アフィリエイト広告を利用しています

2018年01月04日

暗渠と城跡14 岩槻城総構の暗渠

つわものどもが夢の跡
年始の休みを利用して、城のなごりを求めて岩槻を訪問しました。

<城のなごり>
shirononagori182iwatsuki (1).JPG
[さいたま市岩槻区]

これ道路だろ!

はい。そうとも言います。しかしただの道路ではありません。ここはかつての堀の跡。名城「岩槻城」のなごりです。

城跡は岩槻城址公園じゃないの?

はい。ここは本丸などいわゆる城の中枢があった城址公園からは離れた場所。岩槻城総構えのなごりなんです。

ソウガマエ・・・?

ということで、以下はいつも通りの説明です。

■総構え■そうがまえ
簡単に言えば、城そのものだけでなく、城下町全体を堀や土塁、石垣で囲む構造のことを言います。総曲輪(そうぐるわ)とも言います。小田原北条氏による小田原城総構えが有名ですね。約9kmにも及ぶ堀で囲んでいたそうです。秀吉に従って小田原征伐に参陣していた徳川家康も、後の江戸の町造りの参考としたそうです。

■岩槻城の総構え■
埼玉県が誇る名城・岩槻城(わたくし埼玉県民です)。やはり総構えでした。小田原城ほど世間に知られていませんが、堀や土塁で囲んだ長さはほぼ同じスケールです(約8km)。凄いことです。岩槻城そのものの歴史は長いですが、総構えにしたのは戦国末期。北条氏房(太田氏房=小田原北条氏3代当主・氏政の子で、太田氏の家督を継ぎました)によって構築されました。ちょうど秀吉と小田原北条氏の関係が悪化していた時期ですね。

都市開発によってその遺構はほぼ消えてなくなりましたが、街を探索すると、そのなごりは残されています。

<土塁>
shirononagori182iwatsuki (10).JPG
愛宕神社の土塁です。

<愛宕神社>
shirononagori182iwatsuki (11).JPG
簡単に言うと「土塁の上に神社」がある。神社がある故に、土塁は壊せなかった。まぁそういうことですね。

<土塁の高さ>
shirononagori182iwatsuki (13).JPG
ちょっと失礼して上から撮影(ちゃんと手を合わせました。正月ですし)。階段があるからいいですが、結構な高さです。


<土塁の別角度>
shirononagori182iwatsuki (9).JPG
神社の裏手です。土塁が削られ、断面はコンクリで補強されています(この土塁の上が先ほどの愛宕神社)。手前は岩槻駅前方面へ通じる交通量の多い道路。これも堀の跡です。

■大構え■おおがまえ
<愛宕神社の説明板>
shirononagori182iwatsuki (12).JPG
ふむふむ。ここでは大構えという言葉を使っていますね。意味は総構えと同じです。丁寧な説明で助かります。細かいことを言うと『え』は不要で大構、これで『おおがまえ』と読みます。

さて、この日は城址公園よりその外側を念入りに探索

<堀跡>
shirononagori182iwatsuki (1b).JPG
ここも

<大構の小径>
shirononagori182iwatsuki (5).JPG
おお・・・
大構の小径。ここでグッとくる名前が登場しました!何となく佳境に入ってまいりましたが、陽が傾いてきたので残り時間もわずか。まぁ地元埼玉ですから遅くなっても平気ですが、暗くなってから狭い路地をよそものがウロウロすると怪しまれますし、迷惑ですよね。

<ウロウロ>
shirononagori182iwatsuki (4).JPG
ちょっと速足で

■大構の暗渠■
<堀跡に水路>
shirononagori182iwatsuki (6).JPG
さんざん歩いてたどり着いた小径。岩槻中学の裏手になります。ここは堀跡が水路となっていたのでしょう。そして今では暗渠(あんきょ)です。存在意義が薄れた橋の存在がまたなんとも愛おしい (ちょっと暗渠マニアなのでここはご容赦下さい)

<暗渠と城跡>
shirononagori182iwatsuki (7).JPG
水の姿すら消えてしまいました。しかしこれは水堀のなごり。左手は畑にしか見えませんが、かつて土が盛ってあった場所。土塁のなごりです。いまでもちょっとだけ、本当にちょっとですが高くなっていますね。

ということで、けっこう満足してこの日の探索を終了しました。


<時の鐘>
shirononagori182iwatsuki (3).JPG
[岩槻区本町]6-229
まだ陽が落ちてないので、こんなところも立ち寄りました。その名の通り、領民に時刻を知らせるためのもの。県内だと川越の「時の鐘」が有名ですがここにも。なんと歴史はこちらの方が古いそうですよ。

