ベートーヴェンは、きびしい運命を克服しながら常に他者への共感を失わず、ついにはそれを地球大にまで拡げ、しかも一方では自分自身への誠実さを貫いて、「神と対座する姿勢」を失わなかった。彼は文筆家ではなかったから、自分の人生の軌跡をしるしたりはしなかった。しかしわれわれがその作品、とくに後期の作品群に静かに耳を澄ますならば、そこから彼が到達した世界の奥深さと人生の哲学が、無言のメッセージとして伝わってくるはずだ。
ゲーテはといえば、同じ天才でもベートーヴェンのように、はじめから圧倒的な精神の強靭を与えられていたわけではなかったようだ。しかし、自分の弱さを自覚し、それを自分で訓化し統御しつつ、彼のいう自己形成をとげていった。ゲーテが偉大さという栄光をまといながら、われわれ普通人にとっても自己形成のモデルとなりうる理由は、そこにある」(青木やよひ『ゲーテとベートーヴェン』平凡社 231頁〜232頁)
ゲーテとベートーヴェンとは、二人とも天才とも巨匠ともいわれる人物です。
同時代に生きており、両者は、実際に会ったことがあり、互いの才能を認め合っていたようです。
著者の言うようにゲーテとベートーヴェンから学ぶべきものは多くあります。
しかし、両者とも作品数は多く、すべての作品を把握するのは困難です。
そこで、両者の代表作を中心として、学びながら、親しんでいきたいと思います。
ベートーヴェンでいえば、「第九」が代表作といえます。
さまざまな「第九」を聴いていく中でベートーヴェンの精神に触れていきたいと思います。
また、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」も個人的には好きでよく聴いています。
好きなものから入っていくというのがよいでしょうね。
勉強だ、教養だといって、あまり好きでもないものを無理して聴いても意味、価値はないでしょう。
また、すべての作品が素晴らしいというわけでもありません。
専門家になるわけではありませんので、好きかどうかという判断基準は意外と重要です。
ゲーテでいえば、『ファウスト』が代表作といえます。
長大な戯曲であり、読むのは大変ですが、一読する価値があります。
しかし、第二部はやや冗漫な感じがしますから、あまり好みでない場合は無理して読む必要はないかもしれません。
私が『ファウスト』を一読したときは、とにかく名作といわれている『ファウスト』を読み終えるのだという一心でした。
特に第二部はまどろっこしかった記憶があります。
それでも読み終えたのは、教養主義といった感じがあったからでしょう。
その後、ところどころ読み返すと、違った発見があったりして、やはり、名作なのだと感じ入ったものです。
あとは、詩、格言を集めた文庫もありますので、身近にゲーテの文学に触れることができます。
ゲーテが自ら書いたものではありませんが、エッカーマンの『ゲーテとの対話』は、ゲーテの発言をまとめており、ゲーテの人となりが分かります。
ゲーテとベートーヴェンから学ぶといっても、両巨人の作品から学ぶほかはなく、直接、作品に触れていきながら、時折、解説書を読むというのがよいでしょう。
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