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これ導入して欲しいです! https://t.co/oPGpYq9drM
・韓国の日本大使館でテロ
・年金機構のデータ損失
・70まで働け宣言?
・香港で無差別攻撃
・竹島で韓国軍がロシア機射撃
どれも大事件でしょうよ、平等に報道しなさいよ・・・
追加があったらリ…
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と、根拠と語彙力ない私のアプローチに心揺られ
1回フェイシャルやって
驚きーーーーΣ(゜Д゜;≡;゜д゜)
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メディア情報
2014年 1月 横浜元町情報誌 Kitara 掲載
2015年 6月 TBS朝の情報番組
【白熱ライブ ビビット!】 にて脱毛症例が紹介されました。
2016年 6月 MoM横濱掲載
2017年 4月 美容情報誌スカンジナビアニュース 掲載
2017年 7月 テレビ朝日
【かりそめ天国】 にて紹介されました。
2017年 12月
光フェイシャル全国大会 ニキビ・しわ部門
グランプリ受賞
2018年 1月 美女肌計画 にご紹介いただきました。
2018年 3月 産経新聞系列
フジサンケイビジネスアイ 掲載
2018年 3月 美容情報誌スカンジナビアニュース 掲載
2019年 3月
光フェイシャル 全国大会 グランプリ受賞
2019年 4月 美容情報誌スカンジナビアニュース 掲載
2019年 6月 ファッション雑誌JJ
8月号掲載
こんにちは。小学校受験TSUBASA通信教育の高橋です。
●8月31日 東京・赤坂!5時間講習会!
完売いたしました。ありがとうございます。
●ペーパー280夏休み限定印刷バージョンは完売いたしました。
PDFバージョンは夏休み期間販売いたします。
●願書添削は7月30日21時〜ショップにて
前回、7月前半チケット分は3分で完売しました。
お早目に。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、今日は願書についてお話します。
願書添削が非常に人気で、前回販売分が開始3分で完売いたしました。沢山の方の願書を添削したいのですが数に限りもありますので、私の方から、願書添削のポイントをしっかりお伝えしたいと思います。
できれば、書いたご自分の願書を見ながら、この後の動画をみてほしいと思います。
世界で1つだけの願書をかくためのチェックポイントを5つご用意しました。
詳しくは動画でお話しておりますが、大事なことは、綺麗な文章で間違いなく書くのが願書ではない。ということです。
また、エピソードを書くのですよ。
と、よく言われると思いますが、エピソードってなんでしょうか。
エピソードは、やったことの事象を羅列するのではありません。
願書は、感動させるものです。
お子様の物語です。
心に響くものでなければ、志望校を志している本気がみえません。
世界で1つだけの願書になるように、応援しておりますので、ぜひ動画をご覧くださいね、。
夏休みの教材、8月1日から15日まで発送できません。
7月中にお買い求めください。
また、分からない事がございましたらいつでもラインくださいね。
ペーパーブログ
絵画ブログ
慶応幼稚舎5名・学習院初等科・慶応横浜一次3名・慶応横浜2名合格・青山学院4名・早稲田一次3名・早稲田2名・成蹊小学校4名・暁星小学校5名・洛南小学校2名・立教小学校2名・立教女子学院2名・開智学園・桐朋学園2名・江戸川取手・聖徳学園(内部)、さとえ小学校6名、ひばりが丘小学校、精華小学校、洗足学園小学校4名、カリタス小学校2名、聖ドミニコ、城星小学校、奈良女子大学附属小学校、桐光学園・白百合学園小学校2名・雙葉・東洋英和・淑徳小学校・宝仙学園・岡山朝日塾小学校、都市大2明、桐蔭5名、同志社、川村小学校、桐朋小学校2名・清明学園・目黒星美・捜真・安田小学校・明星小学校・なぎさ公園小学校・関西創価小学校・就実小学校・学芸大付属大泉小学校、お茶の水女子大学付属小学校・筑波大学付属小学校,千葉日本大学第一小学校、山口大学付属小学校、鳥取大学付属小学校,奈良女子大付属小学校、天王寺小学校3名、城星小学校の合格のご報告をいただきました
!!
TSUBASAの問題集はネットショップにてお買い求めいただけます。
継続・絵画講座のお申込みは、HPにて
昨日はお相撲のこと、かなりマニヤックに書いたでしょ?うちでは、一時は3人とも同じグループの広告会社にいたから、マーケティング観点で物事を見る傾向があるのね。
これはとても良いことだと思うの。物事をいろんな面から見る訓練がされているってことだから、3人とも同じ目線で、何でも、今回はテレビドラマだけど見ています。
まずこのクールのドラマで一押しと思われるのは、「凪のお暇」。黒木華ちゃんと高橋一生君のドラマ。一生君が嫌味な彼氏を演じて、以前の賢い路線とは違うアホ感がなかなかな。
三田佳子さんが、不思議な老婆を演じてらしてこれも興味有。もう一人中村倫也君も不思議な存在で登場と、皆不思議人物で、これからとっても楽しみなドラマね。
上野樹里ちゃんの「監察医朝顔」。1回目、2回目もなかなか良かったから、3回目も見てみよう。それから唐沢君の「ヴォイス」もまあまあ。ちょっと猟奇的殺人が参ったかな?
