「観心本尊抄」の冒頭は、『摩訶止観』の引用からはじまります。
摩訶止観第五に云わく〈世間と如是と一なり。開合の異なり〉
「夫れ、一心に十法界を具す。一法界にまた十法界を具すれば、百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば、百法界には即ち三千種の世間を具す。この三千、一念の心に在り。もし心無くんば已みなん。介爾も心有らば、即ち三千を具す乃至ゆえに称して不可思議境となす。意ここに在り」等云々〈ある本に云わく「一界に三種の世間を具す」〉。
『日蓮大聖人御書全集』新版 122頁(観心本尊抄)
一念三千論の典拠を示す文ですね。『摩訶止観』には、「一念三千」のことを縷々述べているのかと思われるところ、実際は、そうではないようです。
『摩訶止観』のこの文が天台の全講述・著述中唯一の一念三千論の典拠である。
浅井円道《仏典講座38》『観心本尊抄』大蔵出版 43頁
とのことです。『摩訶止観』は、なかなかの大部の書ですが、一念三千論に関わる記述は、「観心本尊抄」冒頭に掲げられたこの箇所のみというのですから、ほんの数行です。『摩訶止観』の現代語訳でも1ページに満たない分量です。
この『摩訶止観』の文にしても、よくよく読みますと「一念三千」とは書いていません。
しかしこの文の中には「介爾有心即具三千」とはいわれるが、一念三千という名目は見あたらない。つまりこれを一念三千と命名したのは天台ではなく、天台滅後の誰かであるということになるが、それは現存する文献による限りでは中国天台宗第六祖の妙楽大師湛然である。
浅井円道《仏典講座38》『観心本尊抄』大蔵出版 43頁
というのですね。天台は、「一念三千」と明確に言っておらず、文献による限り、「一念三千」と命名したのは妙楽ということなのですね。
日蓮仏法において「一念三千」は重要な法門ですが、名目からすると天台からではなく、妙楽からということです。もちろん、一念三千論は天台からですが、一念三千論について述べているのが「観心本尊抄」で引用されている部分だけという薄さを考えますと、「一念三千」を深めていったのは、妙楽、日蓮であったといえるでしょう。
仏教の歴史を考えますと、後代になるにつれ、法門が豊潤になると見てよいかと思います。
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