<芳林寺>
shirononagori 184 (7).JPG
[岩槻区本町] 1-7-10
比較的駅に近い(徒歩約5分)太田道灌ゆかりの寺です。岩槻城の築城者は道灌ですが、今回のテーマの「総構え」はもっとあとの時代の話なので、こちらはまた別途投稿させて頂きます。

<駅近く>
shirononagori182iwatsuki (8).JPG
埼玉では有名な十万石まんじゅう。といっても拠点は行田市。10万石は岩槻藩ではなくて忍(おし)藩の石高ですね。

<岩槻駅>
shirononagori182iwatsuki (2).JPG
そして駅へ到着。総構えの外周全てというわけにはいきませんでしたが、最低5qは歩いたと思うので、いい運動にもなりました。


--------(補足)--------

岩槻城跡そのものの訪問記はコチラになります。桜が咲く頃に訪問しました。

<城址公園内>
IWATSUKI2017 (13).JPG
こんな感じの画像とともに記事を書かせて頂きましたので、良かったら覗いて見て下さい。→『記事へ進む』


お城巡りランキング
タグ:暗渠と城跡
posted by Isuke at 22:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡

2017年12月13日

暗渠と城跡13 栃木城跡の濠暗渠

栃木市の城跡を訪問しました。

<栃木城跡>
shirononagor&ankyo13tochigijo  (0).JPG
[栃木県栃木市城内町]

さて、のんびりと「城のなごり」を楽しもうとした瞬間、自分の足元を見て動きが止まりました。

<濠が途切れるところ>
shirononagor&ankyo13tochigijo  (3).JPG
道路の舗装とは一線を画すこのコンクリ。もしや・・・

<暗渠の入り口>
shirononagor&ankyo13tochigijo  (1).JPG
ああ・・・やっぱり

暗渠(あんきょ)。地下に埋設された川や水路のことですね。城の濠跡がそのまま水路として活用される例は多々ありますが、もしやその流れ?更に暗渠となった?う〜ん・・・

北関東の名族・皆川氏の城跡を探索に来ましたが、これが気になってしまうと集中できません。私も既にちょっとした暗渠マニア。やたら綺麗な濠の水。どこへ向かうのでしょう。

来た道を振り返り、水の行方を想像してみました。イメージはあるものの、確証はありません。ちょっと保留にして、後からネット検索しようかと思いましたが、答えは目の前の城跡の説明板にありました。

<城跡の説明板>
shirononagor&ankyo13tochigijo  (6).JPG
栃木城・皆川氏に関する説明がなされています。その右側の航空写真。これは親切ですね、分りやすい。黄色の線が遺構跡。つまり、かつての城の範囲ですね。これと併せて水色の線で「水路」が記されています。

<拡大>
shirononagor&ankyo13tochigijo  (7).JPG
ちょっと画像が悪くなりますが、城跡周辺を拡大して、更に筆を入れさせてもらいました。青丸が先ほどの「暗渠の入り口」。緑のマークも加筆。位置関係、伝わりますでしょうか?

<城内より>
shirononagor&ankyo13tochigijo  (2).JPG
水掘りが印の位置で途切れ、そこから先が暗渠。つまり、姿は消えても、水の流れは続きます。

<道>
shirononagor&ankyo13tochigijo  (5).JPG
水面はありませんが
shirononagor&ankyo13tochigijo  (4).JPG
こんな感じで今も水が流れています。人の暮らしに欠かせない水。水路のなごりですね。

まぁだから何?と言われてしまえばそれまでの話です。はい。ただ「そこに本来あったもの」を想像する。これは廃城となった城跡の楽しみ方と、どこか似ている気がします。

こんな内容を最後まで読んで頂き、ありがとうございます。何となく、ちょっとでも、共感してもらえたら嬉しいです。

(栃木城訪問記へ続きます)

---↓参加中---応援お願いします!

お城巡りランキング

タグ:暗渠と城跡
posted by Isuke at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡

2017年11月21日

暗渠と城跡12 暗渠イベントに出陣!

