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2017年03月19日

暗渠と城跡6(中野城山)桃園川と堀江氏館跡

東京の中野区にも城跡があるということで訪問しました。

つわものどもが夢の跡・・・
5nakanoshiro (1).jpg
[場所:谷戸運動公園]
ここが中世の城跡になりますが・・・ちょっと厳しい状況ですね。
よりによって、ここまで平坦にしますかね・・・
(運動公園ですから当然のこと。子供が楽しそうに野球をやってました)
一応見て回りましたが「城のなごり」を感じることはできません。

このエリア、地元では城山と呼ばれています。歴史については諸説ありますが、事実として、昭和の初期頃までは土塁や堀の跡が残されていました。また専門家による調査結果でも、中世の豪族・堀江氏の城館跡であることが確認されています。堀江氏館跡です。堀江氏についても諸説ありますが、戦国時代にこの付近の代官となり、江戸時代には地元の名主となっていたようです。

ん〜そんな館の遺構が昭和初期まであったのなら、土塁の隅っこだけでも良いので残して欲しかったですね。城跡好きとしては残念。痕跡どころか、もはや気配すらありませんでした。

終わり

ではありません。街の中の城跡巡り、ここでまた「暗渠」の出番です


桃園川緑道
5nakanoshiro (2).jpg
これはただの道じゃありませんよ。暗渠(あんきょ)、つまり蓋をされた川です。桃園川(ももぞのがわ)といいます。

先程の公園のすぐ近く。館跡を中心に考えると南側です。外堀的な役割を果たしてくれる川だったと思われます。あるがままの川が、きっちりとこんな幅で流れていたはずもなく、付近は川沿いに低湿地となっていたことでしょう。これは防衛上は有利な条件ですね。更に、東には神田川、北には妙正寺川が流れています。この桃園川を含めると、城跡は三方が川だったことになりますね。

城の縄張りでは土塁や堀の配置が重要になりますが、それ以上に大切なのは場所の選定。ここ中野城山は、選ばれるべくして選ばれた場所だった。私にはそう思えます。江戸時代はともかく、堀江氏がこの地にやってきたのが戦国期であるなら、それは尚更のことです。

微妙な地形の高低差なども含めて、それらを現地に行ってみて肌で感じる。痕跡が少ない街の中の城巡りでは、そんなことを心がけています。

深読みと思い込みと肌感覚

これで勝手に楽しんでいます。


車止め
5nakano.jpg
桃園川は杉並区と中野区を流れる川。全区間がこういう暗渠となっています。車止めがユニークですね。ここは通常の道路と違って、川に蓋をしただけの状態。人はOKでも、重量のある車両は入れないようにしています。耐久性の問題ですね。細い道で車止めを見かけたら、そこはもしかしたら暗渠かもしれませんよ。これは暗渠に気付くコツみたいなもの。そうやって川のなごりに敏感になると、市街化されて遺構のない城跡にも、城のなごりを感じられたりします。

つわものどもが夢の跡
城跡そのものには何もありませんでしたが、川跡を含むかつての地形のなごりに、城のなごりを感じました。

暗渠沿いの古民家カフェにて
momozonoriver (1).jpg
不慣れな街ですが充分楽しみました。


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タグ:暗渠と城跡
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2017年03月05日

暗渠と城跡5 赤塚城

赤塚城跡の追記です。

<赤塚城跡>
akatsukaumeISUKE2020.jpg

赤塚城探索の帰りに、山城の麓にある郷土資料館に立ち寄りました。

<郷土資料館>
3akatsukaume (9).jpg
何かを実感するというのは大切だと思います。参考になりました。
3akatsukaume (10).jpg
いい感じです。田舎で育ったので、ホッとする景色です。

お世話になりました
これで帰るつもりが……

あ、あれはもしや
3akatsukaume (11).jpg
暗渠を見つけてしまいました。郷土資料館の裏手です。こんなのは普通は無視しますよね。赤塚城の堀の役割を果たしていた川跡!というわけでもなさそうだし。ただ

どこから繋がってるのか?

