶ?全てはあなた次第です!】
【014】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
何事もそうですが、あなたの考え方次第で見えてくる世界は変わります。
私のクライアント様にもいらっしゃいましたが、
漠然と「すごい人なりたいんです!」という方がいらっしゃいます。
ん?「すごい人」?
もちろん、どのような人を目指そうとその方の勝手ですし、自由であって他人が決めることではないので、賛成も反対もいたしませんが、
こういった質問で返しています。
本当になりたいのは、
「すごい人」ですか?
それとも
「すてきな人」ですか? と。
この両者を私のこのように考えています。
「すごい人」というのは、目指しても本当にキリがないこと。
「すてきな人」というのは、自分の理念を確立させることで成り立つこと。
どういうことかというと、
「すごい人」とは、あなた以外の他との関係性の中にあって、
他者による主観的に認識される認識事象です。
また、
他者の個々による共通の事象や環境を想定することによってのみ成り立つ認識です。
一方で、
「すてきな人」というのは、あなたの絶対性がそれを定義できます。
あなたにとって「すてきな人」という理念(根本的な考え方)を確立させることで、
評価基準(モノサシ)は世界(社会)の相対性から脱することができるのです。
なので、
この二つの捉え方としては「絶対性」視点なのか「相対性」視点なのかの違いというです。
この「絶対性」と「相対性」の話しを続けます。
私たちが暮らしている日本の社会では
「相対性」をものすごく大切にしている人が多いと感じています。
例えば、
「何をするか」というより、
「どこにいるか」に重きを置くのです。
言い換えると、
「何の仕事をしたいのか」ではなく、
社会人として
「どこに属していたいか」ということです。
「何ができるか」より「どの地位にいるのか」を重視する社会。ということですね。
このことについては、
ものすごく違和感を感じますし、疑問や危機感を感じてしまいます。
社会の中で優位なポジションに属することに必死になり、
本来目指すべき、目指したかった姿の存在を忘れ、
人として守るべき道義に気づいた頃には、気魄が衰えてしまっている。
やはり常に、
自らに問いを投げかけ、世界に目を向け「こうなりたい!いや、こうなろう!」という
理念を追求することこそ、大切なことなのではないかと感じています。
今日まで私たちの創造性を養ってくれた偉大なアーティストのように、
絶対性の中で理念を追求して生み出された結果が =「すてきな人」となるのだと
私は思っています。
そして「相対性」に偏り過ぎてしまった今、
この世界で起こっている事態の中で、各個人個人それぞれに「何ができるか」が
問われているように感じます。
とにかく、自分が自分以外の誰かの役に立ちそうなことを考えて、
そして実行していけばいいのだと思います。
今必要なのは「すてきな人」同士が繋がり合うこと!
私たちの人生の大半は、個人ではなく集団によって創られています。
人生のほとんどが与えられたもので成り立っているとしても、
個人個人が意識的に生きていれば独自の方法により、
人生を組み立てて行く道は残されているのです。
そう『全てはあなた次第』です。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
何事もそうですが、あなたの考え方次第で見えてくる世界は変わります。
私のクライアント様にもいらっしゃいましたが、
漠然と「すごい人なりたいんです!」という方がいらっしゃいます。
ん?「すごい人」?
もちろん、どのような人を目指そうとその方の勝手ですし、自由であって他人が決めることではないので、賛成も反対もいたしませんが、
こういった質問で返しています。
本当になりたいのは、
「すごい人」ですか?
それとも
「すてきな人」ですか? と。
この両者を私のこのように考えています。
「すごい人」というのは、目指しても本当にキリがないこと。
「すてきな人」というのは、自分の理念を確立させることで成り立つこと。
どういうことかというと、
「すごい人」とは、あなた以外の他との関係性の中にあって、
他者による主観的に認識される認識事象です。
また、
他者の個々による共通の事象や環境を想定することによってのみ成り立つ認識です。
一方で、
「すてきな人」というのは、あなたの絶対性がそれを定義できます。
あなたにとって「すてきな人」という理念(根本的な考え方)を確立させることで、
評価基準(モノサシ)は世界(社会)の相対性から脱することができるのです。
なので、
この二つの捉え方としては「絶対性」視点なのか「相対性」視点なのかの違いというです。
この「絶対性」と「相対性」の話しを続けます。
私たちが暮らしている日本の社会では
「相対性」をものすごく大切にしている人が多いと感じています。
例えば、
「何をするか」というより、
「どこにいるか」に重きを置くのです。
言い換えると、
「何の仕事をしたいのか」ではなく、
社会人として
「どこに属していたいか」ということです。
「何ができるか」より「どの地位にいるのか」を重視する社会。ということですね。
このことについては、
ものすごく違和感を感じますし、疑問や危機感を感じてしまいます。
社会の中で優位なポジションに属することに必死になり、
本来目指すべき、目指したかった姿の存在を忘れ、
人として守るべき道義に気づいた頃には、気魄が衰えてしまっている。
やはり常に、
自らに問いを投げかけ、世界に目を向け「こうなりたい!いや、こうなろう!」という
理念を追求することこそ、大切なことなのではないかと感じています。
今日まで私たちの創造性を養ってくれた偉大なアーティストのように、
絶対性の中で理念を追求して生み出された結果が =「すてきな人」となるのだと
私は思っています。
そして「相対性」に偏り過ぎてしまった今、
この世界で起こっている事態の中で、各個人個人それぞれに「何ができるか」が
問われているように感じます。
とにかく、自分が自分以外の誰かの役に立ちそうなことを考えて、
そして実行していけばいいのだと思います。
今必要なのは「すてきな人」同士が繋がり合うこと!
私たちの人生の大半は、個人ではなく集団によって創られています。
人生のほとんどが与えられたもので成り立っているとしても、
個人個人が意識的に生きていれば独自の方法により、
人生を組み立てて行く道は残されているのです。
そう『全てはあなた次第』です。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
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