それから杏ちゃんの「偽装不倫」。これはブームの宮沢さんの御子息登場で、面白くなりそう。
新しい日曜劇場は池井戸さんの「ノーサイドゲーム」↑。主役大泉洋ってちょっとミスキャストと思ったけれど、ドラマ見ていくうちに、彼がこの役にキャスティングされた意味が分かってきて納得。池井戸さんの本だから、真面目で出来るサラリーマンだけじゃなくて、何かコミカルなところが求められる役なのです。ラガーシャツが似合わないとかいろいろ。今日はこんなところかしら?家にいるのも、楽しいこと色々出てきていいですよ。今夜は、いただいた美味しいもち豚で、お鍋風しゃぶしゃぶを頂きました!美味しゅうござました、感謝!神宗のお昆布できゅうりを漬けてみた。皆様も楽しい毎日、自分で作るのよ!良い一日をお過ごし下さいませ。MoM
「こんばんは、たまです。」
「連休はお出掛けでしたね、」
そうそう、久々に栃木に行ってたんだよ。
「おばちゃん家は久々ワン!」
何気にそうだね。
土曜日のお昼ごろに栃木に到着!
お昼ご飯を食べて早速三王山ふれあい公園のドッグランへ
「芝生で汚れなくてイイワン!」
そうだね、雨続きだから代々木は泥んこになっちゃうからね・・・。
早速ボールキャッチやら、
ループキャッチやら、
大型犬さんにワチャワチャやら・・・
ループのキャッチ競走?やらハッスルしてました。
遊んでくれたコーギーのさくらちゃん
ゴールデンさん、
ありがとうございました。
ランの後はお買い物、宇都宮のジョイフルホンダへ
ここはペットと一緒に入れるんですが何故か入り口近くにアンパンマンが・・・
ペット用カートで乗れるエスカレーターも完備
2階にはペットショップもありまたまた犬服を買ってしまいましたよ。
2階のフードコートテラスではペットも一緒に入れる席もありまして・・・
まあ普通に人用のご飯をお裾分け?してあげました。
この日は帰って早々に爆睡でしたね。
「今朝も雨降りワン?」
梅雨の長い今年、日曜日の朝も雨のスタート、前回か買ったレインコートで朝散歩へ
ごわごわしたのかちょっと歩きにくそうでした。
「雨が止むまで二度寝だワン!」
そうだね、それがイイでしょう。
午後になり、ようやく雨も小降りになってきたので小山のカインズへ
「ここのランも久しぶりワン!」
そうだね、でも今日は誰も居ないね〜、
って事で専らボールキャッチに興じるのあさん
こんなスットコドッコイな格好や
こんなカメラ目線の写真が撮れましたよ。
カインズで買い物した後は田んぼアートへ
「リボンの騎士らしいワン」
良く知ってるね〜、のあ
「鉄腕アトムワン!」
そうなんだけどね・・・
今年のこの会場のテーマは手塚アニメって言う事ですね。
次は是非のらくろでお願いします。
結局日曜日も一泊しまして今朝東京に帰ってきました。
やっぱりお家は落ち着くのか早速伸びております。
と思ったら早速・・・
のあ用のベッドですぴ〜
さて、水替えしないと、
「お留守の時はお腹空きましたよ!!」
ああ二日間ゴメンね〜
「甘えび祭りで許してあげます。」
はいはい、近いうちお留守番のご褒美にね、
留守番もだいぶ慣れっこになってきた?たまなのでした。
こんにちは!
美容家・堀江麻衣です。
・
実家の母が胃の痛みで
胃カメラを入れてきたのは
先週のことです。
今日、結果を聞きに
病院へ行ったのですが
逆流性食道炎とのことでした。
とりあえずホッとしました。
本人曰く、
「胃も、大腸も大丈夫。
長生きの恐れありだね」。
メッセで送ってきました。
長生きして欲しいですよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、以前使用していたカリタ。
カリタ14をきっかけに
もう一度ライン使いすることになりました。
お高いイメージがありますが
今使っているSK-IIより
ずっと購入しやすい価格。
変えたのは経済状況もあるのです!
カリタ「ローション エクラ ジュネス」。
説明書きに「コットンを濡らしてから、
化粧水を含ませてください」。
これが揃えた理由です。
乾燥したコットンは肌を擦りますが
水で湿らせてあれば肌への負担が
減るのでは?と思っていました。
それを証明つけるような説明。
使用順番などまだ慣れないことはありますが
一気に「ぴか〜ん」となるのではなく
気長に、といった感じです。
使用し始めて1週間ですが
夫に「目が大きくなった!」と
2回言われました。
むくみが取れているのでしょうか?