気になって仕方ありません。現在の溜池、つまり昔の城にとっての堀は、どこかから水を引き込んでいたのではないのか?などと想像してしまいます。

ということで、ほぼ無駄であることを知りながら経路を追いかけました。

3akatsukaume (13).jpg
道路の下に水の道が隠されていますね。

3akatsukaume (12).jpg
凄い地形ですね。ここが城の一部だとしても、納得できる(実際は違います)。水の流れはこの坂のずっと向こうから続いているようです。更に探るのも面白いですが、ここで断念しました。

この日訪問した赤塚城は、武蔵野台地の段丘の山城で、麓は湿地帯となっていました。つまり足場の悪さに守られていたということですね。その低湿地に、いかにも水が集まってきそうな周辺の地形。それを実感できただけでも良かったと思っています。まぁこんなことは本やネットで調べぬくという手もありますが、といあえず行ってみて、肌で感じる。今後もそうやって楽しみたいと思います。家でゴロゴロしてないで、歩くことも目的なので。


最後に
私が途中で断念したようなことを、暗渠マニアの方が詳しく解説しています。興味のある方は読んでみて下さい。私が通勤時によく読ませてもらっている暗渠ブログです。

■ブログ■ 東京PEELING!
暗渠ハンター 板橋湧水跡めぐり 1
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-077a.html


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2017年03月03日

暗渠と城跡4 出井川と志村城

※豊島一族の城跡(志村城)の追記です

駅近くの志村城跡については、前の記事でふれさせて頂きました。周囲が宅地化されているにも関わらず、いまだに残る城のなごり。有り難い場所です。ここでは、その記事の中にあった「暗渠化された出井川(でいがわ)」を追記させて頂きます。

その前に「暗渠」ってなに?

はい。この見慣れない字ですが、「あんきょ」と読みます。いろんな定義がありますが「地下に埋設された川」という意味に受け取って下さい。

もうちょっと人情味のある言い方をすると
「もうなくなっちゃったけど、もともと川があったところ」
別な見方をすると
「人の都合で本来の姿でなくなった川」

私の偏りのある見方は悪影響があるかも知れませんので、暗渠の入門者に優しく説明してくれている記事を紹介しておきます。自称・中級暗渠ハンターの方の記事です。
『水のない水辺から』↓
http://mizbering.jp/archives/10477

で、志村三丁目の話に戻します。

中世の城と川は密接な関係。志村城と出井川もそうです。

<出井川>
2shimu9river1.jpg
現在の出井川です。「これ道だろ?」と言われたら「まぁそうとも言います」としか答えられません。

中世の城と川。城は何とか「城のなごり」を留めていましたが、川はちょっと厳しい状況ですね。

暗渠も川なんだよ

自然にそう思える人には、この悲惨な状況もまんざら悪くないと思えるのではないでしょうか?人の手で蓋がされた川ですが、この緩やかなカーブ。これは「川のなごり」です。そして地下には水が流れています。そう、ちょっとだけ見方を変えれば、これは今も川なんです。

<痕跡>
2shimu9river2.jpg
志村三丁目駅の近くの駐輪場。ここも暗渠です。で、せっかくですので良く見て頂けますでしょうか。

これは川の「護岸」の跡ですね。川は地下に移されましたが、痕跡が地表に残っています。

だから?

はい。そう言われたら終わってしまうお話でした。はい。

ただ、こういう川の痕跡に気付くことは、草が生い茂る雑木林で城の痕跡に気付くことと似ている気がします。取り残さされた護岸跡、見向きもされない土塁跡。どうしても情緒的に重なってしまいます。

城跡好きになり、最近はやや暗渠マニアにもなりつつある私にとって、ここ志村三丁目はその両方が楽しめる街。行きたい場所が定まらないと、ふらっと訪問してしまう街の一つです。「赤羽」の次ぐらいの頻度ですかね、、、

こんな拙いブログでどこまで伝わるのか分りませんが、現地で似たような満足感を得られる方が増えてくれると嬉しいです。城跡も暗渠も、入場料はありません。気軽な訪問をお勧めします。

以上です。次回からまた城跡訪問記を。豊島一族の城跡(滝野川城)へつづきます


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2017年02月25日

暗渠と城跡3 烏山城のなごり

都内にもあるつわものどもが夢の跡。今回は烏山の城跡の比定地です。

烏山城といえば、栃木県北部にある那須氏の居城が有名ですね。行ってみたいですがそれはそれとして、今回の訪問は世田谷区。最寄駅でいうと千歳烏山駅になります。

■千歳烏山■
若い頃に慣れ親しんだ京王線。チトカラなんて呼んでましたが、今でもそんな言い方するのでしょうか?懐かしい駅の改札を、久しぶりに通過しました。

お目当ての城跡には諸説ありますが、私は世田谷城の支城的な役割だったという説を前提に、ならば行ってみようと気になりました。世田谷城といえば名族・吉良氏。この付近も勢力の範囲だったのでしょうか・・・

