新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2016年08月27日
不登校中1長男〜小さな意思表示
週に一度の面談
毎週金曜に週に一度だけ担任の先生との約束で、学校に出向いている不登校中1の長男。
週1のことですが、朝は気が重いらしく目覚めの様子からいつもと違います。
行きたくないからか・・・何かをはじめなきゃならない現実と向き合うのが嫌なのか・・・
すんなりと毎週決まった行動にはならないようです。
今回の面談は、先生の都合もあり私も行くことが出来る時間でしたので同行しました。
もうすぐ学校祭があってその準備で授業が少ないことや、転校生が来たことなどクラスの変化の話から。
そして、いつものように今週は何してた?というような軽い話。
実は、先生と私だけの会話の時に伝えてあったことがありました。
最近長男の口から、昼間暇だから勉強してたとか、やることなくなってきたなど、家にこもっていることもどうしようもなくなってきたとの発言が出てきたこと。
そんなことを踏まえて先生からさりげなく質問がありました。
「そろそろ引きこもり生活飽きてないか?」と。
長男すかさず返答。
「飽きました。」
「そう思ってるなら来いよ!学校祭準備だから勉強すくないぞ!」
そう言われても、だから「じゃあ行きます!」とはなりませんが、何かのきっかけを本人も模索している様子が伺えました。
私との会話では、そんな本音がみえる会話はありましたが、先生に言ってしまうと行かなきゃならない方向に急展開すると懸念しているようで、なかなか本音がでない会話ばかりだったのです。
それが、少しですが本音の発言が出ただけ進歩です。
「二学期中に復帰すること目指そうか!」と改めて意思確認。
「はい」と長男。
自分では踏み出せないところを後押ししてほしいような様子も。
押す方は先走ってしまわないように気を付けなきゃ。
ついつい良かれと思って、周りは準備を始めてしまうものです。
その様子を見て本人はまた尻込みしてしまう。
金曜に朝にすんなり起きてこられないということは、まだ本人も気持ちが決まってないところがあるんでしょう。
本当に行った方が楽になるんだと、行った方がモヤモヤ気持ちから解放されるんだと。
そう思ってくれたら本当に復帰できる日がやってくると思います。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
2016年08月26日
不登校中1の2学期がスタートして思う事あれこれ
新学期が始まりました
夏休みに全部に宿題を終わらせることが出来なかったからか、また決心がつかずに始業式の日を迎えてしまいました。
やり終えてなくてもいいから、スタートするために行ったら、とアドバイスをしていましたが、当日朝も起きてこず。
また布団の中で迷って嫌になってしまったようです。
本人は行かなきゃ何も始まらないし、ここでの新しい生活が充実していかないことも十分理解しています。
なのに、スタートがきれない・・・
人の中に入って行くことをしないとモヤモヤした気持ちはなくなりません。
漠然とした不安や充実感のなさは解消されません。
受けいれる側は、それほど重いことに感じていなくて、たぶんすんなりと輪の中に入れてくれると思うのに。
自分をわかってくれる同年代が身近にいるだけでも、今までの引きこもった生活が一変すると思うんですけど。
まだ、力が湧いてこないようです。
夏休み中は、与えられた宿題のプリントを全部こなすことに目標を置いたらしく一生懸命取り組んでいました。
しかも、自分から積極的に机に向かって、一枚一枚終わることに達成感も感じているようでした。
だから、そのプリントを遅れてでも提出できるようにしたいと担任に伝えてあったのですが、その返事は意外にもあっさりしたものでした。
提出しなくてもいいですよ、で終わり。
提出する必要のない宿題に戸惑い
他の子は夏休み中の宿題をもとに、新学期早々にテストを受けていました。
そのための宿題なので、もともと提出することにあまり意味がないようです。
長男は、もちろんそのテストを受けていませんから、ただ提出しても意味があまりないそうです。
しかも、提出することが評価につながるわけでもないから。