今回は使っていたSK-IIを
フリマアプリに出品せず
併用するつもりです。
(一気変えは怖いので)
基礎化粧品を変えるのは
いつも期待と不安ですね。
肌断食をしていたときは
このドキドキ感がありませんでした。
肌断食の話はまた今度書くつもりです!
洗面所に並べて置いているのですが
そこだけフランス映画のようです。
見た目って大事!
フランス人でないわたしは
コツコツとお手入れを続けます。
何か変化があればご報告しますね!
第二次世界大戦中,ナチス・ドイツは約600万人ものユダヤ人を虐殺しました。
軍事的な必要性も必然性もないのに,ただユダヤ人というだけで殺したのです。
それは,決して起こってならないことであり,奈落の底が開いてしまったような出来事でした。
なぜ,このような恐るべき全体主義が誕生してしまったのでしょうか?
全体主義の原因とその解決を生涯かけて追及した者こそ,今回登場するハンナ・アーレント(1906〜1975)でした。
<悪の系譜>
全体主義の本質は,その無意味な暴力にあります。
もちろん,暴力をふるう支配者は昔からいました。
しかし,今までの暴君と全体主義は,その立脚している価値観が全く違います。
今までの暴君は,「汝殺すなかれ」というみんなが共有している戒律をあえて踏みにじることで,人々を恐怖させ支配してきました。
しかし全体主義は,道徳律そのものを根底から覆し,暴力が自己目的化してしまったのです。
すなわち,全体主義は,世界を壊すために壊し,人々を殺すために殺すのです。
人々を支配するために殺すのではありません,殺すこと自体(死体の製造)が目的となってしまったのです。
なぜ,このような恐ろしいイデオロギーが誕生してしまったのでしょうか?
ヒトラーのせいでしょうか?
ゲーリングのせいでしょうか?
もちろん,彼らがナチスを率いて,能動的な暴力の行使によって世界を支配下に置こうとしたことは事実です。
しかし,根本の原因はヒトラーでもゲーリングでもありません。
なぜなら,彼らでさえ,自分のことを支配者と考えていたのではなく,(アーリア人という優等人種が世界を支配しなければならないという)イデオロギーに従う一つの器官と考えていたからです。
では,誰が支配者だったのでしょうか?
アーレントは言います,全体主義に支配者はいないのだ,と(「全体主義の起源」)。
誰も支配者がいない(nobody)ということは,すべての人(everyone)が無意識的に悪に加担していることを意味しています。
ヒトラーと彼に従った大衆には,大きな共通点がありました。
それは,“自分の私的な生存のみに関心を持ち,公的な事柄に責任も関心も持っていない”ということです。
彼らはみな,世界に対して関心を持たず,彼らの一番の関心事は,ただ与えられた職務を果たして私生活の安全を確保することでした。
毒ガスによる殺人や生き埋めを日々見ていた収容所の主計官が,自分の罪を問われて,「私が何をしたのでしょう」と泣き出したという話があります。
ナチスに加担したすべての人々は,“日々の生活のために職務を果たしただけであって,自分には責任がない”と考えていたのです。
そこにあるのは,目の前の業務さえ行えばいいという部品と化した人間の姿であり,他者の立場から物事を考えられない完全な思考停止であり,責任を感じることができない人間の尊厳の欠如でした。
アーレントは,このような悪のことを,凡庸な悪と呼びました(「エルサレムのアイヒマン」)。
全体主義の原因,根源的な悪とは,このような凡庸な悪にあったのです。
<メサイア体験>
では,どうすれば,このような悪を克服することができるのでしょうか?
