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2019年07月22日
素晴らしきタレント本の世界
タレント本が好きでたまに買って読むことがある。タレント本といえば、とかくゴーストライターの存在が囁かれがちだが、そんな中をかいくぐるようにして意外な文才家を発見するのが楽しいのだ。特にミュージシャンや女優さんなんかにはけっこう文才に長けている人がいる。私がもっとも好きだったのは岸田今日子さんの本。シンプルでやさしい言葉のみで品良く紡がれる文章はリズム感があり、何よりみずみずしい感性にあふれていた。仲良し3人組(岸田今日子、吉行和子、冨士真奈美)の海外珍道中をつづる旅行エッセイなどは絶品だった。
ミュージシャンだとTHE BOOMの宮沢和史さんがいい。淡々とした文章の中にも詩情がきらりと光る。
若い頃はその感性に傾倒して、雑誌に寄せていたエッセイに夢中で読みふけった。
まあだけど、なんだかんだいってタレント本のいちばんの醍醐味は、珍作、怪作の宝庫というところに尽きるかもしれない。これまでも北公次の「光GENJIへ」、郷ひろみ「ダディ」、そしてその元妻二谷友里恵の「愛される理由」など、数々の衝撃、あるいは笑撃本に出会ったが、私が思うここ10年ぐらいでのいちばんの怪作は、叶姉妹の姉・恭子さまが今からおよそ一昔前ぐらいに上梓された「トリオリズム」という本だった。
恭子お姉さまの自由奔放なライフスタイルが赤裸々につづられている本だ。
私はこの本を、別段読むつもりもなかったのに人から唐突にプレゼントされ、どうにもこうにも処遇に困っていた友人から半ばやっかいものを引き受けるようなかたちで手にとることになった。なにしろこの大胆極まりないタイトルである。家族に見られたくないという笑。かくいう私も当時は親元で暮らしていたので、できれば家族に見られたくない類の本ではあったのだが、お姉さまがいったいどんな本を書くのか、好奇心の方が上回った。
そんなこんなで、思いがけないかたちで私はこの「トリオリズム」を読むことになったわけだが、この本を読みこなすにあたって、私の場合は先ずお姉さまの独特の文体に慣れることから始めなければならなかった。
字は大きいし、難しい言葉があるわけでもない。長い本でもないのだけれど、お姉さまの文章はなかなか手強く、慣れるまではなかなか先に読み進むことができない。それというのも、恭子お姉さまの文章はやたらとカタカナ言葉が多いからなのであった。
とにかくもうずーっとこんな調子なんである。しかもそのたびにページの下にちっちゃーい字で、“バトラー=butler 執事 アンパック=unpack 荷をほどく”などと、いちいち注釈がつけられる。まるで英語の教科書だ。
まあでもこんなのはまだ序の口だ。
ちょっと何言ってるのか、BE HERE NOWで目の前の文章に困り果てる私。ただお姉さまが独自の恋愛哲学を炸裂させて、何かものすごい格言めいたことをおっしゃっているらしいことだけはビシバシと伝わってくる。
さらには「なんとなくグランブルーな地中海の風」「ラベルのないLOVEをするわたしのルール」など、わかるようなわかんないような、ちょっぴり意味不明でおかしな表現の連発に三行おきに笑いの波が押し寄せてくる。それになんでもお姉さまのデリケートゾーンには殺伐としたおケケの群生に代わって色鮮やかな蝶のタトゥーが鎮座しているらしい。このくだりにはもうたまらずお茶を噴いてしまった。