基本、授業を受けないとどうしようもない教育システムなんだって改めて実感。
横並びのことを出来ていないと、すでにふるいで落とされる人間の扱いをされることに現実の厳しさを感じました。
行けない状況の子供でも、少しでもその子の努力を認め実績として残すこともしてくれない状況に幻滅した気持ちです。
親として、最初から苦難の道を選ばせる選択はしたくはないですが、このまま登校できなくても世間的に認めてもらえる実績を自分たちで作って行く努力をしなきゃならないと考えています。
公的な協力を期待するのは無理だと実感
それは、自宅で中学の勉強以外の知識も身に付け、独自のスキルを磨くこと。
広く浅く全部の教科を勉強できなくても、好きな科目は自信を持てるぐらいにしておく。
中学に行けなくても、ひとりの人間として生きていくスキルをもっていればいいんです。
自分で生計を立てて、自活していける人間になればいいんです。
その過程が人と違っていてもいいんじゃないかと思っています。
なので、高校も通信で卒業資格をとることも検討中。
それよりも、好きで打ち込めるものを見つけてほしい。
そのために努力することの充実感や楽しさを知ってほしいと思います。
親としても、そのために知識を身に付けることには協力を惜しまないつもりです。
現状の教育制度の中では、普通からはみ出てしまった子が救われる機会は、社会的に少ないです。
特に地方はひっそりと知られずに息をひそめるしかないことが多いと思います。
でも、可能性がいっぱいある子供ですから、教育制度や公共機関の協力がないなら自分で切り開くまでです。
道は閉ざされてはいないと思いますから、一緒にいっぱいあがいてみようと思います。
その中で生きる強さを身に付けて行ってくれれば、知らず知らずに脱出出来ているものではないかと希望を抱いています。
2016年08月25日
離婚調停がはじまりました@
家庭裁判所での調停がはじまりました
少し時間が経ってしまったのですが、申し立てをしていた離婚調停がはじまりました。
正式には、夫婦関係調整調停なんですが、私にとって結末は離婚しかないのであえて離婚調停と言っています。
ほとんどの調停の場合、弁護士を付けずに行うそうです。
私は、金銭的な負担が大きいことに躊躇しましたが、大揉めすることは目に見えていたので頼むことにしました。
まずは、申し立ての手続きのところから振り返ります。
弁護士に頼む前に、家裁に相談に行っていたので書類関係は私でも把握していました。
今は、ネットでも詳しく書類の画像付きでの説明もありますが、やはり家裁に出向いて相談することをおすすめします。
それぞれ事情が違う申立てですから、専門家の話を聞いて、書類の書き方を教えてもらうのが一番いいからです。
それに、第三者に話すことの練習にもなります。
複雑だったり、長い年月にわたる理由がある場合は、とくに離婚理由がうまく伝えられないことがあるからです。
私は、市の無料相談で2回、警察署で1回、家裁で1回、法テラスで1回、弁護士事務所で数回。
15年の結婚生活のどこから歯車が狂い、それでもとどまることにした過去の経緯や離婚を決心したいきさつなど。
こんなに第三者に話しているのに、義父からうけた暴言や支配などは、どうしてもうまく話すことが出来ません。
弁護士も言っていましたが、神髄の部分だからこそ感情が先走って言葉足らずになってしまうようです。
調停委員に自分の主張を理解してもらうためには、感情的にならず、事実を伝えられることが大事でなんです。
手続き用紙の話から、それてしまったので話を戻します。
そんなことで家裁で説明を受けていたので、用紙を書く段階では頼む必要がなかったかなと思うような場面もありました。
なんせ書き方を理解していましたので・・・
でも、弁護士を頼んでよかったと調停当日に実感しました。
久しぶりに旦那との対面。
正直、倒れそうなぐらい嫌でした。
裁判官から、お互いに立ち会った上で、調停の流れの説明を受けるのですが、心を無にしていないと居られなかったのでサポートしてくれる弁護士はとても心強い存在。
しかも、調停委員の人たちとの今後の打ち合わせもスムーズで、戦略も練ってくれます。
1回目の状況としては、全くお互いの主張がかみ合わず、離婚する意思は全くないとの意思表示を示されました。