アーレントは最初,こう考えます。
イギリスやアメリカの市民革命のように,ある特定の人々が人間の尊厳を保てるような政治体制を創設すればよい,と(「革命について」)。
しかし,たとえ素晴らしい政治体制を整えたところで,問題の根本的解決にはなっていません。
全体主義の本質は,人々が同質性ばかりを重視して,異質な他者(ユダヤ人)を排除しようとしたことにあるのです。
複数性の欠如,異質な他者との共生を拒否する態度。
これが,全体主義の本性なのです。
ですから,たとえ素晴らしい政治制度を作ったところで,人間の側に他者の独自性を重んじる態度がなければ,根本的な解決にはならないのです。
このように思い悩んでいたアーレントは,1952年5月のある日,啓示を受けます。
ミュンヘンの劇場でヘンデルの「メサイア」をきいていた時,それは訪れました。
「我々のもとに一人の子どもが生まれた」(イザヤ書9−6)
「メサイア」のこのセリフが,アーレントの心を突如撃ち抜いたのです。
もともとこのセリフは,キリストが生まれる預言でした。
「一人の子ども」とは「a Child」,すなわちメシアとしての一人の子どものことであって,人々を救い出す使命をもった一人の人格を意味していました。
しかし,アーレントは,この箇所を「a child」,不特定多数の誰か,つまりすべての子どもたちと解釈し,新たな世界の可能性を開くのは複数の人格であると考えたのです。
アーレントは言います,「イエスの教えの独自性とは,人間の複数性を重視したところにある」と。
「神は男と女を造られた」(マタイ伝19−4)
このイエスの言葉の強調点は,「男」や「女」ではありません,「と」にあるのです。
イエスが言おうとしているのは,生物学的な性別の違いなのではなく,“人間はもともと異質なもの,独自な存在として造られた”ということなのです。
それは,イエスの愛の観念にも表れています。
パウロにとっての愛とは,二者の融合を意味していました。
人間は神の恩恵によって救われた同じ罪人,すなわち同質的な兄弟として,一体化しなければならない。
これが,パウロのいう愛でした。
しかし,イエスのすすめた愛は,“間”を介して言葉を交わしあう関係を意味していました。
人間はともに神の国を造る同志であり,異質な友として(ヨハネ伝15−12〜15),互いに言葉と行為によって交わり,つねに世界を新たにしていかなければならない。
これが,イエスのいう愛でした。
※パウロの教えの本質は“個人の不滅性”であり,イエスの教えの本質は“共同体(神の国)の不滅性”でした。故に,パウロにとっての信仰は救済であり,イエスにとっての信仰は活動でした。
では,人間の複数性を重視したイエスは,我々にどう生きるように説いたのでしょうか?
アーレントはこう指摘します(「人間の条件」)。
イエスが明らかにした人間の生き方とは,第一に奇蹟であり,第二に赦しです。
奇蹟とは,新しいことを始めることです。
ナザレのイエスがその教えの中ですすめる唯一の人間の能力とは,奇蹟を行なう能力でした。
人間はみな,神の似姿として造られました。
つまり,人はみな,唯一無二の力と使命を持っているのです。
神から与えられた独自性を発揮すること,能動的に自己をあらわすこと,この世の必然性を打破して新しいことを始めること。
人間の為すべきことは,神の創造の業を反復することなのです。
そして,こういった奇蹟を可能にするために必要なものが,赦しの愛です。
人はみな,思いがけず過ちを犯してしまうものです。
もしその過ちを赦してやらなければ,過ちを犯した人間は過去の行為に縛られてしまい,前進することができません。
いや,過ちを犯した人間だけではありません,過ちを犯された人間にしてもそうです。
他者の過ちを赦さず,復讐に心を燃やすということは,未来に目を向けずに,たった一つの過去に縛られてしまっているのです。
赦しは,赦す側も赦される側も,双方が自由になる行為です。
人間は赦しあうことによって,自発的に心を新たにして始めなおし,何か新しいことを始める偉大な力に信を置くことができるのです。
全体主義を克服する複数性の社会とは,イエスが教えたような“奇蹟と赦し”によって実現するものなのです。
<アーレントの前世>
アーレントの前世とは,キリスト教の大思想家アウグスティヌスです。
アウグスティヌスは「神の国」において,“自己愛によってできた地の国”と“隣人愛によってできた神の国”の対立という視点から歴史を考察していますが,これは「人間の条件」において,“自分の生命を保持しようとする労働(labor)”と“共同体のために尽くそうとする無私の行為(action)”の対立という視点から歴史を考察したアーレントを彷彿とさせます。
アウグスティヌスは「告白」において,後世の思想家に大きく影響を与えることになる心理的時間論を展開していますが,これは「精神の生活」において,鋭い実存的時間論(静止する今)を展開したアーレントと共通するものがあります。
アウグスティヌスもアーレントも,カルヴァンのような体系的な思想家ではなく,一つのテーマを生涯貫くような思想家でした。
初期の「告白」から晩年の「三位一体論」に至るまでアウグスティヌスの貫いたテーマは,意志の自由です。
そして,アウグスティヌスの出した結論は,“意志の究極は愛である(愛によって意志は救われる)”ということでした。
アーレントはアウグスティヌスの出した結論から出発します(「アウグスティヌスにおける愛の概念」)。
アーレントの生涯のテーマは愛であって,どうしたら異質な他者と共に共生空間を打ち建てられるか,ということでした。
アウグスティヌスがアーレントの前世かどうか確かめたい方は,アウグスティヌスの「三位一体論」における意志論と,アーレントの「精神の生活」における意志論を比べてみてもいいかもしれません。
また,アーレントの前々世は,旧約聖書に登場する預言者イザヤです。