<烏山神社>
烏山
静寂に包まれた境内。いい雰囲気です。そのむかし、烏山村の鎮守だったとか。古い歴史の神社です。

さて、城のなごりは・・・
残念ながら堀や土塁の類は見当たりません。

そもそも地形が平坦で、要害の地とは言い難い。

ただ、『烏山川沿いの低湿地に面した微高地に築かれた城』とされています。ならば、あとはその僅かな地の利を感じるだけですね。

ということで、神社を後にして周辺をうろうろと。その結果として、多少の微高地であることは肌で感じることができました。ただあまりにも開発されていて「城のなごり」を楽しむというレベルには達しませんね。まぁここは東京都世田谷区ですから・・・仕方ありませんね。

■暗渠と城跡■
<川のなごり>
烏山
近くで川跡を確認できたことだけは収穫。ここで暗渠を知っていることが役立ちます。

暗渠(あんきょ)、つまり地下に埋設された川。これに気付くアンテナがあると、都市化の波に飲みこまれた城巡りが一味違ってきます。かつての城跡付近で、かつての天然の川を想像してみる。感じてみると言った方が適切ですかね。

烏山の城跡訪問は、今も残る多少の高低差を実感し、かつての川を暗渠で知った。そんな結果となりました。

[世田谷区南烏山]


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2017年02月24日

暗渠と城跡2 世田谷城のなごり

暗渠と城跡

都内にもあるつわものどもが夢の跡。暗渠をからめた楽しみ方、二つ目の例として世田谷城跡烏山川緑道をご紹介します。

■世田谷城■
<世田谷城跡>
BL setagaya1.jpg
城址公園として整備されています

<遺構>
BL setagaya6.jpg

BL setagaya5.jpg

<現地説明板>
BL setagaya2.jpg
空堀あり、土塁あり、、、ですね。23区内としてはとても貴重な遺構です。城跡好きとしては有難いですね。ただ、ここはもともとの世田谷城のほんの一部に過ぎません。

<豪徳寺>
gotoku (2).jpg
立派ですね。実はここが世田谷城の本丸(主郭)跡です。
gotoku (6).jpg
井伊家の菩提寺です
gotoku (4).jpg

豪徳寺を含め、この辺り一帯が全て城跡ということになります。まぁ城のなごりを一番留めているのは冒頭の世田谷城址公園ということになりますが、例えば豪徳寺の参道付近でも、土塁の痕跡を見ることもできます。

<土塁>
gotoku (8).jpg
参道わきの壁の向こう側になります。一部ですが残っています。

この街の中の城跡、吉良氏による築城とされています。吉良氏といえば足利一門の名門。その居城でした。ただ、と言うかだからなのか、吉良氏はあまりガツガツ感が無く、勢力は徐々に低迷していきます。そして戦国時代末期には小田原の北条氏の配下となっていましたが、秀吉による小田原城征伐の際には特に抗うこともなく、領地は没収されてしまいます。世田谷城はこの時に廃城となりました。

ただ、そのまま没落しないところはさすが名門です。徳川の時代になると、吉良氏は高家として扱われ、旗本になっています。幕府の儀典関連を取りまとめる家となり、やがてその名は上野介が赤穂浪士に討たれることにより、後世の誰もが知る家名となりました。あの、知られ方はともかくもともと名門です。(ちょっとだけフォロー)。

話を世田谷城にもどします。

分類すると山城ということになりますが、現地ではあまり「山」を実感できません。ただまぁ城山通りという名の道もあるし、台地の先端部に立地していることは間違いないようです。

<現地の地図>
BL setagaya3.jpg
北側以外の三方に川(緑の線がそうです)があることが分ります。人の手による堀や土塁以外に、この川も天然堀の役割を果たしていたのでしょう。又は、運搬の手段だったかも知れません。

<現在の烏山川>
BL setagaya10river (2).jpg
天然堀だったかつての川は、地下に埋設されています。いわゆる暗渠(あんきょ)ですね。道になっても、この蛇行が川のなごりを留めています。そして城下橋の文字。この付近、暗渠になる前は橋があったのですね。これも川のなごり。無言の暗渠がいろいろと教えてくれています