今後どう進めていくか、どんな状況次第で調停を終わらせたらいいのかなど、弁護士は調停委員と話を進めてくれます。
お互いの主張の内容については、また次回に書きますが、調停においても呆れるような主張を展開され、別居前の地獄のような日々がよみがえってきて、もう疲弊しました。
このような調停を自分の力だけで立ち向かう人たちは凄いと思います。
争点は子供の精神的なダメージと毒父のこと
離婚を決心した最大の理由が、子供が精神的に受けた傷と、義父の異常な支配欲と暴言でした。
児童心理に詳しい方も同席しての調停でした。
申立書にくわしく子供の状況を書いたからです。
未だに不登校の長男については詳しく聞かれました。
正直、長男のことを伝えるためには、父親から言われた暴言をそのまま伝えるのが一番なんですが・・・
どうしても、そのままの言葉で伝えることが出来ませんでした。
なぜなら、口にしたくないほど幼稚でだいの大人が使うような言葉ではない、しかも親としてあり得ない言葉だからです。
自分がそんな言い方をすることが嫌だったんです。
そんな感情がくすぶっていてうまく説明することが出来ませんでした。
しかし、いずれは事実を伝えるためにも口にしなきゃならないと覚悟はしています。
次回につづく・・・
10年ぶりの再会に希望の光が
友人からの突然の連絡
前回の最後で少し触れていた話題。
夏休みのある出来事について書きたいと思います。
高校時代からの大切な友人から、突然のメールが届きました。
もう10年も季節のあいさつだけで、会えていなかった大事な友人・・・
彼女は、故郷から遠く離れて娘と二人暮らしをしています。
彼女には私がこんな状況になり、実家に戻っていることは連絡できずにいました。
とても大事な友人だからこそ、気を煩わせるのがなんだか嫌で、月日が経っていたんです。
メールは土日を利用して帰省するので、どこかで会えないかという内容。
この頃の私は、子供たちとの土日のドライブを楽しみながら充実感を感じていました。
でも、睡眠がうまく取れず疲れてもいました。
夜中に追い立てられて目が覚めたり、まだ前の生活を続けていて絶望している夢。
そんな時期に来た友人のメールは救いの神のようでした。
だって、今までだって何度も彼女の言葉から救われてきたことがあったんです。
そんな彼女には、また泣き言をいうのはいけないなぁと思っていたんですが、これはもう、吐き出しなさいってことなんだって思い、会う約束を快諾しました。
空港での再会は、涙があふれてきて止まりませんでした。
10年ぶりなのに何も変わっていない姿がうれしいのと、安堵感が一瞬で襲ってきて、ただただ涙。
もう一人の友人も含め、お互いのことを離すのは久しぶりなので、とにかく時間を忘れて現状報告しあいました。
仮に、10年ぶりの再会の友人をAさん、もう一人の友人をBさんとしますね。
Aさんは娘が一人、Bさんは息子と娘が一人ずつ。
主な悩みはやっぱり子育てのこと。
私も今の状況にいたった経緯と子供たちの状態を離しました。
そこで、Aさんの口から出てきた言葉が、
「うちも同じだったよ。4月から再出発できて今は活き活きと学校に行ってる」
詳しく聞くと、中学、高校と二度の不登校になったそうで、今は将来なりたいものを目指して高校に入り直したそうです。
不登校中は昼夜逆転の生活。
ネット依存でろくに会話ができず、言い争いが絶えなかったそうです。
親子二人で閉鎖的だとどうしても対立してしまって、本音で話し合うこともできず。
仕事もあるので、タイミングが悪かったりと思うように行かず八方ふさがりの極限だったそうです。
それが、活き活きと登校するようになったんですから、一年前には考えられないほどの変化でした。
きっかけは、娘さんが素直に考えていることを話し、それを全面的に受け入れたからだったそうです。
Aさんは、聞く耳を持たない親ではありません。
むしろ、柔軟な考えを持っている親で、決して押しつけることはしません。
ただ、娘さんの方が言い出す勇気としっかりとした意思を表すことが出来なかったようなんです。
したいことや夢はあるのに、今の高校ではできないような、漠然とした不安感。
それを親にどう伝えていいかわからないモヤモヤした気持ち。