イザヤもアーレントと同じように,鋭い政治感覚を持った大思想家でした。
「狼は小羊と共に宿り,豹は子やぎと共に伏し,子牛・若獅子・肥えたる家畜は共にいて,小さい童に導かれ,雌牛と熊とは食い物を共にし,牛の子と熊の子と共に伏し,獅子は牛のようにわらを食い,乳飲み子は毒蛇のほらに戯れ,乳離れの子は手をまむしの穴に入れる」(イザヤ書11−6〜8)
イザヤが理想とした世界は,すべての人が精神的に成長し,異質な者が互いに共生できる政治空間の確立でした。
これは,複数性の社会の実現を目指したアーレントと同じ精神といえるでしょう。
イザヤの最後は悲惨なもので,伝説によると,ノコギリによって生きたまま身体を引き裂かれ,殉教したと言われております。
伝説がどれだけ確かかはわかりませんが,少なくともアーレントは,類似する悲劇に見舞われました。
アーレントの伝記を読むと,彼女がいかに友人を愛していたかが伝わってきます。
彼女にとって,共に議論し共に研鑽する友人の存在は,かけがえのないものでした。
「真理と友人をどちらか選ばねばならないとすれば,私は友人を選びたい」
これが,アーレントの信条でした。
しかし,ナチスのアイヒマン裁判を検証した「エルサレムのアイヒマン」を出版することによって,多くの友人を失うことになります。
ナチスを悪魔の如く憎悪する人々にとって,“アイヒマンは凡庸な人間であり,悪の根源は普通の人間の内にある”と結論づけたアーレントは,許しがたいものだったのです。
真実を語って友を失ったアーレントは,いわば真実と友の間で引き裂かれたといえるでしょう。
預言者イザヤ→アウグスティヌス→ハンナ・アーレントと転生した魂の霊的実体とは,七大天使の一人,大天使サリエルです。
思想(特に政治思想)を担当する存在です。
いつも政治的危機の時代にこの世に生まれ,激動の時代の中で社会の救いを追求してきました。
イザヤの時はアッシリアの脅威のもとでイスラエルの救いを追求し,アウグスティヌスの時はゲルマン民族の脅威のもとで教会の救いを探し求め,アーレントの時は全体主義の脅威のもとで世界の救いを模索しました。
<精神の生活>
政治現象としての全体主義は去りました。
では,アーレントの危惧した社会の危機は去ったのでしょうか?
去ってはいません,今なお存続していると私は考えています。
全体主義の特徴とは,何だったのでしょうか?
それは,他者とのつながりの喪失と人間の根無し草化であり,生きる意味がわからない虚無感の支配であり,エリートから大衆に至るまでの無思考性であり,人間を交換可能な塊とみなす人格の否定であり,自分のこと以外はどーでもいいというような社会の風潮です(「暗い時代の人々」)。
これら全体主義の精神は,今なおこの社会に瀰漫しているではありませんか。
もちろん,だからといって全体主義が復活するということではありませんが,違う形で問題が噴出しないと誰が断言できるでしょうか。
アーレントは晩年,再び人間が全体主義に陥らないためにはどう生きればよいかを探求しました(「精神の生活」)。
アーレントは言います,人間はまず思考しなければならない,と。
思考とは,本を読んだり話を聞いたりして,知識として結実するものではありません。
アーレントのいう思考とは,意味を考えることです(カントは,知識として成立する能力を知性,答えようのない問いを考える能力を理性と呼びましたが,アーレントのいう思考とはカントのいう理性のことでしょう)。
世の中の流れや常識を疑い,一旦立ち止まって,自分で自分に問いかけること。
自分の考えや行為に対し,「どういうつもりで君はそういうことを考えるのか?」と問うこと。
自分の中にもう一人の自分を想定して,その人と対話すること。
「思考は差異を現実化する働きである。これは知識と違って万人に開かれている。しかしこの思考は,社会的にはあまり役に立たない。価値も生まなければ,善が何であるかを見極め尽くすこともない。この世で生きやすくするよりは,生きづらくする。しかし,考えることのない人生は,人生の意味も知らず,夢遊病者のようなものであって,真に生きているとはいえない」
考えない人,自分の中に分裂した自己との論争がない人は,容易に世の風潮に流され,倫理を転倒させることになります。
ナチスに従った人々が,「汝殺すなかれ」から「汝殺すべし」に転倒したように。
思考は,悪を防止する最上の手段なのです。
思考の次に大事なものは,意志です。
人間が造られたのは,因果の法則に縛られ,この世の必然に流されるためではありません。
人間が創造されたのは,この時間の中で新しい“始まり”を造り出し,運命を突破して世を変えるためです。
そのために,神は人間に意志を与えたのです。
ですから,たとえ困難な状況や圧倒的な悪に直面しても,自分の意志を起動力として,状況を打破しなければなりません。
思考と意志,しかし最も大事なものは,愛です。
愛と言っても,いろいろな愛があります。
アーレントが強調する愛とは,ナザレのイエスの愛でした。
ソクラテスの愛とは,自分にないものを他者に望む愛であり,欲求としての愛でした。
パウロの愛とは,神への愛であり,圧倒的な恩恵によって罪人に注がれる愛でした。
ソクラテス的な愛は,未来に幸福を求めて最高善を享受しようとするギリシャ的な愛であり,パウロ的な愛は,過去に逆行して創造者という起源に帰還しようとするユダヤ的な愛でした。
しかし,イエスの愛はそれを上回り,今・ここで他者と共に共生空間を打ち建てようとする神の国の愛でした。
イエスの愛とは,同じく神に造られた同志としての愛であり,互いの独自性に対する尊敬に立脚した愛でした。
相手がどんな人間であろうとも,相手の中に神の似姿があることを信じる愛でした。
相手が最終的にどのようなものになろうとも,たとえ私とは異なる信念を抱くようになっても,私の希望とは違う道を選ぶことになっても,その人がその人らしく生きることを望む愛です(「思索日記」)。