〈暗渠と車止め〉
shirononagori suginsmi (5).JPG
杉並区で撮影した独特の車止め。「車は進入禁止」というメッセージですね。しかし見る人によっては「ここに暗渠がありますよ」というサインとなります。

■暗渠イベント■
先日(11月18日)、杉並区西荻窪で開催されたイベント「西荻暗渠サロン」に参加させて頂きました。ちょっとだけ、本当にちょっとだけ時間を頂き、暗渠と城跡の楽しみ方についてお話させてもらいました。

<会場>
nishiogiankyo (2).JPG
場所は西荻窪の商店街「西荻マイロード」内。駅からすぐ近くです。

<会場外より撮影>
nishiogiankyo (1).JPG
中は熱気ムンムンでした。


■暗渠と城跡■そもそも
当ブログでは、過去何度かにわたり「暗渠と城跡」というテーマで記事を書かせてもらっています。訪ねる城はその都度異なりますが、結局いつも同じことを言ってます。

暗渠(あんきょ)とは
⇒地下に埋設された川や水路

暗渠と城跡
⇒暗渠に気付くアンテナがあると、街の中の城跡巡りが一層楽しくなる。天然の堀だった川のなごりを感じることは、城のなごりを感じるのと同じ。

ある意味ワンパターン。ただ、本当に「ちょっとした気付き」だけで、見えている世界が違うように映ります。

<山城さんぽ>
yamashirosanpo201709 (2).JPG
幸運にも1ページ頂けた雑誌「山城さんぽ」。この時も文字数制限があるなか、無理やりこのことに言及させて頂きました(そこはボツかと思いきや、そのまま掲載してくれました。編集者に感謝してます)。

こんなブログをのぞいてくれる皆さん、雑誌を手にしてくださった皆さん。つまり城跡にその「なごり」を感じられる皆さんにこそ、暗渠を知って欲しい・・・。そんな思いです。


■暗渠マニアが集うイベント■
城跡好きにこそ「暗渠」を知って欲しい。今回のイベント参戦はその逆です。暗渠を知っている人たちに「城跡」を知って欲しい。お誘いを受けた時点では、正直不安もありました。人前で話すなんて機会、普段はありませんので。ただまぁ特に失うものもない。覚悟して出陣しました。

参加してビックリしたのは、暗渠は常識であって説明が不要なこと。イベントの話し手さんは当然として、聞き手の皆様もです。自分も「暗渠初級」くらいのレベルには達しているだろうと思っていましたが、まだまだ。イベント会場内は一般の人から見たらきっと異次元空間。

この人たちはなんだ〜

という感じでしょう。

好きですけどね。そういうの。

■西荻暗渠サロン■
イベントの主催者は、既に暗渠の本を複数出版しているお二人。形としては期間限定の「西荻案内所」の「日替り案内人」という立場のようです。

集いしは暗渠好き、暗渠マニア。つまり暗渠界の「つわものども」です。ここに中途半端な暗渠好きが、低いレベルながらせめて矛盾が無いように理論武装し、「城跡マニア」の旗を掲げて突入しました。

【勝算】
暗渠界の皆さんは地形に敏感。高低差にも敏感。川には超敏感。

【敗色】
緊張して話せない・・・

皆さんが地形に敏感なことは追い風になります。そこに城の情報を添えるだけで、ご本人達の頭の中で化学反応が起きますから。問題の「緊張して話せない」という心配は、始まってすぐに払しょくされました。これはもう聞き手の皆さんの素晴らしさとしか言いようがありません。聞いているのではなく、参加している。そんな雰囲気でした。やや異分子として乗り込んだつもりが、気づけば味方ばかり。これでは緊張するはずがありませんよね。

■内容■
さて、内容ですが
このブログで既に記事にしているものを、更にポイントだけに絞って説明させて頂きました。

まず「城」のイメージを狭い範囲に絞りこみ。どうしても天守閣とか石垣を連想しますよね。それはそれで魅力の世界ですが、テーマである「暗渠」の話へ繋げるのに時間がかかってしまいます。城のなかでも「中世の土の城」を紹介。まぁ城好きの中でも、ややマニアックな人たちに好まれるカテゴリですね。ただ暗渠好きの皆さんは既に地形の凸凹に敏感。知ってしまえば、逆に馴染みやすいような気がします。

もともとの地形を活かす

いろいろ言ったらきりがありませんので、築城についてはここをセールスポイントとさせて頂きました。もちろん、周辺の地形を含みます。もともとの地形を活かした上で具体的な縄張りを決め、地の利を得る。説明はそんな感じですかね。

〈事例:世田谷城跡〉
shirononagori&ankyo14.jpg
悩みましたが、世田谷城を題材にしました。「暗渠と城跡」の関係、これが一番図解しやすいので・・・。
※題材とした当ブログ記事↓
暗渠と城跡2(世田谷城)

<図解>
shirononagori&ankyo16.jpg
世田谷城址公園より、もう少し高い位置がかつての本丸。現在の姿は豪徳寺。そして低い位置がかつての川。現在の緑道です。川の姿はありませんが、暗渠として存在している。高低差に加えて、三方が天然堀である川となっていることを説明。城跡巡りの視点として、とにかく『地の利』を強調させてもらいました。地形の凸凹にも川にも詳しい皆さん、納得されていたようです。私の説明が上手いのではなく、みなさんが暗渠を通して「実感する」という経験を積まれているからですね。

