「観心本尊抄」「法華取要抄」「立正安国論」「開目抄」「撰時抄」「報恩抄」と音読し、五大部と「法華取要抄」とを合わせた六大部の音読を終えたことで一つの区切りとしたいと思います。
明日からは、「観心本尊抄」の毎朝2ページの音読をはじめたいと考えています。見開きごと読んでいくということですね。
「報恩抄送文」を読んでみますと、重要なことが書いていますね。
親疎となく、法門と申すは、心に入れぬ人にはいわぬことにて候ぞ。御心得候え。
『日蓮大聖人御書全集』新版 262頁(報恩抄送文)
信仰心のない人に説法してもしょうがない、ということですね。やはり、信仰、法門ということに関し、心がない人、受容する器のない人には、何にも言わない方がいいですね。時間の無駄、エネルギーの無駄といえましょう。
また、このような指摘もあります。
またこの文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ。詮なからん人々にきかせなば、あしかりぬべく候。
『日蓮大聖人御書全集』新版 263頁(報恩抄送文)
万一、信仰心のない、どうしようもない人に、この法門を聞かせるようなことがあるならば、悪いことになるというのですね。単なる無駄で終わるのではなく、好ましくない方向に物事が進んでしまう危険性があるわけです。
信仰のこと、仏教のこと、宗教のことという極めて精神性の高い事柄は、安易に口にすべきではないですね。信用できる人とは語らうにしても、そうでない人々と信仰、仏教、宗教のことを語らうことは、実際のところ不可能でしょうね。
我々としては、御書をしっかりと拝しながら、地道な信仰を続けるのがよいようです。地に足が付いた信仰、一歩一歩踏みしめていくような信仰、弛まない信仰、このような信仰が求められます。