イエスは,ユダが自分を裏切ることを知っていました。
そして,ユダが自分を裏切った時,イエスが発した言葉は「友よ」(マタイ伝26−50)でした。
たとえ自分を裏切って殺すことになっても,イエスは最後まで,ユダの内にある神の似姿を信じて疑わなかったのです。
複数性の社会を実現する土台となるのは,この種の愛なのです。
たとえ相手が罪を犯した人間であっても,知的に障害がある人間であっても,精神的に錯乱した人間であっても,社会的に無きに等しい人間であっても,また,私の信じる正義に敵対する人間であっても,心の奥底には神の似姿があるという盲目的信仰こそ,複数性の社会を実現する要石なのです。
小雨の中の散歩も、今の時期は気持ちがいいですね
メリアは、古いアルファイコンのレインコート
購入した時より、体重を落としたので少しブカブカです。
アキレスは、フルッタのレインコート
つい最近まで、パピーの時に買ったミッキーのレインコートを着ていたのですが、
「ミッキーの、かわいいけど、ごめん、正直に言うけどアキレスには似合わないもっとさ、かっこいいのないの?海外のとか着てるイメージ」
と、アジリティお仲間さんに言われてしまったので、海外ブランドのレインコートを購入しました ミッキーのもそろそろ小さくなっていたのでね
ウヒヒ、似合ってる
いずれにしても、私のレインコートより高額です
5月、6月の大会で毎回、色々な方にお声をかけていただきました。
「アキレスはいつデビューするの」
「もうそろそろ、アキちゃん、見たいなぁ」
ありがとうございます
今年の春の時点でも、ノービスなら走れたのではないかと思います。今のコーチにも、そのような話をされました。
ここでいう”走れる”は、とりあえず失格はしない程度ということです。
しかし、スムーズな走行で、アキレスに迷いや無駄なラインを取らせることなく走ることができるのかといったら、それは違ってきます。
話しは少しそれますが、大相撲名古屋場所が、後半戦に突入しました。
14日(日)、NHKの大相撲の放送で、レスリング3大会、金メダリストの吉田沙保里さんが、解説者の一人になっていたんですね。
そこで、吉田さんの今後の展望について、指導者の道はあるのかとアナウンサーに尋ねられている時がありまして、吉田さんはやんわり否定されておりました。
その時に語られた理由が、メモしていたわけではないので、一門一句正確な文言は書けませんが、このようなことを話されていました。
「レスリングを教えることはできるけど、強くするのとはまた違う。」
なるほどな〜と思いました。
私も、指導者として、体育授業でのスポーツや運動を教えるのと、部活動としてより競技性の高い世界で活躍することを目指した選手を教えるのとは違いましたから、レベルは違えども、おっしゃっている本質はとても理解することができます。
そして、私のアジリティは、ハンドラーとしては習う側であり、犬には教える側でもあり、いつも色々と考えを巡らせています。
上記の吉田さんの話も踏まえて、改めて考えたことですが、
私はメリアやアキレスと、ただアジリティがしたいわけではないんですね。
やるからには、ちゃんとやりたいんです。
"ちゃんと"っていうのは、
別に世界大会に出ることを我武者羅に狙っているわけではなく、
ただ単に、まじめに、真摯に、いつも課題を意識して、突き詰めてやりたいということ。
なんとなく、うわっつらだけ、形だけできたらそれでいい、とは思わないんですね。
だから、もっと早くアキレスをデビューをさせて楽しめることもできたと思うものですが、
なんとなくできる力で大会に出せば、いずれきっと綻びがでます。
犬は、大会本番と練習という”場”の違いを、よくも悪くも学習します。
何もわかっていなかった未熟なハンドラーとしてメリアに苦労をかけてしまったことは多く、反省や後悔といったら、時間を取り戻すことはできないので本当にメリアに申し訳ないのですが…十分、勉強になりました。
メリアちゃん、ごめんね
このブログでも何度か話題にしていますが、
「楽しければそれでいい。」と言う人もいるけど、
私にとって楽しいとは、
うまくできないこと、大会での失敗を、素直に向き合わないで逃げる言い訳みたいにこういう事をいう人とは、たぶん質が違う。
私の楽しさとは、英語で言うのなら、Fun じゃなくて、Interesting です。
つまり、吉田さんの言葉に話を戻しますと、
ただ楽しくアジリティをするのと、大会で強いペアとしてアジリティをするのとでは違うということです。
あ、そうそう、このような問題にも、参考になる論点だと思います。
私に、スクールのことで相談される方が度々いらっしゃいます。
スクールの指導者が、生徒さん(お客さん)にどのようなアジリティを教えていきたいのかといった視点が大事です。
様々あるお客さんのニーズに、どれにも対応しますという指導者もいらっしゃいますし、
家庭犬のしつけの延長線上で、アジリティという方法もありますよ程度のスクールもあるでしょう。
はたまた、大会で活躍することを目標と謳っておきながら、
実際はそこまで生徒さんの思いに寄り添う器を有していない方、指導力がない方もおられるのも事実。
こういう先生に限って、できないことを練習不足のせいにするんだよね…。
あぁ、あと、アジリティという枠以外で、スクール仲間で他のアクティビティにも出かけましょうという文化があるスクールもあります。
私が慕うある先輩ハンドラーは、「習い事をしに行っているのに、なぜ群れるの?」と一蹴 ウケます
アジリティを始めたばかりの方はこのようなスクールのあり方の概念について、まだ思いもよらないことと存じますが、
私に相談される方は、それなりの経験者が多いので、いつもこのような視点を挙げながら、お話しさせていただいています。
そして、だいたい共通の言葉で盛り上がる!