口も利かずにネットを見続けることしかできなかったんだろうとAさんは言っていました。
Aさんの娘さんの凄いところは、そんな生活をしながらしっかりと、ネットで自分のやりたいことをするにはどうしたらいいかを調べていたようなんです。
ある日、資料を全部そろえ私はこれをやりたいんだ、この学校に入り直したいと涙ながらに訴えたそうです。
それを言い出す勇気がなくて、母親にダメだと言われるかもと思うと言えなかったと言っていました。
自分で決めた目標なら協力を惜しまない心構えの親であったはずなので、それが伝わっていなくて子供をこんなに悩ませたことをAさんは反省していました。
それから、一気に状況が変わったそうです。
目標を持てた娘さんは、再入学の準備もしっかりして、アルバイトもしながら通っているそうです。
10年ぶりにあった娘さんは、自信にあふれている印象でした。
何かを乗り越えてしっかりと前だけを見ているようです。
不登校も悩んでいた自堕落だった自分も、決して恥ずかしくは思っていない様子。
むしろ、それがあったから夢を口にできて道が開けたと過去の肯定していました。
そんな娘さんと10年ぶりに会う、長男はそのパワーに押され気味の様子でしたが、不登校だった過去をも肯定して活き活きとしている彼女と接して、何かいい笑顔を見せていました。
3時間ほど一緒に食事をし遊び、同年代とのコミュニケーションは久しぶりの長男。
ちょっと控えめでしたが、帰りにはとても楽しかったとずっと口にしていました。
長男もいろいろと興味のあることや、憧れることなどは語ってくれますが、まだそれが原動力にはならないようです。
私も常日頃から、夢を持ったら簡単に諦めないでやってみようと、いつも伝えています。
諦めるばかりの数年を過ごしてきたのですから、その悪習は断ち切りたいんです。
目標があるワクワクした気持ちをもう一度取り戻してもらいたいと願っています。
友人との再会は、そんな私の願いと、長男の気持ちを少し変えさせる、いいきっかけの再会でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
取り急ぎ更新しました。
誤字脱字があったらごめんさない。
不登校中1長男の1学期が終了
1学期が終了しちゃいました
ちょっとさかのぼります。
ずいぶんと更新ができなくて、その間にもいろいろとあったのですが、記憶がうっすらなことも多くて・・・
まずは、長男の1学期のことから。
結局、1学期の最後も登校できずに終わりました。
夏休み中の課題や通知表を終業式が過ぎてからもらいに行きました。
成績は判定不能。
何も書かれていない状態で、出席日数、病欠(扱いは病気ということになっています)、遅刻・早退の日数と担任からのコメントのみ。
出席日数は5日。
4月はなんとか頑張って行こうとし、頑張って行かせようとし、お互いにもがき苦しんでいた日々。
その結果が5日です。
よく頑張ったとおもいます。
先生からのコメントは、先生なりに励まして見守ってくれている優しさがありながらも、困っているような感じにも受け取れる内容でした。
クラスメイトは、終業式の日には登校するのではと期待してくれていた子もいたようでした。
5日しか会っていないけど、友達になりたいと思う気持ちを持ち続けてくれているようです。
そんなクラスメイトの話を聞いても、なかなか重い腰が上がらない長男です。
夏休みは、不登校でも夏休みとして楽しんでもらいたいし、楽しい思い出も作りたい。
だから、1学期のことはこれでおしまい。
夏休みの過ごし方をしっかり考えてみようと、今できる精一杯のことを二人で考えました。
判定不能の今後の影響
1学期の成績は、判定不能。
これが後々の人生にどんな影響が出てくるのか・・・想像しただけで不安になります。
もしかすると、私が思っている以上に、今後の人生において酷い差別を受けるのかもしれません。
でも、考えすぎてもどうにもならないこと。
私が不安にがっていたら、子供がもっと不安になる。
そうは思っても・・・
弱音をはかない、平常心で過ごすことの努力に、ちょっと疲れが出てしまったその頃。
思いがけない再会があり、一筋の光がみえたような出来事がありました。
その話は、そう遠くない次回に!