いい気になってしまったり、思い上がってしまったり、天狗になってしまったりと人間は困った存在です。
やはり、人間には「道」というものが必要です。
しかし、道は道でも「覇道」になってしまう場合が少なくありません。
道としては、「正道」「王道」で行くべきでしょう。
稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第8講 王道
「企業の経営も、国の内政も、そして外交も、最も基本になるのは正道を踏むことです。策略をもって相手を貶めようとすれば、同じ仕打ちがこちらにも返ってきます。力をかさに着て我を通せば人の心は離れます。相手の顔色をうかがい迎合すれば信用は得られません。終始一貫、毅然とした態度で臨むことが本当の信頼関係を築きます」(「日経ビジネス」2005年11月21日号143頁)
悪い人間に対しては、悪い方法で対処してかまわないと思いがちですが、そうであれば、自分自身も悪い人間に過ぎなくなります。
好き好んで悪くなる必要はありません。
相手がどんな悪人であろうとも、正道、王道で対処すべきです。
相手が悪いから自分も悪くて構わないという考えは、よく考えてみれば滑稽なだけです。
中途半端な自己弁護の際に発せられることが多いくだらない言い訳を思わせます。
自己弁護をする前に、虚心坦懐に反省する癖をつけておきたいものです。
正道、王道でどうしようもない場合、覚悟を決めておけばよいでしょう。
また、テクニックとしての覇道は、上手に使う場合は、多少、活用する余地があると思われますが、根本とすべきではありません。
相手がどうのこうのではなく、自分自身がどうであるかを根本として生きていくことです。
その意味合いから、正道、王道を考えれば、無理なく、正道、王道に入っていくことができるでしょう。