「やるならちゃんとやりたい 別に、世界とか目指しているわけじゃないんだ 一つ一つ、できないことをできるようになっていきたい」
と
これまで、色々な方とアジリティ談議をしており、特にアキレスに関しては、両極端の意見を頂戴いたします。
両意見とも、アジリティ指導や犬関係の仕事をしている方の意見が含まれています。
早くデビューさせた方がよい派の意見
「犬も人も大会を経験して学ぶことも多い。アキレスが大会でどのような状態になるのかを知っておくこともよい。」
「犬の寿命は短いんだから、早く教えた方がよい。」
じっくり教えて、大会デビューはゆっくりでよい派の意見
「1度くらいのレベルを早くできたからといってデビューさせても、3度に上がるまで苦労するペアがたくさんいる。だから焦らない方がいい。」
「崩れることの方が早いから、ゆっくり仕上げた方がいい。」
私やアキレスのために、色々なご助言をいただき有難い限りです。
こうしてたくさんご意見をいただいても、自己の責任において取捨選択することが大事だと思います。
私は、の意見派でアキレスを教育しています。
コンタクト練習も地道に進行しておりますが、まずは、ジャンピングからデビューさせることになると思います。
いつも応援してくれている方々、もう少し待っていてください
早くて秋、遅くても年内に、まずはジャンピングデビューを目指します
これは4月末の練習動画です。
今は、ハードルにおける練習では、フロントスイッチや、バックスイッチなどを、
指示のタイミングやハンドラーの身体の傾け方等、
とても細かい部分を意識して、アキレスに合わせて取り組んでいます。
アキレスのスピードを生かすハンドリングを私が実現できれば、
彼が叩きだす旋回スピードは、きっと、恐ろしいことになるでしょう
私も身体を鍛えなきゃダメだこりゃ
応援ポチをありがとうございます
小雨の中の散歩も、今の時期は気持ちがいいですね
メリアは、古いアルファイコンのレインコート
購入した時より、体重を落としたので少しブカブカです。
アキレスは、フルッタのレインコート
つい最近まで、パピーの時に買ったミッキーのレインコートを着ていたのですが、
「ミッキーの、かわいいけど、ごめん、正直に言うけどアキレスには似合わないもっとさ、かっこいいのないの?海外のとか着てるイメージ」
と、アジリティお仲間さんに言われてしまったので、海外ブランドのレインコートを購入しました ミッキーのもそろそろ小さくなっていたのでね
ウヒヒ、似合ってる
いずれにしても、私のレインコートより高額です
5月、6月の大会で毎回、色々な方にお声をかけていただきました。
「アキレスはいつデビューするの」
「もうそろそろ、アキちゃん、見たいなぁ」
ありがとうございます
今年の春の時点でも、ノービスなら走れたのではないかと思います。今のコーチにも、そのような話をされました。
ここでいう”走れる”は、とりあえず失格はしない程度ということです。
しかし、スムーズな走行で、アキレスに迷いや無駄なラインを取らせることなく走ることができるのかといったら、それは違ってきます。
話しは少しそれますが、大相撲名古屋場所が、後半戦に突入しました。
14日(日)、NHKの大相撲の放送で、レスリング3大会、金メダリストの吉田沙保里さんが、解説者の一人になっていたんですね。
そこで、吉田さんの今後の展望について、指導者の道はあるのかとアナウンサーに尋ねられている時がありまして、吉田さんはやんわり否定されておりました。
その時に語られた理由が、メモしていたわけではないので、一門一句正確な文言は書けませんが、このようなことを話されていました。
「レスリングを教えることはできるけど、強くするのとはまた違う。」
なるほどな〜と思いました。
私も、指導者として、体育授業でのスポーツや運動を教えるのと、部活動としてより競技性の高い世界で活躍することを目指した選手を教えるのとは違いましたから、レベルは違えども、おっしゃっている本質はとても理解することができます。
そして、私のアジリティは、ハンドラーとしては習う側であり、犬には教える側でもあり、いつも色々と考えを巡らせています。
上記の吉田さんの話も踏まえて、改めて考えたことですが、
私はメリアやアキレスと、ただアジリティがしたいわけではないんですね。
やるからには、ちゃんとやりたいんです。
"ちゃんと"っていうのは、
別に世界大会に出ることを我武者羅に狙っているわけではなく、
