太田道灌が築城したと推定されている稲付城です。急な石段。凄いところにありますね。見ての通りの山城です。地名「稲付」は、暴れ川だった荒川が氾濫すると、この地に近隣の村の稲が流れついた事に由来します。
<物的証拠とされる石>
説明付きで展示されています。置いてあるという表現の方が適切かもしれません。これは参考程度に。
<山頂>
石段を登ると山門、静勝寺というお寺になります。
<境内>
遺構のようなものはありません。ただ静勝寺南方面でおこなわれた昭和62年(1987年)の発掘調査によれば、戦国時代に築かれたとみられる空堀が確認されました(マンション建設に伴う調査だったようです)。また、静勝寺に伝わる「静勝寺除地(よけち)検地絵図」には、城の空堀の遺構が道として描かれているとのこと(情報は北区飛鳥山博物館のホームページから入手しました)。
城は台地の東端に位置しています。現在の寺の境内はそのなかでも最も高い場所。本丸(主郭)と考えられています。
■ 道灌の築城? ■
そう伝えられています。他に扇谷上杉氏の築城という説もありますが、道灌の主ですので、やはり関わりがあったと考えて良いのかもしれませんね。また、道灌の孫の太田資高(及びその子である太田康資まで)が館を築いていたとされていますので、やはり「道灌ゆかりの城」と考えて良いと(個人的に)思っています。これを前提にして、この赤羽という場所の位置から推定すると、稲付城は江戸城と岩槻城(埼玉県)を結ぶ拠点として築かれたと考えるのが妥当ですね。
■ 赤羽の地形と稲付城 ■
凄い地形でよね……道そのものが空堀のなごりかも?などと勝手に思ってます(根拠ありません)。
ここ赤羽は、北には荒川が流れており、駅から見ると東側と北側に低地が広がっています。これとは対照的に、西側が高台。武蔵野台地の北端にあたる場所。つまり台地が途切れる場所です。
この台地と低地、結構な高低差がある上にあちらこちらで複雑なことになっており、地形だけでも楽しめます(地形好きの人は)。稲付城は駅西側の高台に位置し、周辺はいま見ても複雑な地形のまま。興味が尽きません。更に赤羽という街は、買い物も便利で飲み屋さんも豊富。楽しみが多く、ついつい足をはこんでしまいます。頻繁に訪問しているため、投稿している画像の季節がバラバラとなっていますが、そのヘンはご容赦下さい。
稲付城跡は赤羽駅から徒歩5分くらい。遺構らしいものはないですが、苦労なく行ける城跡ですので、赤羽で下車する機会があったら、気軽に訪問することをお勧めします。
■訪問:稲付城
( 静勝寺 )
[東京都北区赤羽西]1丁目
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