一介の小市民である私なんぞはまるで縁のないまったくの異世界に住まう恭子お姉さま。おとなのおとぎ話を読んだような気分でおもしろい本ではあったのだが、あられもない場所の鍛錬法やカーマ・スートラもびっくりのセンシュアルな秘技などが事細かに記されている箇所を読んでいたら、件の友人ではないけれど、さすがに私もこの本を自分の本棚に並べておくのは気恥ずかしくなってしまった。私は隠し所に困った凶器でも所持しているような気持ちになり、そんな心境を当時流行りに乗っかって楽しんでいたSNSの日記でちょっとつぶやいてみたら、その日記を読んでくれたらしい友人の友人という方から「差し支えなければぜひご本を拝借願えないでしょうか」という懇切丁寧なメッセージが入り、最終的には共通の知人を介して、本はその方のもとへと引き取られていった。
そういえば最近以前ほど叶姉妹をテレビで見かけなくなった気がする。しかし心配は無用だった。叶姉妹はブログやインスタなどネットの世界で今もなおしっかりと息づいていた。しかもビジュアルがますます凄いことになっている。今の時代、ここまで一般社会との隔絶感を見せつけてくれる芸能人も珍しい。ある意味ありがたい存在だ。この閉塞感漂う世の中に、私達だけはまるで関係ないという顔をして、これからもどうか末永くファビュラスな空気をまき散らし続けていただきたい。(このファビュラスの使い方は合っているのか。合ってないなたぶん)
最近は電子書籍でも読めるらしい「トリオリズム」。こっそり読むならデジタルに限る
外国遠足日記帖(文春文庫)
posted with カエレバ
ミュージシャンだとTHE BOOMの宮沢和史さんがいい。淡々とした文章の中にも詩情がきらりと光る。
若い頃はその感性に傾倒して、雑誌に寄せていたエッセイに夢中で読みふけった。
まあだけど、なんだかんだいってタレント本のいちばんの醍醐味は、珍作、怪作の宝庫というところに尽きるかもしれない。これまでも北公次の「光GENJIへ」、郷ひろみ「ダディ」、そしてその元妻二谷友里恵の「愛される理由」など、数々の衝撃、あるいは笑撃本に出会ったが、私が思うここ10年ぐらいでのいちばんの怪作は、叶姉妹の姉・恭子さまが今からおよそ一昔前ぐらいに上梓された「トリオリズム」という本だった。
恭子お姉さまの自由奔放なライフスタイルが赤裸々につづられている本だ。
叶恭子・トリオリズム
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そんなこんなで、思いがけないかたちで私はこの「トリオリズム」を読むことになったわけだが、この本を読みこなすにあたって、私の場合は先ずお姉さまの独特の文体に慣れることから始めなければならなかった。
字は大きいし、難しい言葉があるわけでもない。長い本でもないのだけれど、お姉さまの文章はなかなか手強く、慣れるまではなかなか先に読み進むことができない。それというのも、恭子お姉さまの文章はやたらとカタカナ言葉が多いからなのであった。
部屋につくとまず、ハードトランクのスーツケースをわたくしたちのバトラーがアンパックします。出典:叶恭子「トリオリズム」
とにかくもうずーっとこんな調子なんである。しかもそのたびにページの下にちっちゃーい字で、“バトラー=butler 執事 アンパック=unpack 荷をほどく”などと、いちいち注釈がつけられる。まるで英語の教科書だ。
まあでもこんなのはまだ序の口だ。
わたくしにとって、LOVEこそが、何物にも惑わされないピュアネスの発露ですから、無邪気な子どものようにいつも素直でいるのです。湧き上がるパッションで、”BE HERE NOW“で目の前にいる素敵な男性を愛してしまうのです。出典:叶恭子「トリオリズム」
ちょっと何言ってるのか、BE HERE NOWで目の前の文章に困り果てる私。ただお姉さまが独自の恋愛哲学を炸裂させて、何かものすごい格言めいたことをおっしゃっているらしいことだけはビシバシと伝わってくる。
さらには「なんとなくグランブルーな地中海の風」「ラベルのないLOVEをするわたしのルール」など、わかるようなわかんないような、ちょっぴり意味不明でおかしな表現の連発に三行おきに笑いの波が押し寄せてくる。それになんでもお姉さまのデリケートゾーンには殺伐としたおケケの群生に代わって色鮮やかな蝶のタトゥーが鎮座しているらしい。このくだりにはもうたまらずお茶を噴いてしまった。