微高地に位置し、三方は川だった。
これが世田谷城の地の利ということになりますね。

<烏山川緑道>
BL setagaya10river (3).jpg
とりあえず行ってみる。結果として歩く。これが目標なので、かつては川だった道を散歩してから帰りました。城巡りのあとは暗渠散歩です。

--------■世田谷城■--------
築城年:不明
築城者:吉良氏
城 主:吉良氏
廃城年:1590年
現 状 :豪徳寺・世田谷城址公園
[東京都世田谷区豪徳寺]

【補足】
電車の場合は世田谷線が良いですね。城跡は宮の坂駅 から徒歩5分程度。烏山川緑道を含め、豪徳寺・世田谷城址公園をゆっくりと回る「街歩き」をお勧めします。


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-------追 記-------

■世田谷の川■
城跡の話は終わりにして、ここからはちょっと川の話を。現地で撮影した解説図のアップです。

<世田谷の緑道と河川>
BL setagaya10river (1).jpg
世田谷にもいろんな川があったのですね。全てを訪ねたことはないので分りませんが、烏山川同様、きっと暗渠化が進んでいるのでしょう。呑川(のみかわ)なんていう名もありますね。何となくいい名前です(かなり個人的に)。あ、烏山川と東の方で合流するようです。他に奥沢城付近の九品仏川(くほんぶつがわ)。地表から姿を消しても、きっとそれぞれの川が何かしらのなごりを残しているのだと思います。
そして蛇崩川(じゃくずれがわ)。ここはわざわざ見に行ったことがあります。

<蛇崩川の暗渠の出口>
BL jakuzure.jpg
蛇崩川は世田谷区と目黒区を流れる川なんですが、全域が暗渠化されています。陽の当たる場所といったら、目黒川(手前)と合流する寸前のこの僅かな区間のみ。ありのままの姿からは程遠く、何やら不憫に思うのは私だけでしょうか。ただこちらの思惑とは関係なく、水はたんたんと流れ続けています。

やや長くなりましたが、お読み頂きありがとうございます。
タグ:暗渠と城跡
posted by Isuke at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡

2017年02月23日

暗渠と城跡1 奥沢城のなごり

■ 街の中の城巡り ■
城跡巡りですが、いつもいつも遠くまで行ける訳ではありません。普通の会社員です。それなりに忙しく、お小遣いにも上限が…

そこで通勤定期を使って、土日に都内の城跡を訪ね歩いたりしています。「街の中の城跡巡り」です。結構歩くことになります。ただ、お医者様からもう少し歩けと言われているので一石二鳥。家でゴロゴロするくらいなら、とりあえず行ってみる。ジム通いもウォーキングも長続きしませんでしたが、これはたくさん歩いても苦になりません。

■ 世田谷区の城跡 ■
都内にもある「つわものどもが夢の跡」。例として、奥沢の城跡を訪ねた時のことを。遺構が豊富に残っている郊外の城跡とは異なり、ちょっとしたコツが要ります。城跡と併せて、今回はその「コツ」のご紹介です。

<奥沢城跡>おくさわじょう
okusawa (1).jpg
土塁跡と推定されているところに石碑があります。ここは東京都世田谷区。いわゆる高級住宅街です。

<九品仏浄真寺>くほんぶつじょうしんじ
okusawa (2).jpg
okusawa (3).jpg
城跡は現在お寺です。立派ですね。

23区内とは思えない静かな空間。ここ奥沢城は世田谷城を本拠としていた吉良氏により築かれました。いわば世田谷城の支城ですね。吉良氏の家臣の大平氏が守る城でした。

吉良氏ってあの吉良? はい
住宅地で土塁あり?  そうです
鷺草伝説の城?    はい  

鷺草伝説、城主の姫様にまつわる悲しくもいい話ですが、長くなるのでまたいつか。


■ 暗渠と城跡 ■
さて今回のテーマは、市街地化されたエリアの城跡をいかに楽しむか。あくまで私流の楽しみ方ですが、ヒントになれば嬉しいです。

まず訪問前に、おおまかで良いので城の立地を調べておきます。歴史は後からでも良いので、とりあえず地形。どんな「地の利」があったということですね。

奥沢城に関して、事前に知っておきたいポイントは

城は突き出た台地の上にあり、三方を川や湿地に守られていた

これだけ。もうこれだけで充分です。

突き出た台地・三方が川。郊外の城跡なら、それを実感できますが、奥沢は宅地化され、もうその面影はありません。城跡好きの人は、周辺の環境も含めて楽しむもの。湿地どころか川すら見当たらりません。

それでは中世の城を楽しむ要素が乏しいなぁ……

はい。そうです。ただ、まったく無い訳ではない。湿地は難しいですが「川を感じる」ことはできます。ちょっとした気付きと、強引な想像力が必要になりますが…

はい、これがです!!
kuhonbutsu5.jpg
九品仏川。別名は丑川といいます。ありましたね!

