稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第12講 精進
「人が素晴らしい人生を送るために心がけるべきことは何だろうかと私なりに考えて、簡潔に整理したものがあります。それが「六つの精進」です。
一、 誰にも負けない努力をする
二、 謙虚にして驕らず
三、 毎日の反省
(利己の反省、利己の払拭)
四、 生きていることに感謝する
(幸せを感じる心は、
足るを知る心から生まれる)
五、 善行、利他行を積む
六、 感性的な悩みをしない」
(「日経ビジネス」2005年12月19日号103頁)
まずは、「努力」ですね。
「努力」ですべてが解決するわけではありませんが、「努力」がないところには、何の解決もありません。
人生がうまくいかない人の特徴として「努力」が足りないという共通点があるように見受けられます。
次に、「謙虚」ですが、簡単そうで難しいですね。
最初はいいのですが、人生がうまく回り始める途端、いい気になってしまうものです。
不思議ですね。
気を付けたいですね。
そして、「反省」です。
日々の反省がない場合、生活がマンネリ化し、硬直したものの考え方になってしまう危険性があります。
「反省」とは、人間にしなやかさをもたらす精神の柔軟体操といえるでしょう。
「感謝」。
これは、意外となされていない事柄のように思われます。
何となく生きている場合、不平不満ばかりで、「感謝」すべきことを忘却してしまいがちです。
心したいものです。
「善行」とは、どういうことでしょうか。
特別なことをするというのではなく、日々の自らの仕事に打ち込むことではないかと思います。
「人のためになる仕事をしたい」という言葉を聞くことがありますが、よくよく考えれば、おかしな表現と思われます。
そもそも「仕事」とは、「人のためになること」をいうと思います。
つまり、「人のためになる仕事をしたい」と言うことは「人のためになる人のためになることをしたい」と言っているようなものです。
「人のためになる」を2回も言う必要はありません。
簡単に、「仕事をしたい」と言えばよいでしょう。
結局、どのような「仕事」であれ、「仕事」をしっかり行うことが、取りも直さず「善行」といえます。
最後の「感性的な悩みをしない」というのが「六つの精進」の勘所と思われます。
「反省」はすべきですが、「感性的な悩み」はしてはいけないということです。
人生には、思い悩んでも仕方のないこと、意味もないことが多いものです。
しかし、そのような悩みに振り回されることが多いのも事実です。
どうでもよい悩みを、どうでもよい悩みであると正しく認識し、さっさと忘れてしまうことが大切です。
正しい認識をするためには、然るべき人生経験が要求されます。
漫然と生きているのでは、正しい認識に至りません。
やはり、年季、それなりの時間が必要ですね。
簡単にはいかないものです。