一介の小市民である私なんぞはまるで縁のないまったくの異世界に住まう恭子お姉さま。おとなのおとぎ話を読んだような気分でおもしろい本ではあったのだが、あられもない場所の鍛錬法やカーマ・スートラもびっくりのセンシュアルな秘技などが事細かに記されている箇所を読んでいたら、件の友人ではないけれど、さすがに私もこの本を自分の本棚に並べておくのは気恥ずかしくなってしまった。私は隠し所に困った凶器でも所持しているような気持ちになり、そんな心境を当時流行りに乗っかって楽しんでいたSNSの日記でちょっとつぶやいてみたら、その日記を読んでくれたらしい友人の友人という方から「差し支えなければぜひご本を拝借願えないでしょうか」という懇切丁寧なメッセージが入り、最終的には共通の知人を介して、本はその方のもとへと引き取られていった。
そういえば最近以前ほど叶姉妹をテレビで見かけなくなった気がする。しかし心配は無用だった。叶姉妹はブログやインスタなどネットの世界で今もなおしっかりと息づいていた。しかもビジュアルがますます凄いことになっている。今の時代、ここまで一般社会との隔絶感を見せつけてくれる芸能人も珍しい。ある意味ありがたい存在だ。この閉塞感漂う世の中に、私達だけはまるで関係ないという顔をして、これからもどうか末永くファビュラスな空気をまき散らし続けていただきたい。(このファビュラスの使い方は合っているのか。合ってないなたぶん)
タグ:タレント本
2018年08月30日
さようなら
天賦の才に恵まれた人というのは、よほど神さまに愛でられるのか
案外早く向こうへと旅立っていってしまう
たぐいまれな歌唱力やダンスで多くのファンを魅了した芸能界のスターたちや
文壇の奇才たち
こちらのお二人に至っては、まさに国の至宝
さしあたって、杉浦日向子さん、それから手塚治虫、藤子・F・不二雄の両先生、このお三方に関しては、私の場合、彼らはきっと時空をこえてやってきたタイムトラベラーだったに違いないと思っていて、三人とも現代でのある一定のお役目を終え、杉浦さんは花のお江戸へ、手塚先生と藤子先生は未来へと、それぞれ元いた自分の世界に帰っていっただけなのだとわりと本気で思っていたりする。
そう思わないとやってられないぐらい、まだまだ歌声も聴きたかったし、本も読んでみたかったのに、みんなみんな逝ってしまう
そしてまたひとり、天才が旅立っていった
平成最後の、残暑厳しき晩夏の折に
まさかこの方の訃報に接することになろうとは
先生の目を盗みながら、学校の教室でみんなで回し読みしたちびまる子ちゃん
夏休みの宿題をためすぎてあせりまくる話が好きだった。(まるこのおじいちゃんが書く、代筆ばればれの「けふは〜」ではじまる古風な絵日記には腹がよじれるかと)
エッセイも絶品で買い集めては読んだものだったが、引っ越しのごたごたでほとんど失くしてしまい、ショックで3日ぐらいまっしろな灰状態になった遠い思い出
でも今回の喪失感はあのときと比ぶべくもない
本なら買い直すことができるものね
それにしても神さまもずいぶんといけずなことをする
まさか、まる子までこんなに早く連れてくなんて〜
どうしてくれるんだよう、この、心にぽっかり穴があいたようなさびしいきもち
そういえば「いけず」ということばも「ちびまる子ちゃん」で覚えたのだっけ
愛蔵書遭難事件の難を逃れて、唯一手もとに残っていたさくらさんのエッセイ
ひさしぶりに本棚から取り出して、ページをめくってみることにします
What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
「私たちが心から楽しんだものは失わない。心から愛したものは私たちの一部となる」(ヘレン・ケラー)