ただ単に、まじめに、真摯に、いつも課題を意識して、突き詰めてやりたいということ。
なんとなく、うわっつらだけ、形だけできたらそれでいい、とは思わないんですね。
だから、もっと早くアキレスをデビューをさせて楽しめることもできたと思うものですが、
なんとなくできる力で大会に出せば、いずれきっと綻びがでます。
犬は、大会本番と練習という”場”の違いを、よくも悪くも学習します。
何もわかっていなかった未熟なハンドラーとしてメリアに苦労をかけてしまったことは多く、反省や後悔といったら、時間を取り戻すことはできないので本当にメリアに申し訳ないのですが…十分、勉強になりました。
メリアちゃん、ごめんね
このブログでも何度か話題にしていますが、
「楽しければそれでいい。」と言う人もいるけど、
私にとって楽しいとは、
うまくできないこと、大会での失敗を、素直に向き合わないで逃げる言い訳みたいにこういう事をいう人とは、たぶん質が違う。
私の楽しさとは、英語で言うのなら、Fun じゃなくて、Interesting です。
つまり、吉田さんの言葉に話を戻しますと、
ただ楽しくアジリティをするのと、大会で強いペアとしてアジリティをするのとでは違うということです。
あ、そうそう、このような問題にも、参考になる論点だと思います。
私に、スクールのことで相談される方が度々いらっしゃいます。
スクールの指導者が、生徒さん(お客さん)にどのようなアジリティを教えていきたいのかといった視点が大事です。
様々あるお客さんのニーズに、どれにも対応しますという指導者もいらっしゃいますし、
家庭犬のしつけの延長線上で、アジリティという方法もありますよ程度のスクールもあるでしょう。
はたまた、大会で活躍することを目標と謳っておきながら、
実際はそこまで生徒さんの思いに寄り添う器を有していない方、指導力がない方もおられるのも事実。
こういう先生に限って、できないことを練習不足のせいにするんだよね…。
あぁ、あと、アジリティという枠以外で、スクール仲間で他のアクティビティにも出かけましょうという文化があるスクールもあります。
私が慕うある先輩ハンドラーは、「習い事をしに行っているのに、なぜ群れるの?」と一蹴 ウケます
アジリティを始めたばかりの方はこのようなスクールのあり方の概念について、まだ思いもよらないことと存じますが、
私に相談される方は、それなりの経験者が多いので、いつもこのような視点を挙げながら、お話しさせていただいています。
そして、だいたい共通の言葉で盛り上がる!
「やるならちゃんとやりたい 別に、世界とか目指しているわけじゃないんだ 一つ一つ、できないことをできるようになっていきたい」
と
これまで、色々な方とアジリティ談議をしており、特にアキレスに関しては、両極端の意見を頂戴いたします。
両意見とも、アジリティ指導や犬関係の仕事をしている方の意見が含まれています。
早くデビューさせた方がよい派の意見
「犬も人も大会を経験して学ぶことも多い。アキレスが大会でどのような状態になるのかを知っておくこともよい。」
「犬の寿命は短いんだから、早く教えた方がよい。」
じっくり教えて、大会デビューはゆっくりでよい派の意見
「1度くらいのレベルを早くできたからといってデビューさせても、3度に上がるまで苦労するペアがたくさんいる。だから焦らない方がいい。」
「崩れることの方が早いから、ゆっくり仕上げた方がいい。」
私やアキレスのために、色々なご助言をいただき有難い限りです。
こうしてたくさんご意見をいただいても、自己の責任において取捨選択することが大事だと思います。
私は、の意見派でアキレスを教育しています。
コンタクト練習も地道に進行しておりますが、まずは、ジャンピングからデビューさせることになると思います。
いつも応援してくれている方々、もう少し待っていてください
早くて秋、遅くても年内に、まずはジャンピングデビューを目指します
これは4月末の練習動画です。
今は、ハードルにおける練習では、フロントスイッチや、バックスイッチなどを、
指示のタイミングやハンドラーの身体の傾け方等、
とても細かい部分を意識して、アキレスに合わせて取り組んでいます。
アキレスのスピードを生かすハンドリングを私が実現できれば、
彼が叩きだす旋回スピードは、きっと、恐ろしいことになるでしょう
私も身体を鍛えなきゃダメだこりゃ
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