〈まとめ〉
shirononagori&ankyo19.jpg
暗渠に気づくことは、城跡の一部に気づくことと同じ。言い換えると、暗渠を感じることは、「城のなごり」を感じるのと同じ。まぁこんな結論で締めさせて頂きました。

気が付けば制限時間を大幅にオーバー。主催者にご迷惑をお掛けしたはずですが、笑って許してくれました。関係者、そして聞き手として参加されていた皆様にただただ感謝しております。

■つわものどもが夢の跡■
BL20setagaya10river2028229.jpg
暗渠好きの方の城跡を見る目が、少しでも変わってくれたら嬉しいです。繰り返しになりますが、漠然と城跡を眺める人と比べると、暗渠好きの方は既に地形に敏感。そして暗渠で鍛えた「とんでもない想像力」をお持ちです。ちょっとした気づきだけで、城の「地の利」もぞんぶんに味わってもらえるような気がします。そして思いを馳せて欲しいですね・・・

どんなつもりだったのか・・・

城跡はそんな思惑がなごりとして残る場所なのです。


---ランキング参加中です!---

お城巡りランキング


■お勧め本■
静かなブームになりつつある『暗渠』に関する本のご紹介です。当ブログでは下記をお勧め致します。

はじめての暗渠散歩(ちくま文庫)
:本田創/山英男/吉村生/三土たつお

※広告掲載期限切れのため書名のみ

posted by Isuke at 21:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡

2017年09月15日

暗渠と城跡11 川口川と土浦城

土浦城跡探索の帰り
水郷に相応しい城下町のなごりを探索しました。ただの散歩ですが、こだわるところはこだわって。

■川の無い橋■
まず城付近でこんな橋を発見
<お志ろはし>
SN ankyo&shiroato TSU (1).JPG
お城の水堀と繋がっている水路があった。そう思われます。橋だけが残り、水路の姿はありません。いわゆる暗渠(あんきょ)です。ここ土浦は、こういう痕跡がところどころに残されています。

<道路のひび割れ>
SN ankyo&shiroato TSU (2).JPG
歩道だけでなく、車道も同じ方向に向かってひびが入ってますね。道の下の構造が、他の場所とは異なる証拠です。橋との位置関係からして、ひび割れは水の流れる方向と一致。姿は見えませんが、水の通り道が地下に確保されているのが分ります。

■水郷の城下町■
<水堀>
SN Tsuchiurajo (16).JPG
歴史の古い土浦城ですが、城下町の本格的な基盤造りは江戸時代初期です。この地は複数の川の水が霞ヶ浦へ流れ出る低地。水は人の暮らしを豊かにしてくれますが、厄介な存在でもありますね。何の工夫も施さなければ、ただただ水の気紛れに翻弄されてしまいます。ここ土浦では、近世に相応しい城の整備と並行して、水郷に相応しい城下町の整備が地道に行われてきました。そのなごり、現在の街並にも見ることができます。

■川のなごり■
<モール505>
SN ankyo&shiroato TSU (3).JPG
[茨城県土浦市川口] 1丁目
川口ショッピングセンター。細長く巨大な商店街です。長さはなんと505m。

<立体商店街>
SN ankyo&shiroato TSU (4).JPG
初めて見ました。たいへん珍しい構造です。シャッターが閉まっている店がやや多く感じられますが、完成した時はきっと凄い賑わいだったことでしょうね。高校時代とか、通学途中にこんな施設があったら入りびたりそうです。

このユニークなエリア、もともとは川でした。開発の都合で埋め立てられましたが、ゆるやかなカーブがそのなごりを留めています。高架は土浦ニューウェイ。1985年のつくば科学万博に合わせて造られたものです。

また、城跡からこの付近ここまで続いていた道、「亀城通り」といいますが、これも古くは川でした。同じく、開発の都合で埋め立てられました。

■川口川■
姿を消した川の名は川口川。この川は、かつて霞ヶ浦と城下町をつなぐ運路の役割を果たしていました。土浦城の堀とも繋がっていたそうです。水郷の城下町土浦は、この川口川沿いに栄えました。武士の家々や蔵が建ち並び、人の暮らしの中心であったようです。

水の力は凄いですね。いや、大雨ともなれば、たびたび水害にあっていたようですから、水との付き合い方を考えていった人の力、これが凄いですね。

その川口川、今は見ることができません。埋め立てられる背景には、人の暮らしや物流の変化がありました。貢献できなくなると、不便さの方が際立った。そういうことですね。


■暗渠■あんきょ
暗渠について、当ブログでは「地下に埋設された川や水路」と説明しています。冒頭のお志ろはしは、明らかに暗渠に架かる橋ですね。水は人知れず道の下を流れています。

