「言うなれば他人さまの余計なことに首を突っ込まない。「腹六分」の人づき合いがいいということなのです。たとえ親、夫婦、兄弟、恋人同士でも自分以外の人間とつき合う時は「腹六分」にすべきなのです」(美輪明宏『世なおしトークあれこれ』PARCO出版 143頁)
美輪さんは、「腹八分」ならぬ「腹六分」の人間関係をすすめています。
ベタベタした人間関係は、いい人間関係にならないと言われています。
相手の悪いところは見ない、言わない、聞かないようにすべきとのことです。
「腹六分」といってもどのように捉えていけばいいのか。
いろいろ考えてみたところ、十界論を使うのがよいと思われます。
つまり、相手の仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界、天界、人界の六つと付き合い、相手の地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の四つとは付き合わないということです。
相手の素晴らしい状態(仏界)、人のために尽くす状態(菩薩界)、芸術的感性に優れた状態(縁覚界)、学識のある状態(声聞界)、喜んでいる状態(天界)、冷静な平穏な状態(人界)を努めて観るようにし、その部分と接点を持つようにすることです。
反対に、相手の怒った状態(地獄界)、欲望まみれの状態(餓鬼界)、愚かな状態(畜生界)、むやみに喧嘩をする状態(修羅界)は、確認し、認識しつつも、それらに振り回されないという生き方が求められます。
「腹六分」といっても、どの六分を取ればよいのか、どの四分を除外すればよいのか、上記のとおり、相手の生命状態を基準に考えれば、はっきりします。
これは、自分自身にもあてはまります。
自分の生命状態を努めて仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界、天界、人界の状態にしておき、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の生命状態が出てきた場合、注意をし、改善に努めるということですね。
どの人間にも十界があるということですので、相手のよい六分と付き合うことができますから、一応、理論上は、どの人間とも付き合うことができるといえます。
ただし、実際には、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界が身に付いてしまっている人々が多く、付き合う人を吟味する必要性は高いですね。
誰とでも付き合うことは困難です。
やはり、選択ということが求められます。
類は友を呼ぶということですので、邪な人々から身をかわしながら、自分自身は良い生命状態になるよう精進することが肝要です。