これ道だろ!!

そうとも言います。

ただ、この姿は川のなごりです。遊歩道として街に溶け込んでいますが、戦国時代以前から続く川の流れです。川は無くなったのではなく、地下に埋設されて地表から消えただけ。ここを上流に遡って行けば、奥沢城跡に辿りつきます。昔の人が、舟で川を遡ったのと同じように。

こういう川の状態を暗渠(あんきょ)と言います。

この暗渠に気付くアンテナがあると、街の中の城跡巡りが一層楽しくなります天然の堀だった川のなごりを感じることは、城のなごりを感じるのと同じ。私はそう思っています。

今回の現地訪問では、まず城跡が周囲より高台になっていることを実感し、暗渠の径路を追うことで城の東側から北側が川だったことも実感できました。知識は後からでも補えますが、この「実感」は現地ならではの楽しみと言えます。

おわり

ちょっと、無理がありますかね?
ただ、私は本当にそうやって楽しんでいます。

奥沢城跡は東急大井町線の九品仏駅を降りたらすぐです。駅からまっすぐ現地へ向かっても、高低差を実感することはありません。なぜなら、駅も城跡も同じ台地の上にあるからです。

それより、城跡周辺を歩き回ってみる。そうすると、低いながら舌状台地になっていることを実感できます。そして暗渠、つまり川ですね。水が集まるということは、周辺でもっとも低い位置という証。このあたりをヒントに、歩き回ることをお勧めします。焦らず、ただのんびりと。

--------■ 奥沢城 ■--------
築城年:不明
築城者:吉良頼康
城 主:大平氏(吉良氏家臣)
廃城年:1590年
現 状 :九品仏浄真寺
[東京都世田谷区奥沢]


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-----再訪問の画像を追加-----
本文にあった暗渠を上流に遡ったら何が待っているのか?別な日に訪問した時の画像を追加します。
<住宅地>
Ankyo&Shiro 1.JPG
九品仏川の暗渠は続いています。右手の方が高くなっていること、伝わりますでしょうか。まぁもうちょっと進んだ方がはっきりします。

<橋の跡>
Ankyo&Shiro 2.JPG
この画像だと、車止めがある歩道が暗渠です。どうやらここにはかつて橋があったようです。橋の名は「しろむかいばし」。城の向かいにある橋といった意味でしょうか。橋も川も、もう姿は見えません。そして城も失われました。それでも残る「城向橋」の文字。こういうの好きですね。

<微高地>
Ankyo&Shiro 3.JPG
右手は奥沢城が築かれた微高地。その北側の先端部分になります。そして手前の木製の道。これもただの道ではなくて暗渠、つまり川ですね。勿論、昔からこんな川幅で行儀よく流れていたわけではありません。もっと蛇行したり、周辺に適当に水を溢れさせながら、一番低い所を流れていたのでしょう。場所によっては、池や沼もあったかもしれません。地図でみると、九品仏川はこの付近から始まっているようです。

<公園>
Ankyo&Shiro 5.JPG
Ankyo&Shiro 4.JPG
かつてはこの付近から水が湧いていたのでしょうか?

<川のゆくえ>
Ankyo&Shiro 6.JPG
更に上流を目指しましたが、この先の車止めで暗渠を見失いました。ただ、暗渠を調べたことで、九品仏川が舌状台地をかすめるように流れていたことは分りました。川の源流までは特定できず。まぁそんな結論ですかね。

<奥沢城の土塁>
Ankyo&Shiro 8.JPG
暗渠ばかり強調しましたが、こちらは城跡の土塁跡です。台地上の城を取り囲むように土塁を設けたようです。

以上、追記でした。

再訪については別途投稿していますので、もし良かった覗いてみて下さい。
→『奥沢の城跡
タグ:暗渠と城跡
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