さて、かつてあった川口川ですが、これは何とよんだらいいのやら。川が地下を流れているわけではなく、そのものが埋められてしまっています。構造的に暗渠とは異なりますね。川跡?と呼べば良いのですかね。ちょっと普通すぎますが。

異なるものなのに、私が川口川の川跡に、暗渠と似た感覚を持ってしまうのはどういうことでしょうか。

本来の姿が失われ、忘れ去られる

このあたりが、情緒的に暗渠と重なるのでしょう。埋もれた城跡に心ひかれるのも、同じ理由なのかもしれません。それがどうして心の琴線に触れるのか、自分でも良くわかりません。

■その他の訪問■
<日本のベネチア>
SN ankyo&shiroato TSU (5).JPG
暗渠マニアで治水に詳しい友人Tがそう言ってました。なるほど〜と納得。といっても、ベネチアというところに行ったことはありませんが・・・。彼が言いたかったのは、水と格闘してきた街ということなんでしょう。

<霞ヶ浦>
SN ankyo&shiroato TSU (7).JPG
いまさらですが、琵琶湖に次いで日本2位の湖。

<水天宮>
SN kasumigaura (42).JPG
日本三大水天宮のひとつです。他は東京と久留米。久留米藩の姫さまが、土浦藩(土屋家)へ嫁入りした際、土浦の地に分霊されたことが始まりとのこと。水の街を湖畔から見守ってくれています。

<揚水ポンプ>
SN ankyo&shiroato TSU (6).JPG
川口川の河口部分で実際に使われていた揚水ポンプ。街なかに展示されていました。昭和51(1976)年に川口川が埋め立てられ、霞ヶ浦の逆流に立ち向かっていた閘門が役割を終えると、この揚水ポンプも不要になりました。

■散策終了■
くりかえしになりますが、繁栄する城下町の中心だった川口川は、都市開発により姿を消しました。しかしその余韻、街歩きで多少は感じることができました。川だった道、川だったショッピングセンター。その延長には霞ヶ浦があります。水の流れが途絶えても、ちょっとした気づきで感じることはできます。

水郷の街
いろいろ勉強になりました。


お城巡りランキング
タグ:暗渠と城跡
posted by Isuke at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡

2017年09月06日

暗渠と城跡10 入間川と深大寺城

(深大寺城訪問の追記です)

<深大寺城の曲輪>くるわ
shirononagori jindaijijo (3).jpg

■深大寺城探索■ 珍しく事前調査しました
今回の深大寺城訪問は、事前に地形を調べ、それらを現地で体感するという理想的な城跡巡りとなりました。

<深大寺城入口>投稿済
shirononagori jindaijijo (B) (1).jpg
記事→城周辺はこちら

<城内>投稿済
shirononagori jindaijijo (2).jpg
記事→城内はこちら

ここまで予習するのはレアケース。普段は「とりあえず行ってみる」というパターンが多いです。偶然テレビで「国分寺崖線」という言葉に耳にし、オタク根性に火がついてしまって、結果として念入りに予習することになりました。その予習の総仕上げとして、深大寺城からの帰り道、京王線つつじヶ丘駅(調布市)へ向かいました。

■目的地到着■

<川のない橋>
irimagawa ankyo (3).jpg
[調布市東つつじヶ丘]1丁目
ちょっと凄い光景です。手すりの向うは壁。この橋ができた時には、意味があったのでしょう。

<入間橋>全体
irimagawa ankyo (2).jpg
こんな姿ですが、これは川に架かる橋です。ただし、コンクリより先に川の姿はありません。

<橋の反対側>上の画像の右手
irimagawa ankyo (4).jpg
こっち側は水面が見えていますね。コンクリで固められ、まるで水路のようですが、これは川。大昔から流れている川の現在の姿です。

川の名は入間川(いりまがわ)。
深大寺城探索で見た野川の支流です。調布市入間町と狛江市東野川の境界で、野川に合流します。やや有名な埼玉の入間川(いるまがわ:荒川水系)とはまったく別の川。こちらは多摩川水系です。

地図上ではここから急に川が始まりますが、まさか水が湧き出ているわけないですよね。これより上流はいわゆる「暗渠」です。毎回のように同じ説明で恐縮ですが、これは「あんきょ」と読みます。地下に埋設された川という意味に受け取って下さい。つまりこの入間橋より上流側にも、水の流れはあります。ただ一部を除いて土の中。北上して東深大寺町方面へと続きますが、人の目に触れず、意識されることもありません。まぁ「暗渠」に敏感な人には、緑道が川だと気付いてもらえますが・・・。

