人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
人生・仕事の結果は、「考え方」、「熱意」、「能力」の掛け算によって決まると言われています。
数値化する場合、「熱意」、「能力」は、「0点」から「100点」までということです。
プラスのみということです。
「能力」がそこそこでも「熱意」があれば、「能力」を補って余りあるということですね。
反対に、「能力」が高くても「熱意」が乏しい場合、「能力」を十二分に生かすことができません。
一方、「考え方」を数値化する場合、「マイナス100点」から「プラス100点」まであるということです。
プラスだけでなく、マイナスになってしまう場合があるということです。
これは恐ろしいことですね。
「考え方」がマイナス点である場合、「熱意」、「能力」が高ければ高いほど、とてつもなく悪い結果を生じます。
実のところ、人間の「熱意」、「能力」は、さほど変わらないものです。
「熱意」がある、「能力」がある、といったところで、人生の大勢には影響がないというレベルでしょう。
肝心な点は、「考え方」ですね。
これは、ちょっと違うだけで大違いというものと思われます。
「考え方」は、人格に関わる事柄ですね。
では、人格を高め磨くにはどうすればよいのでしょうか。
稲盛和夫氏は、以下のように書いています。
「あるべき人間の姿を示した素晴らしい哲学を常に自分の理性に問い、人格のレベルを高く維持するように努力し続けなければならないのです」(『人生の王道』日経BP社 189頁)
常日頃からの鍛錬を続けることが必要ということですね。
ここで思い出したのですが、だいぶ前のこと、私が、人格のレベルを高める努力が必要といった趣旨のことを言った際、ある人が「レベル」という言葉が気に入らなかったようであり、「レベルとは何事だ。人間は皆平等である」といった趣旨のことを言われました。
私は、レベルを高める努力を強調したかっただけなのですが、その人の反応にちょっと驚いたものです。
その後、数年、私は、私なりに努力して、自分で言うのもなんですが、努力すれば人格のレベルがそれなりに高くなるものなのだと感じていたところ、例のその人と久しぶりに会うことがありました。
その人のレベルは以前のままというよりは下がっていました。
どういうことだろうと考えましたが、その人は、「レベルがなんだ。平等がどうのこうの」と言っていましたが、つまるところ、努力したくないだけの人だったのですね。
平等といってもレベルを高めない人間が言う平等では、何らの意味もありません。
「考え方」が歪んでいたのでしょう。
結果として現れていますからどうしようもありません。
私の言わんとすることも理解できなかったのですから、「能力」も乏しいといえます。
その人を観察してみますと、確かに、努力するという傾向性はなかったですね。
ごまかしごまかしの人生を歩んでいるように見受けられました。
まともな生き方ができない人なのでしょう。
なぜ、努力しないのか不思議です。
いろいろと難癖をつけてくる人がいますが、やはり、人格のレベルを高める努力をしなければなりません。
雑音に耳を貸すことなく、我が人格を練磨していきたいと思います。