苦労なり、試練をしなくてもよいように生きていこうと考えますが、試練がなければ人間としての成長が見込めないとなると、安逸に生きるのも考えものと思われてきます。
大変なことがあっても、嘆くだけでなく、我が人生にとって重要な機会が巡ってきていると考えるのが哲学的態度といえるでしょう。
稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第3講 試練
「試練は、病気や失敗、左遷や倒産などだけではありません。『成功』もまた、天が人に与える試練なのです。一時の幸運と成功を得たとしても、決して驕り高ぶらず、謙虚な心を失わないことが、リーダーの絶対条件である。南洲はそう説いています」
(「日経ビジネス」2005年10月17日号129頁)
苦労、大変なことだけが試練ではなく、実は「成功」も試練であるとは深い洞察です。
成功という試練に耐え得ずして人生の敗北者になる人々は、「驕り」があるということです。
何故、驕ってしまうのか。理知的に合理的に哲学的に考えても、「驕る」ことに何らの価値も見出せないと思うのですが、成功者は、つい、驕ってしまう。
この「つい」というところに人間の業が感じられます。
頭だけで分かることの限界があるようです。
生命の次元にまで至って、はじめて、解決できる問題ともいえます。
マイナス面、プラス面、双方とも試練の側面があることを認識しつつ、敢えて、試練に立ち向かう人間でありたいですね。