この暗渠の行方を調査するのもそれはそれで面白そうですが、まぁ城ブログなので、そこはもっと大まかに。この川の上流部、地形的に台地と台地に挟まれた谷になっています。入間川はもともと自然の川。厳密な流路はともかく、その谷が入間川の源流地帯です


■何を確認したか■
深大寺城は、まず西から南にかけては野川が流れ、やや離れた東には入間川がながれていた。ということですね。江戸時代の治水により、野川・入間川ともに流路の変更があったようですが、それはもう少し下流のお話。深大寺城付近に関しては、崖線と現在も残る川及び暗渠から、城が築かれた頃の状況を推測して間違いないと思われます。

<野川>
jindaiji nogawa (2).jpg

<入間川>
irimagawa ankyo (1).jpg


■結論■
崖線に位置する深大寺城は、三方を低湿地に守られ、天然堀として南には野川が流れる山城。それだけでも天然の要害と言えますが、更に東側には「入間川が台地を削ったと思われる谷もあった!」ということです。

それだけ。たったそれだけを確認するためにつつじヶ丘へ行ってまいりました。

(おわり)

マニアックで恐縮です。だから何?と言われたら終わってしまう内容ですね。最後までお読み頂いた方、本当にありがとうございます。


お城巡りランキング
タグ:暗渠と城跡
posted by Isuke at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡

2017年08月06日

暗渠と城跡9 佐倉川と佐倉城

(佐倉城訪問の追記です)

<佐倉城跡>
sakurajo (19).jpg
低湿地の台地に築かれた城跡

■複雑な地形■ 事前調査
佐倉城訪問の事前情報。地図で見る限り、城跡は京成佐倉駅とJR佐倉駅、どちらから行っても似たような距離なので(実際は京成の方がやや近い)、行きは京成、帰りはJRとしました。真夏ですが、歩き。大きな城なので、城址公園の外に点在する城のなごりも気になります。そしてなにより、佐倉という場所の地形が気になります。ただ湿原が広がっているのではなく、台地と低地が混じり合う複雑な地形。これは豊富な水の流れが、長年かけて台地を削った証ですね。

■京成佐倉駅からスタート■ 南側
そんな思いで訪問したことも手伝って、京成佐倉駅の階段(南側)を降りるとすぐにこの光景が目に飛び込んできました。
sakuragawa (2).jpg
あ、これはいわゆる・・・
暗渠です。「あんきょ」と読みます。川に蓋をした状態。駅付近では自転車置場となっていましたが、それは世を忍ぶ仮の姿。その実態は、京成本線に沿って流れる佐倉川の暗渠です。

なぜすぐに気付くか?

これは暗渠に対するアンテナのようなもの(暗渠マニアの人達は暗渠サインとよんでいるようです)。建物は勿論、重い車も通行できない暗渠。車止めとか遊歩道とか自転車置き場というのは、暗渠にとってありがちな光景なのです。

湿地や川に守られた佐倉城。その川の一部が、都市化の波に曝されて暗渠になっている。そして誰も川だと意識しないで通り過ぎて行く。

そう感じました。この日は相当歩くことが分かっていたので「まぁ暗渠は無視でいいか?」とも思いましたが、これはもう身に付いてしまった心のクセのようなもの。城跡探索のために佐倉までやってきたのですが、最初にすることが暗渠探索となってしまいました。

<暗渠に掛る橋>
sakuragawa (5).jpg
納得するまでにそう時間は要しませんでした。暗渠を辿って行くと・・・

<川の無い橋>
sakuragawa (3).jpg
川の無い橋です。水は暗渠を流れているのですから、川が無いは言い過ぎですが、見た目はそういう状態ですよね。都内では良くみかけますが、ここ佐倉で出会えるとは・・・。

<橋の反対側>
sakuragawa (1).jpg
ほら、水はちゃんと流れています

<佐倉川の開渠>
sakuragawa (6).jpg
[利根川(印旛沼)水系]
ここから先は開渠。すっかりコンクリで固められていますが、水面の見える立派な川です。行った先には鹿島川が待っています。鹿島川は佐倉城の天然堀として来る前から意識していましたので、そこへ繋がる支流、そしてその暗渠と出合えたことに何となく満足しました。

ほぼ水路のような状態の佐倉川。これが大昔から続く川筋とは思いませんが、この付近は台地と台地の谷間(佐倉城のある台地と、現在の佐倉カントリークラブがある台地との谷間の低地)。ここから東に位置する大佐倉付近から続く細長い低地になりますので、きっと好き勝手に蛇行する川の流れがあったことでしょう。行儀よくコンパクトにまとめられた現在の佐倉川はそのなごり。水の豊富な谷地のなごりですね。
駅前の自転車置き場が、それを知るきっかけを作ってくれました。

そして城跡探索を開始・・・
 訪問記はコチラ→要衝の地 佐倉城

やがて汗だくの帰り道・・・

■JR佐倉駅へ■
<高崎川>
sakurajo (1).jpg
JR佐倉駅付近を流れています

都内の城巡りだと、暗渠に気付くアンテナは有効。姿なき川を感じることができるので。ただここ佐倉では、こんな立派な川が実際に見られるのですから、暗渠を追いかける必要はあまりなかったですね。まぁ趣味の大半は不必要なことで成り立っているので、これもまた良しということで。川沿いをのんびり散歩してから帰りました。


お城巡りランキング
タグ:暗渠と城跡
posted by Isuke at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡

2017年04月02日

暗渠と城跡8 桜咲く出井川と志村城

桜咲く志村城跡
ShimurasanchomeHAru (4).JPG

志村城と出井川については既に記事にさせてもらっているので、今回は本日撮影してきた画像を中心に、春の城跡と暗渠を投稿させて頂きます。

過去記事(クリックで記事に移動します)
2017年03月02日
 豊島一族の城跡(志村城)

2017年03月03日
 暗渠と城跡4(志村城)   

このブログでは
「暗渠に気付くアンテナがあると、街の中の城跡巡りが一層楽しくなります。天然の堀だった川のなごりを感じることは、城のなごりを感じるのと同じ。」
そういう楽しみ方を紹介させてもらっています。今回は説明が少な目ですが、趣旨は同じです。

■志村到着■
都営三田線の志村三丁目駅
ShimurasanchomeHAru (3).JPG
(わりと良く来る街です)

城跡は駅のすぐそば
ShimurasanchomeHAru (2).JPG
(画像上段の緑色が城跡)

今日はここから登ります
ShimurasanchomeHAru (5).JPG

公園として整備されています
ShimurasanchomeHAru (6).JPG

かつての二の丸
ShimurasanchomeHAru (7).JPG
熊野神社です。この社殿の付近に遺構が僅かに残されています。

社殿裏手
ShimurasanchomeHAru (8).JPG
土塁にも見えますが、そもそもこの社殿が古墳上に建っているらしいので、どういうつもりで土が盛ってあるのかが分りません。

僅かな遺構
ShimurasanchomeHAru (9).JPG
やや窪んだ場所とやや土を盛ったような場所

更に・・・
ShimurasanchomeHAru (10).JPG
一段と窪んだ場所。遺構と呼んでよいのやら・・・

堀の跡
ShimurasanchomeHAru (12).JPG
藪のようで分りにくいかも知れませんが、奥が一段と深くなっています。ここは明らかに堀の跡。

■志村城とは■
ShimurasanchomeHAru (13).JPG
ここは豊島氏一族の志村氏が築城した山城です。のちに千葉氏(千葉信胤)の城となり、最後は小田原北条氏の支配下だったことから、秀吉の小田原征伐後に廃城。中世の状態で「放っとかれた城」となりました。23区内とは思えない城跡は、現在は区民の憩いの場所になっています。


さてと、二の丸(熊野神社)を出て、かつての志村城の天然の堀を探索。山城の西側を流れていた出井川へと向かいます。まず坂を下ります。

かつての本丸付近
ShimurasanchomeHAru (16).JPG
小学校と大型マンションになっています。

山城らしい高低差
ShimurasanchomeHAru (17).JPG
小学校脇の坂道を下り、出井川を目指します。

■出井川とは■
板橋区の「出井の泉公園」が源流。首都高5号線下からここ志村三丁目付近まで流れてきます。かつて志村城があった山の西側を迂回するように通過すると、志村三丁目駅方面に進み、その先の先で新河岸川に合流。全区間が暗渠化されているので、川そのものを見ることはできません。

出井川発見
ShimurasanchomeHAru (19).JPG
川が首都高を渡って(潜って)すぐの地点。この東には志村城跡の山があるため、避けるように迂回しています。
この区間、主に向かって右手から道が合流してきます。それらも暗渠。つまり言い換えると、主に東側から別の流れが合流してくる。出井川の支流ってことで良いのですかね?

ちなみに
ShimurasanchomeHAru (22).JPG
緑道へ下るスロープの脇では、マンホールが突き出した状態。工事に工事を重ねてきたのでしょう。

暗渠
ShimurasanchomeHAru (21).JPG
暗渠ではよくある光景ですが、周辺より一段高くなっている方が川の跡。この緑道を進んで行くと、つまり川を下って行くと、志村三丁目駅。緑道は駅付近では自転車置き場に姿を変えて、また緑道となってどんどん下っていくと、最後は「新河岸川」と合流します。まぁ今日はそこまでは行きませんでしたが、久しぶりに出井川の暗渠を歩いてみると、周辺は意外と地形が複雑なことになっており、もともとはどんな川だったのだろうと考えさせられました。几帳面にまっすぐな川なんて有り得ませんからね。


ということで、本日の訪問は
城だった山と川だった道
でした。

ShimurasanchomeHAru (24).JPG
ともに春の花が咲き誇っていました。


お城巡りランキング
続きを読む...
タグ:暗渠と城跡
posted by Isuke at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡

2017年04月01日

暗渠と城跡7 稲付川と稲付城

(赤羽の城跡のつづきです)

太田道灌が江戸城と岩槻城を繋ぐ拠点として築いたと推定されている稲付城。赤羽駅からすぐの高台にあります。

前の記事と重複しますが、ここ赤羽は地形的に大変興味深い街です。駅の東側と北側に向かって低地が広がり、逆側(駅の西側)は高台。赤羽は大きな台地と大きな川の間に位置し、気が遠くなるような長い年月をかけて自然が造り出した地形に、人が後から無理矢理、というか苦労して街を築いてきた。そんな感じですかね。

稲付城跡はそういう「街の中の城跡」です。

城だった丘
FAN Akabane INA (7).jpg

川だった道
FAN Akabane INA (4).jpg
上が稲付城跡/下が稲付川の暗渠


「暗渠に気付くアンテナがあると、街の中の城跡巡りが一層楽しくなります。天然の堀だった川のなごりを感じることは、城のなごりを感じるのと同じ。」

このブログでは「暗渠と城跡」と題して、そんな楽しみ方を何度か紹介させてもらっています。

(例)
■奥沢城と九品仏川■ 【世田谷区】
 <城跡の九品仏浄真寺>
okusawa (2).jpg
 <九品仏川の暗渠>くほんぶつ
kuhonbutsu5.jpg
■記事:2017年02月23日
暗渠と城跡1(奥沢城)

■志村城と出井川■ 【板橋区】
 <城跡の志村城山公園>
2shimurajoato (1).jpg
 <出井川の暗渠>でいがわ
2shimu9river1.jpg
■記事:2017年03月03日
暗渠と城跡4(志村城)


■稲付城と稲付川■
稲付城跡から見て南側の谷に、稲付川の暗渠があります(別名:北耕地川)。

漠然とですが、私にとって稲付川と稲付城はセットでした。つまり奥沢城にとっての九品仏川、志村城にとっての出日川と同じで、稲付川も稲付城の天然堀の役割を果たしていたと、長らく信じていました。ちょうどそういう位置関係なので。

ところが・・・もっと深く知ろうと、ある日この川の歴史を調べてみたら、なんと稲付川は徳川家綱の時代に開削されたとのこと・・・
「えっ?」
稲付城は既にその時には廃城になっています。勿論、太田道灌もこの世にいません。宿敵だった豊島一族が石神井川沿いに城を築いたのに対し、その石神井川とも繋がっている稲付川に太田道灌は敢えて城を築いた。なんて、どこを調べてもないような勝手な推定をして楽しんでいたのですが、事実を知ってしまってガックリです。城跡と周辺の川をセットで考える癖が裏目に出ました。

知ることは楽しみでもありますが、知り過ぎるとシラケることもあるのですね。ただまぁ私は学者ではないし、勘違いしている間はワクワク感があったので、趣味としては合格とします。

■低湿地のなごり■
<亀ヶ池弁財天>
FAN Akabane INA (8).jpg
[北区赤羽西]
かつて赤羽駅の西側にあったとされる亀ヶ池。稲付城の天然堀的な存在だったと推測されています。今はその姿はありませんが、住宅に囲まれたこの小さな弁財天の池は、そのなごりではないかと考えられています。

こんなふうに、城跡そのものだけではなく、周辺を調べることも楽しみの一つです。

稲付川の件は大ハズレでした。しかし城の周辺が沼やら池の点在する湿地だったということは間違いなさそうだし、現地を探索した時の感覚は残っています。それさえあれば、正しく整理し直すこともまた楽しみ。実感が伴う知識を、のんびりと積み上げていきたいと思います。

<亀ヶ池の亀>
FAN Akabane INA (1).jpg
のんびりと


お城巡りランキング
posted by Isuke at 18:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 近世小田原城のなごり
  3. 3. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  4. 4. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  5. 5. 金沢城のなごり
  6. 6. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  7. 7. 足柄城のなごり
  8. 8. 近藤勇ゆかりの地(米沢市)高国寺
  9. 9. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  10. 10. 大多喜城のなごり
  11. 11. 高岡城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)